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埼玉県川越市の製本業 -製本の事なら株式会社豊翔-

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怠惰

簡単な道を選ぶと弱い人になります。

あなたは、弱さの本質を考えてみたことがありますか?

弱さとは、怠惰を意味します。

怠惰な人は、先伸ばしの人です。

なぜ先伸ばしにするのか?

出来る要因を考えずに、いつも「出来ない理由」を最初に考えるからです。

出来ない理由を探さない!

ここを発想の原点に据えることが、一番重要なことです。

自分が本当にやると決めたことに対して、絶対にぶれてはなりません。

ぶれは迷いです。

悩んでもいいから、迷ってはいけません。

堂々巡りの生き方ほど、見ていて歯がゆくなる生き方はありません。

人は確信に付いてきます。

確信とは、自分を信じることから始まります。

他人を信じることは難しいかもしれませんが、せめて自分で自分を信じることも出来ないで、どうして人を引っ張っていくリーダーになることが出来るでしょうか。

こんなことを言って、本当に通じるのだろうか。

こんなことをしているだけで、本当に通用するのだろうか。

こうした漠然とした不安の発信基地は、全て自分で自分を信じることができないという一点にあるのです。

大切なことは、技術よりも、技術の向こう側にある自分を信じる力であり、その自信の波動が相手に通じていくのだ、ということを知らずして成功することはできません。

自信が怠惰の上に築かれることは絶対にありません。

易き道を安易にチョイスすれば、その道は滅びの道となります。

真のプロフェッショナルは、築くは難く、滅ぶは易しという法則をしかと心得ています。

易き道、簡単な道を選んではなりません。

その道がどうあれ、あなたはあなたが行くべき道を行かなければなりません。

困難は、負荷となって人を磨きます。

易き道に負荷はありません。

だから簡単な道を選ぶと、弱い人になるのです。

弱い人が、人生を勝ち取ることなどできません。

簡単な道には、必ず落とし穴があります。

易きを去って、難きに就く。

ひとつ上をいく精神力を意識しましょう。

人と同じところで引っ掛かって、人と同じところで悩んでも、あなたに成功が訪れることはありません。

ワンランク上の発想と情熱と行動が、あなたの道を拓く要諦であることを忘れてはなりません。

グレシャムの法則

「悪貨は良貨を駆逐する」という経済用語があります。

グレシャムの法則といいます。

人間も同じです。

人間は何のために生まれてきたのでしょうか。

幸せになるためです。

幸せとは良好な人間関係のなかで、共に築き上げていくものです。

その骨格を成すものこそが「マナー」なのです。

伸びない人は、例外なくマナーに欠けています。

要するに、決定的に失礼なのです。

世の中には、言ってはいけないこと、やってはいけないこと、出してはいけない空気があります。

これがマナーです。

言ってはいけないことを言い、やってはいけないことをやり、出してはいけない空気を出す人が「悪貨」となって、「良貨」を駆逐していくのです。

良き人間関係の構築こそが人生の目的であり、そこには必ず良き経済的なバックアップがあります。

良き人間関係を築いた方が、結局成功への近道であることを忘れてはなりません。

迷わず仕掛ける

行動に見合うものしか、結果となって現れることはありません。

収穫物が欲しいのなら、まず種を蒔かなくてはならないということです。

もやしの種を撒くのか、大根の種を撒くのか、それともスイカの種を撒くのか。

何を収穫したいのかを、まず自分がしっかりと分かっていなくてはなりません。

魚釣りも同じです。

金魚が欲しいのなら、金魚の餌を用意する。

マグロが欲しいのなら、マグロの餌を用意しなくてはなりません。

何かを得たいという時に、種を撒いて育てるのか、それとも出来上がっているものを吊り上げるのか。

農耕型か狩猟型か。

安定した収益を長期的にもたらすビジネスは、どちらかといえば農耕型です。

農耕型といっても、ただ単純に種を蒔けばよいのではありません。

種を撒く準備が必要です。

そして、そこからプロセスを追って育てていくのです。

耕す→種を撒く→水をやる→肥料をやる→見守る→収穫する。

このプロセスを通ることによって、狙った収穫物が手に入ります。

ここで特に大事なことは、「見守る」というプロセスです。

これは人間関係においても同じです。

じっと静かに見守る。

見守るとは、観察することを意味します。

相手が成長するためのニーズを見極めるのです。

見極めたら、ためらわずに仕掛けることが重要です。

どれだけ仕掛けたかの量が、最後に行動の質へと転換して収穫へと導くからです。

このように書くとややこしそうに思うかもしれませんが、こうしたプロセスを一瞬に凝縮して、瞬間の判断で事を起こしている人が成功を手にしている人たちなのです。

いかに仕掛けるかが、結果を引き寄せるポイントです。

迷わずどんどん仕掛けていきましょう。

人生はやるかやらないかであり、やった者勝ちであることは、否定の出来ない事実なのです。

秘義

物事を真に理解するためには、秘訣があります。

その秘訣とは、素直になることです。

理解に苦しんだり、疑いを持って人を斜めから見ることは誰にでも出来ます。

誰にでも出来ることを何の考えもなしに続けていても、富が独りでに集まってくることはありません。

大切なことは、まず信じる心構えをつくることです。

これはやや、無神論者と神の関係に似ています。

これを世間一般の成功に置き換えれば、この場合それが神ではなく、富であるというだけの話です。

もし全知全能の神が存在すれば、それを信じる者はあらゆるものを手に入れることが出来ます。

もし神が存在しなかったとしても、それで何を失うというものでもありません。

富を手に入れる秘訣について、成功者の人たちはみな同じような考え方をしています。

例えばお金です。

お金持ちになる簡単な秘訣を、世界中の億万長者はこうサゼスチョンしています。

本当にお金持ちになりたいのなら、自分がいくら稼ぎたいのか、それをいつまでに稼ぐのかを一枚の真っ白な紙に書き入れなさい!

それが、富を得る不思議な秘訣である、と。

紙に数字を書いただけで、空からお金が降ってくるとでも言うのでしょうか?

答えは、


YES!

成功者の人々は、それ以外に答えはないと言うのです。

秘訣はごくごく簡単なことだ、と。

世界中の億万長者はみな例外なく、稼ごうとする金額と期限とを決めたときからお金が稼げるようになったと告白しています。

それでも、信じる心構えの出来ていないその他大勢の人たちは、こう言います。

金額と期限とを書き込むことが、一体何の助けになるのか、と。

しかし、まず自分が何処へ向かって歩けばいいのかが分からなければ、何処へもたどり着くことは出来ません。

このことを、「目標明示の秘義」と呼びます。

言葉はその場で消えてなくなりますが、書き記せば後々まで残ります。

それは人生全般にいえることです。

成功に縁のない類いの人間が、いつまでも気付かずにいることがあります。

それは、人は自分が求めたものしか人生から受け取ることは出来ない、ということです。

故にまず最初にすべきことは、自分が人生に何を求めているのかをはっきりさせる、ということなのです。

要求があいまいでは、結果もあいまいなものにならざるを得ません。

僅かしか望まなければ、僅かしか得られません。

実りが少なかったからといって嘆くことはナンセンスです。

何故ならば、そのように望んだのは、他ならぬ自分自身だったからです。

REBOOT

あなたを取り巻く一切の環境は、あなたの意識の投影です。

生活環境も収入も、その全てはあなたの意識が決めていることを忘れてはなりません。

あなたが当然重要だと思っていることも、実はそう思っているだけで、あなたの全てを決定する意識をスルーして、思考停止の材料となっているのかもしれません。

自分と向き合うことが大切です。

自分と向き合うとは、そんなの当たり前と思っていることに、改めて意識の光を当てることを意味します。

自分と向き合い、自分と渡り合うことによって、思いもかけない方向から「転機」が訪れます。

転機を誘導する最大の要因は、「意味」です。

その状況や現象の奥に潜む意味を建設的な態度で見つめ直した時、人はハッとして再起動します。

事が動かないのは、あなたが動かそうとしなかったからです。

原因を外に求めてはいけません。

取るに足らざる者にいつまでも引っ掛かっているのは、あなたが思考停止に陥っているからです。

思考停止は、後ろ向きな態度で状況を意味付けします。

その結果、全ての原因を自分以外の何者かのせいにして、結局何もしないのです。

全ての停滞の原因は、あなたの意識にあります。

要するに、戦おうとする気持ちが決定的に欠如しているのです。

立ち向かっていく精神、戦う気持ちを持つことが、事を動かしていく本質です。

戦う気持ちをなくして、先に進むことなど出来ないからです。

定理

「99.9%は仮説」という本によると、私たちが、
そんなの当たり前だと思っている事が
意外に証明されていないそうです。

例えば、飛行機は何故飛ぶか?

揚力があるからとか言ってますが、
最後の最後まで飛ぶ理由を突き詰めていくと、
結局は分からないのだそうです。

飛行機は何故飛ぶか?

いま僕の考え方で、
この問いに答えるのではなく、
この問いに感じてみたいと思います。

飛行機は何故落ちないで、空を飛ぶのか?

それは、落ちる前に進んでいるからです。

落ちる前に進んでいるのですから、
落ちるはずはないのです。

迷ったり、悩んだり、行き詰まった時の、
たった一つの答えは、とにかく前に進んでいく事。

これだけです。

悩むなら、前向きに悩む。

迷うなら、前向きに迷う。

行き詰まるなら、挑戦的な態度で行き詰まる。

悩みや、迷いや、行き詰まりは、
あなたが人生という空を飛んでいるから起こるのです。

飛行機と同じです。

あなたが、現役で頑張っているから起こるのです。

あなたが、逃げなかったから起こるのです。

飛行機は向かい風を受けて飛びます。

向かい風が強ければ強いほど、飛行機は高きを飛びます。

あなたも同じです。

人生の最前線では、何があっても、
前に進みきる者だけが栄光を掴むという
“定理”を忘れてはなりません。

ただ前へ進むのではありません。

意志をしっかり持って、
前へ前へと、進みきるのです。

意志あるところ道は拓ける、ではありません。

これは、やや言葉足らずです。

人生の最前線で起こるミラクルは、

意志あるところ、道は「突然」拓ける!

この感覚です。

意味のある「突然」を、引き寄せましょう。

ミラクルは、何があっても前へ前へと
進みきる者にのみ起こる事を肝に銘じましょう。

ひとつの真実

状況よりあなたが小さいと、あなたは緊張します。

状況よりあなたが小さいと、あなたの心拍数は上がります。

状況よりあなたが小さいと、あなたは自分を見失います。

状況よりあなたが小さいと、あなたは動転します。

状況よりあなたが小さいと、あなたはその瞬間、最悪をイメージします。

状況よりあなたが小さいと、あなたの呼吸は荒くなってきます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは余計な事が気になってきます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは急に怖じ気づきます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは勇気を忘れます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは心配します。

状況よりあなたが小さいと、あなたは不安になります。

状況よりあなたが小さいと、あなたは卑屈になります。

状況よりあなたが小さいと、あなたは気後れします。

状況よりあなたが小さいと、あなたは戦う前にすでに負けている事に気付きません。

状況よりあなたが小さいと、あなたは去り行く者に未練を持ちます。

状況よりあなたが小さいと、あなたは硬直します。

状況よりあなたが小さいと、あなたは思考停止に陥ります。

状況よりあなたが小さいと・・

状況よりあなたが小さいと・・

勝負するその時に、プロが唯一意識する事。

それは、全ての始まりは取り組む前のメンタルなんだという事。

状況よりあなたが小さいと、あなたは緊張します。

状況よりあなたが大きければ、あなたは緊張しません。

状況よりあなたが大きければ、あなたは穏やかです。

状況よりあなたが大きければ、あなたは怯えません。

状況よりあなたが大きければ、あなたは在るがままのあなたです。

状況よりあなたが大きければ・・

状況よりあなたが大きければ・・

ただ、それだけです。

ただそれだけの、ひとつの真実。

でも、これこそがシンプルにして、最大の関門であり、いにしえの賢者が挑んだ高いハードルだったのです。

負けの質

「不可能は、臆病者の言い訳である」

ナポレオンが好んだ言葉です。

状況は常に、未来への連続線のなかにあります。

特に意識しなくてはならないのは、初戦の「一勝」です。

初戦の一敗は、それを取り返そうとするとき、何倍ものパワーを必要とするからです。

全てを俯瞰(ふかん)するものは、意識です。

状況はすぐに変わりませんが、心構えはすぐに変えることが出来ます。

状況が問題なのではなく、あなたの意識が何を見ているのかが問題なのです。

勝負処では、原点に戻りましょう。

ここ一番の時にあなたの意識がひるんでいたら、あなたがチャンスを手にすることは永遠にありません。

状況に挑んで、たとえ敗れたとしても、その事実が問題なのではありません。

「負けの質」が問題なのです。

勝負して負けたのか。

はなから諦めて、逃げて負けたのか。

後者に未来が訪れることはないのです。

勝負処におけるキーワードは、「戦う楽観主義」です。

深刻にやるのではなく、真剣にやる!

人生がいつも、あなたを試しています。

死ぬこと以外はかすり傷です。

全ては、あなたの意識が決めることを忘れてはなりません。

凡を極めて

「凡を極めて非凡に至る」ことが、仕事の奥義です。

自分一人で出す知恵など、たかが知れています。

それよりも、道の先を行く先輩の優れた話をよく聞き、その優れた部分を学んで応用しましょう。

まずは真似から先人の知恵を頂くのです。

仕事というのは、過去の仕事のなかにヒントがいくつもあります。

仕事の大半は、同じことの繰り返しにすぎないからです。

そのルーティンのなかで、自分が今何をなすべきかというイメージが、はっきりと持てているかどうかが重要なのです。

実は、仕事で全く初めての事態というのは、ほとんど存在しません。

過去の事例と何かしらの共通性があるものなのです。

仕事でもスポーツでもそうですが、効率のよいやり方や方法は必ずあります。

無駄な動きをしていては速くは走れませんし、相手の動きを読んでそれをかわす頭脳プレーをしなければ、試合には勝てません。

仕事でも無駄な努力をしていては、成果は上がらないのです。

よい仕事をしたければ、「勝利の方程式」を作り上げる必要があることを理解しなくてはなりません。

高校野球で甲子園の常連校をみると、有望な中学生を授業料免除や奨学金で集め、充実したグランドや屋内練習場を備えて、選手たちが勝つための技術を効率よく体得できる「システム」を持っていることに気付きます。

投手には、速い球を投げるための体の動かし方があり、ピンチになったときには打者の裏をかく配球テクニックがいるはずです。

バントや盗塁などを教えるにしても、技術を確実に身に付けさせる練習方法やスケジュールの立て方があるはずで、そうしたことを考えずに、生徒がやみくもに練習してもなかなか上達することは出来ません。

技術面だけではありません。

大舞台で上がらないようにするメンタルトレーニングでも、何かしら蓄積されたノウハウがあるはずです。

つまり強い学校には、生徒の力を最大限に引き出し、勝てるチームを作り上げる「勝利の方程式」があるのです。

この方程式は、プアなイノベーションより、優れたイミテーションから生まれます。

プアなイノベーションのために、多くの手間と時間をかけるのではなく、優れたイミテーションを積み重ねた先に、優れたイノベーションが生まれてくるという発想を持つことも大切ことなのです。

人知れず・・

華やかなステージの裏側に、真実の人生があります。

人をその表層のみで見ていると、人生の進み方を誤ってしまいます。

高い山であればあるほど、その裾野は広大です。

山の高さだけを見てそこに追い付こうと思っても、その山を支える裾野を見ない限り、追い付くことは出来ません。

輝く光を放っている人たちは皆例外なく、人知れずの努力を黙々と積み上げていることを知らなくてはなりません。

彼らは、そうした陰の努力を決して人に見せません。

弱音を吐くこともしません。

ただ黙々と、自分がやるべきことに徹して、自分を追い込んでいくのです。

そうした努力のなかで、高き山の裾野のように形創られていくものがあります。

それが、「在り方」です。

事を処すに当たって、「どうするか」よりも大切なものがあります。

それは、「どう在るか」です。

人は、在り方によって人生を創り上げていくからです。

ここ一番の人生のステージに直面した時、付け焼き刃の行動は通用しません。

人生は、その行動を担保する「態度」が決めるからです。

やると決めたことは、やり続けましょう。

やると決めたことに、例外を作ってはいけません。

何があってもやり続けようとする態度が、やがてあなたの在り方を形創り、その在り方が存在感となってあなたの行動を担保するのです。

真実の人生は、ステージの裏側にあります。

人知れずの努力の継続こそが、真のプライドある人生への直道なのです。

浮かむ瀬

天国に行きたければ、地獄を見る覚悟がなくてはなりません。

楽なことばかりを夢見て、楽な道ばかりを選ぼうとするから、途切れることなく地獄が続くのです。

人生の転機は、「逆説」のなかにあります。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺(ことわざ)があります。

一身を犠牲にするだけの覚悟があって、初めて活路も見出だせるという意味です。

これは、空也上人の作と伝えられています。

「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」

(山あいの川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそやがては浮かび上がり、こうして広い下流に到達することができたのだ)-空也上人絵詞伝-

という歌が出典とされています。

「浮かむ瀬」とは、原歌では仏の悟りを得る機縁、成仏の意ですが、これを窮地から脱して安泰を得るという世俗一般のこととして、この諺は使われています。

自分を大事と思って我(が)に執着していては、なかなか道は開けてこないと、空也は教えてくれています。

楽な生き方はしない!

この決然とした態度を持つことが、安泰の人生を形創る出発点となるのです。

あなたの弱気や弱音は、決然たる意思の力を見くびって、絶対的な安全策を取ろうという老婆心から発せられていることを、そろそろ理解しなくてはなりません。

成功者にあって、失敗者に100%ないものは、リスクに飛び込む覚悟です。

凛として表情を引き締めて、今やるべき事に、この身を投じていきましょう。

戦う意思を放棄した者に、安泰の明日がくることなどあり得ないのです。

しない!

結果を出す人は、人に左右されない、自分の意志さえあれば守れる目標を持っています。

人生は人との競争のようであって、実はそうではない様々な様相を併せ持っています。

自立とは「自律」です。

いつの時代も、「敵は我れにあり」だからです。

自分を律するための有効な方法を聞きました。

それは、“Not To Do List"の作成です。

普通、“To Do List"即ち「やるべき事リスト」を書き出すということは普通によく聞く話ですが、「やらない事リスト」という発想はあまり耳にしません。

実際にやってみると何か新しいことを始めるよりも、より自分と向き合い、自分と対決する要素が強いことに気が付きます。

だらだらテレビを見ない。

ネットサーフィンはしない。

今日はお酒は飲まない。

こうした、「何々をしない」ということが、Not To Do Listです。

時間を再生産するためには、今までしてきた何かを「しない」という発想が有効なのです。

「産みの苦しみ」という言葉があります。

歓喜や達成感や充実感は、産みの苦しみを経由して得られる幸せです。

幸せは、弱い自分を律していく戦いから始まります。

何々をしないということは、一見消極的な態度に見えますが、実はそうではありません。

知らず知らずのうちに溢れんばかりの情報と物の洪水に巻き込まれて、油断をすれば本来の自分を見失いかねない現代社会のなかで、自らの力で自分を自分足らしめていかなければならない時代であるという認識が、今ほど強く求められている時はありません。

そうした時代を真に生き抜くために重要なことは、主体性をなくすことは止めるという姿勢です。

主体性の喪失は、思考停止につながります。

思考停止は脳死と同じです。

体は生きていても、脳死状態ではただ生存しているだけで、そこに価値が創造されることは稀です。

今日からせめて月に一つ、あなたの主体性を停止させることを止めてみましょう。

その挑戦のなかに、あなたを本来のあなた足らしめていく真の主体性が確立されていくからです。

お試し

自信はどんな変装よりも、あなたを変えます。

ほとんどの人は、やってもいないのに自信がない、などと言います。

やらないで自信を付けた人は、残念ながら歴史上一人も存在しません。

自信は、目標達成に向けて必要なことは何でもするという決意と、何事にも屈することのない熱意によって形創られていきます。

ここでひとつ、理解しておかなければならないことがあります。

それは、自信というものは、実はあなたが気にしている障害が築き上げてくれるということです。

どんな種類の仕事であれ、障害は間違いなく訪れます。

そしてそれはどういう訳か、必ず目標設定後のかなり早い時期に訪れるか、真っ先に出くわすことが多いのです。

その原因をはっきりと説明することはできませんが、人間の内部にある不思議なメカニズムは、どうやら困難な問題を最初に持って来て、あなたの覚悟を試すという傾向があるようなのです。

この「お試し」の時、逃げるか進むかの二者択一のなかで自信の種が蒔かれ、その種があなたに目標達成の近道を指し示してくれるのです。

要するに、必要だと思っていたのにやらなくてもよいことがいくつか現れてくるのです。

必要なことは何でもするという決意と、何事にも屈しない熱意が、目標達成に加速度をつけ、予想していた困難をほとんど無くしてくれるという現象が起こるのです。

その現象を呼ぶ本質のエネルギーこそが、事に対峙して揺るがない自信なのです。

自信は決意と熱意と、そしてリスクに自ら飛び込んでいく勇気のなかで形創られていきます。

障害が目の前に現れたなら、「来たか!」と腹を据えて、不敵な笑みを口許に浮かべて立ち向かっていきましょう。

お試しの時こそが、栄光の時なのです。

トモダチ

あなたの人生の扉を開ける鍵は「勇気」です。

断じて進む勇気を持ちましょう。

「百万人といえども我はいく」

かつて維新の扉を開いた英雄、坂本竜馬は言いました。

勇気とは、前進の異名です。

そして、勇気にはもう一つの勇気があります。

それは、「パスする勇気」です。

江戸時代のある商家には、こんな家訓がありました。

貯蓄十両、借金百両、投資千両。

そして、見切り万両。

やりくり、節約、我慢を人生経営の大きな柱に据えて、こじんまり貯蓄に励んでも、それはたたが知れていて、その価値はたかだか十両ほどのものだ。

それなら、まだ借金出来る信用を持っている者の方が価値は上だ。

しかし、さらに借金の上をいくのが、今という時を再生産する、未来のための投資である。

だが、投資よりも何よりも「見切り」が大切であり、物事は決して深追いしてはならない。

事に当たっては、自分のなかにぶれない「原理原則」を持って、人と事の運びと時の流れを見切ることが重要だ。

見切るとは、「潮目」を読んで、引くべき時に鮮やかに引ける「撤退の勇気」を言う。

こうしたことをしっかりと理解している商人が、永く反映するという教えです。

人と対峙した時は、あなたのなかにある原理原則に照らして、その人とこれから関わるかどうかを判断しましょう。

人を人足らしめるものは、その人が持つ価値観以外にはありません。

あなたをあなた足らしめている価値観を共有出来る人だけが、価値観の仲間なのです。

それ以外の人は、環境が決めたトモダチです。

環境が決めたトモダチは、遅かれ早かれ必ずあなたから離れていきます。

離れていく人を見切ることが出来ず、いつまでもおぼろげな可能性にしがみついて深追いすれば、その結末はあなたを小さな人物として、あなたから未来を奪うのです。

「これは違う!」

そう感じたら、パスする勇気を持ちましょう。

撤退は鮮やかに。


スパッと切り替えて、次のゾーンで頑張ってみるのです。

発展の契機

求めない!

我欲を捨てる!

行き詰まった時は、
こうした健全な諦感(ていかん)を持ってみましょう。

行き詰まりの本質は、我欲です。

人は色々なモノを欲しがり、
また、地位を得ると人を操りたがります。

しかし、モノを弄(もてあそ)べば志を失い、
人を弄べば徳を失います。

長い人生の中で、人は何かを求めて、
がむしゃらに突き進まなければならない時があります。

夢を見て、夢を追いかけて、貪欲に知識を吸収する。

人として成長していく出発点は、
求める姿勢の醸成にあります。

成功を目指して、
たどり着こうとする一点だけを見つめて、
自己実現に向けて走り続ける。

こうした姿勢は、
成功するための必須の要素であることは論を待ちません。

しかし、なのです。

真の高みに至るための鍵は、
「境地」にあることを知らなければなりません。

よく役者が、「新境地を開いた」と言われたりしますが、
そうした境地が開かれて、
人は次のステージに進むことが出来るのです。

ひたすら前進するということと、
健全に諦めて人に求めないというアンチテーゼ。

こうした考え方を、
「アウフヘーベン(止揚)」といいます。

これはドイツの哲学者ヘーゲルが、
弁証法の中で提唱した概念です。

それは、以下のような考え方です。

古いものが否定されて新しいものが現れる際、
古いものが全面的に捨て去られるのではなく、
古いものが持っている内容のうち積極的な要素が、
新しく高い段階として保存されるとします。

このように弁証法では、
否定を発展の契機として捉えました。

そうした観点に立てば、人に求めないという否定は、
次の新しい発展への契機として、
より積極的な自分軸を構築する要素となるのです。

行き詰まりを感じた時は、少し落ち着きましょう。

まず身体を緩めて、心も緩めてみるのです。

何も求めず、自分の道をただ歩くことだけを考えるのです。

揺るがない自分を再発見することが出来れば、自ずと道は開けてくるからです。

人生の差

「己に打ち勝てば、天下はその徳に従う」

二宮尊徳が残した言葉です。

自分に勝つ力が、今ほど求められる時代はありません。

欲が無ければ、人は前に進めません。

欲は、人を力強く前進させるエンジンだからです。

しかし、車はエンジンだけでは安全に走ることは出来ません。

ハンドルやブレーキが必要なのです。

ハンドルはインテリジェンスであり、ブレーキは自己制御できる力です。

この「知性」と「自分に打ち勝つ力」があって、「欲」は健全で力強いエンジンとなり人を前に進めます。

敵は我れにあり!

如何なる分野であれ、自分を律していける人だけが最後の勝者となることを忘れてはなりません。

実は、人生は他者との競争ではありません。

自分との戦いなのです。

自分自身と真正面から勝負する!

妥協した分だけ、「人生の差」となって自分の環境に現れてきます。

届かなかったのは、諦めたからです。

何故諦めたのか?

結局、自分に負けたのです。

人生はレースではなく、フィギュア・スケートのような採点競技に近いような気がします。

競技ですから、勿論そこそこの技術があることは大前提ですが、最後は自分の演技がいつも通りに出来た人が勝者になります。

弱い自分と戦って打ち勝った人だけが、栄光を掴むのです。

真の力は、自己制御にあります。

昨日の自分を超えていきましょう。

敵は我れにあり!

この姿勢のなかに、状況を根本的に変革する力が宿っているのです。

根本療法

お金が無いから貧乏なのではありません。

考え方が貧乏だから貧乏なのです。

例えば本当に痩せたければ、どうしたら痩せるかをあれこれ情報収集しても、結果的に無駄です。

何故ならば、そんなことは本当は当人がとっくに知っているからです。

痩せる方法を知っているにも関わらず、何故いつまで経っても痩せることが出来ないのでしょう。

それは、現象の奥に潜む本質的な原因に目を向けようとしないからです。

即ちそれは、太ったという現象の奥にある原因です。

どうしたら痩せるかということではなく、何故太ったのかということが本質であり、ここを押さえない限り一時的に痩せたとしても、またすぐ元に戻ることは目に見えています。

これは、経済に対しても同じことが言えます。

どうしたらお金持ちになれるか、ではないのです。

何故貧乏なのか、なのです。

対処療法ではなく、「根本療法」を意識しましょう。

考え方とは、事が起きた時の「反応」の仕方につながります。

お金持ちの人が反応するゾーンと、貧乏な人が反応するゾーンは全く違います。

まずここを理解しましょう。

そのためには、付き合う人を変えてみるという発想も大切です。

今の状況を突破するきっかけとなるものは、「違和感」だからです。

違和感こそが気付きの入り口となります。

いつもいつも守りに入って、やり慣れたことことだけをやり、慣れ親しんだ人とだけ付き合っていると、自分という人間が花が開くが如くの速度で劣化していきます。

状況打開の鍵は、現象の奥に潜む本質に迫る覚悟と、違和感に飛び込む勇気にあるのです。

気持ちの歴史

伸びない人は、例外なく失礼な人です。

如何なる状況や人間関係においても、必ず、そこに至るまでの経緯というものがあります。

そうした経緯を推し量らずに、瞬間的に降って沸いた衝動を熱意と勘違いして行動すると、今まで築いてきた信頼を失うことになります。

人と人との関係は、現実に触れあった時間の長さと、その時どうお互いを思いやったのかという「気持ちの歴史」が創り上げていることを忘れてはなりません。

如何なる人も、頑張ろうとする状況に至るまでには、自分に気持ちと行動を注ぎ続けてくれた人がいます。

「注ぎ続けた」というところが大切なのです。

その流れの中で、自分が取るべき行動と発言を考えられる人が、ぶれないリーダーとなるのです。

自らの環境を成り立たせている重要な要素を、夢忘れてはなりません。

軽率な振る舞いと発言は、リーダーたる者として、厳に戒めなければなりません。

全ての生き物にはルールがあります。

同じように、人間関係にもルールがあります。

軽率な考え方は、軽率な発言と行動を生み、その発言と行動が信頼関係にヒビを入れてしまいます。

信頼を失ってからその重要さに気付く者を「愚か者」といいます。

失ってから気付いても、遅いからです。

人の気持ちが絡む局面では、「熟慮」する習慣を持ちましょう。

いくら純粋に相手のことを思っていたとしても、それが善意の押し付けと相手に映れば、結果的に相手に与えたものは「不快」となってしまうからです。

思いは、伝わってこそなのです。

相手に「快」を与えられる言動を、常に心掛けていく。

思っていることより、伝わったこと!

ここに人間関係の基本があるのです。

意識の分岐点

興味深い話を聞きました。

私たちがくよくよ後悔している時、脳はそれをキッカケにして成長しようとしているのだそうです。

深い後悔が、人を壮絶な練習に駆り立てていくからです。

単なる反省ではなく、過去の経験を振り返るのでもなく、こうありたいという想像を現実と比較しながら、未来のあるべき自分を模索する。

後悔したその時、自分は一体どうすることが良かったのかを、理想という想像と比較することによって、現実に起こったことだけを振り返るのではなく、こうすれば良かったかもしれないと深く思うことによって、未来の自分の感じ方や考え方を変えることが後悔の持つ真の意味であると。

悔しさをバネにするとよく言われますが、自分自身の今までの人生を振り返ってみても、何かにこだわって何かをやり遂げた動機は強烈な悔しさであり、それは深い後悔から発せられた壮絶な力となって自分を目標へと近付けました。

後悔を、輝く未来の力に変えるのか。

それとも、事あるごとに引きずるトラウマとするのか。

優れた魂ほど大きく揺れて、大きく悩んで、大きく後悔します。

優れた魂は、多感だからです。

後悔したのはその事の中に、魂が諦めきれない何かがあったからに違いありません。

どうせ悩むなら大いに悩み、どうせ後悔するならこれ以上ない後悔をして、それらを脳が更に力強く活性するためのキッカケとしてしまいましょう。

中途半端に悩んで、中途半端に後悔しているから、いつまで経っても引きずるのです。

「クソッ!今に見ていろ」

これくらいの覇気を胸に湛(たた)えて、力強く前に進むのです。

悔しさも栄光も、みな思い出の中に宿ります。

思い出を敵に回すのではなく、味方に付けていけるかどうか。

ここが意識の分岐点となるのです。

明日の夢

明日の夢は、今日の努力の上に創られます。

努力とは奮闘することです。

あなたは、今日という一日が人生最後の一日だとしたらどうしますか?

現実離れした質問ですが、自分自身の在り方をチェックするには、最適なアングルなのではないかと思います。

意識するしないに関わらず、人物と評される人たちは皆、今日という一日を人生最後の時の如くに明快に生きています。

彼らは自分自身が為すべきことに対して、迷いを生じることなど決してありません。

今日が最後の日なのですから、いちいち迷っている暇などないのです。

迷わないとは、ためらわないということです。

迷いとためらい!

実は人生を人生足らしめずに、ただの生存としてその価値を貶(おとし)めるものが、迷いと躊躇(ちゅうちょ)なのです。

この二つが悩みを生む根本的な暗黒物質、即ち「ダークマター」なのです。

この無意味な悩みを背負って、さらなる迷いと躊躇のスパイラルを描いても、行き着く先は自分が元いた場所です。

スパッと決めきってしまいましょう!

明日の夢を創る奮闘とは、決めきって一歩を踏み出す勇気を持つことです。

今、あなたの目の前で展開されている全ての状況は、他の誰でもないあなた自身が蒔いた種が萠芽(ほうが)したものです。

自分が蒔いた種は、自分で刈り取るしかありません。

もし、あなたが何かで迷っているのなら、「今日一日が人生最後の日ならば」と考えて自分と向き合ってみてください。

何かの気付きがきっとあります。

不平を言う前に戦う!

これがリーダーたる者が持つ、基本的な姿勢です。

苛立つようなことが自分に起きるのは、自分が小物だからです。

いつも取るに足らざることに引っ掻き回されて、何か起きる度にその些細な一つ一つのことが気になって、やるべきことに集中できない「私」。

苛立つなら、不甲斐ない自分に苛立ちましょう。

他人や状況を変えようとするのではなく、自分を変えるのです。

全て自分が引き寄せている!

人間は磁石のようなものです。

自分が愚かであれば、引き寄せてくる人も環境も、その全てが愚かなものとなります。

花には蝶、ゴミにはハエなのです。

状況を嘆いても、何も変わりません。

それどころか、その嘆きはあなたの命を曇らせ、あなたという命の器を無限小へと縮めていきます。

今日からは、一切の不平や不満は口にしない!

こう決断してみるのです。

ここが、あなたという一個の人格が磨かれていく出発点となるからです。

冒険

生きるとは、本来の自分を確認するための「命の研磨」を行うことです。

命の研磨は、違和感を感じる場所で経験することになります。

それは「傷付く」ということです。

あなたが本来の自分に会いたいのならば、傷付くことを恐れてはなりません。

傷付くことを恐れてどっちつかずの中途半端なことをすれば、そのツケは、死ぬ間際に痛烈な「後悔」となってあなたを傷付けることになるからです。

私たちはこの世を去ったあとは、一体何処へ行くのでしょうか?

それは誰にも分からないかもしれませんが、恐らくは大宇宙の一つのエネルギーとして元々いたところに戻るのではないかと思います。

宇宙のエネルギーとして、肉体も持たず囚われの我も持たず、飲まず食べず、ただ静寂に包まれて遠大な時の流れの中を「法則」として存在する。

人間の眼から見れば、気が遠くなるような静謐(せいひつ)な空間と深閑(しんかん)たる時間を、只ひたすらそこに存在し続けることで完璧な法則としての意味を体現する。

そのように考えると、本来の自分にほんの少しでも近付くということは実に凄いことだと思います。

ここで勝手な仮説を一つ。

私たちは過去、大宇宙の懐に抱かれた完璧な存在でした。

しかし、ある時その完璧さに退屈してきたのです。

その時、シンプルな疑問が沸き上がってきました。

「自分って一体何なんだろう?」

その瞬間、突き上げるような思いに襲われます。

「経験してみたい。そして、自分とは一体何なのかをもう一度確認してみたい。」

私たちはそうして、宇宙のエネルギーが唯一自分を確認出来る「人間」という形を持って、今という時に「自ら願って」生まれてきたのです。

自分を確認するとは、目的に満ちた経験をすることです。

ですから、人生とは目的に満ちた経験なのです。

傷付くことを恐れて、無難に空気を読みながら、ビクビクオドオドいつも心配しながら生きて、生活のモットーはといえばやりくりと我慢。

これでは何のために生まれてきたのか分かりません。

この思いが宇宙に帰る間際に、痛烈な後悔として自分を傷付けるのです。

人生は目的に満ちた経験であり、冒険です。

何が起きても大丈夫!

何故ならば、本来のあなたは「完璧」だからです。

大宇宙は私たちの母と父を選び、私たちが「努力さえすれば」出来るように産んでくれているのです。

あなたの命を研磨する場所は、いま目の前にある違和感のなかにあります。

違和感こそが冒険であり、あなたが求めていた気付きの場所であり、経験の場所だからです。

やってまれ!

雑音が耳に入ってきたら、それは、あなたがそのことに集中していないということの証です。

雑音とは、あなたが歩むべき道から離れたどうでもよいことに他なりません。

あなたの人生と関係のないことに心を奪われていては、あなたは何処へもたどり着くことは出来ません。

「夢は必ず叶うんですよ。あれやこれやじゃなくて、一つのことに集中すれば」

イチローの言葉です。

迷っていることそれ自体が、一番よくありません。

さっさと決めて、さっさとやりきってしまいましょう。

こうだと決めた一つのことだけを寝ても覚めても考えて、その考えを現実に実行するのです。

その時、あなたと関係のない雑音なんかが聞こえていたら、それはもう絶対に駄目です。

あなたの今までの過去の人生を振り返ってみてください。

何だかんだ言っても、今までやり遂げてきたことは、他人の雑音なんか全く気にもしないで、ただ一心不乱に我が道を突き抜けた時だけだったはずです。

今こうして振り返ってみれば、不惑の心境で突き抜けたその時こそが、「ここぞの時」でした。

やってみて駄目だったら、また一からやればいいのです。

この覚悟がないから、どうでもいい些細な雑音に心が敏感に反応するのです。

青森の五所川原市のねぶた祭りは、ねぶたを引っ張りながら「やってまれ!やってまれ!」と皆で声を掛け合います。

「やってまれ!やってまれ!」

この精神が大切であり、迷ったらゴーなのです。

あなたが現役でいる限り、どうでもいい雑音など完璧に無視して、只今この時を駆け抜けていく気概を持たなければなりません。

気持ちを大きく持って、堂々と悠々と前進していく人こそがリーダーたるべき人なのです。

人と人

何か起きた時は、絆を創る時なのだと理解しましょう。

雨降って地固まると言いますが、少し言葉足らずのような気がします。

雨降って、地を固めるのです。

何か事が起きて、それを有機的に繋げてより高い次元の価値に昇華させるためには、意志が必要です。

意志ある処に、道は「突然」拓けてくるからです。

一人の断固とした意志が絆で繋がって、強いチームが徐々に出来上がってきます。

人と人との奇(く)しき縁(えにし)は必然的な出会いとなって現れ、そこに思いが生まれて夢を創るパワーとなるのです。

出会いは夢の始まりです。

出会いを夢の始まりにするためには、出会いの根底にある縁を絆に変えなければなりません。

その絆と絆を「志」という、魂の領域にある不動の決意で連結していくのです。

その思いの源となる行為こそが、コミットメントです。

それでは一体何にコミットメントするのでしょう。

それは、絆です。

絆にコミットメントするのです。

絆は運命を変更します。

起きてきた出来事それ自体には、何の意味もありません。

その出来事に何かを感じて、そこに寂しいとか感動したとかいう意味が宿って、人を動していくエネルギーとなるのです。

人を動かしていくエネルギーの源である思いが、お互いの成功と幸せを思い合う絆でしっかりと結ばれている人は、何が起きても動じることはありません。

悲喜こもごもの現象に一喜一憂することなく、魂という不動の領域にある決意から生まれる志を意識しましょう。

ここにコミットメントするのです。

人生は何にコミットするかで決まります。

絆にコミットした人だけが、志で繋がる人間関係を手にすることができるのです。

全ては人と人との関係から始まります。

One for All !

All for One !

心温まる人間関係を構築してはじめて、人生が回り始めることを肝に銘じましょう。

伝道師

成功しようと真剣に思っている人は、いちいち「ヤバイ」ことは言いません。

ヤバイこととは、メゲたこととか、不慮のアクシデントとか、それを言うことで人に心配をかけて人のテンションを下げることです。

ヤバイことを、あたかも手柄話のようにペラペラ喋って、それで当人は気が晴れたように思っていますが、実はそんなことはありません。

そのヤバイことは、命の奥底くに深く刻まれて、ペラペラ喋っている当の本人を小者へと誘導するウイルスとなるのです。

人生は決断の連続です。

故に、人生は決断力で決まります。

決断の差が、人生の差になって表れてくるのです。

決断の本質とは何か。

決断とは、別れを覚悟することです。

これが決断の本質です。

心配、不安、恐怖の本質は「別れ」なのです。

別れたくないから頑張っている。

これが人間の動機の究極です。

しかし、今までとは違う新しい何かをどこかでやり始めなければ、今いる状況それ自体が腐ってきます。

進化を選択すれば、誰かとの別れがくるかもしれません。

そうした不安が、蚊に刺されたようなことをヤバく感じさせて、自分を「不安の伝道師」としていくのです。

不安と恐れは宇宙を敵に回します。

今日からは、いちいちヤバイことは言わない!

こう決断しましょう。

ヤバイことが起きたら、それを逃げずにしっかりと受け止めてしっかりと反省して終わりです。

反省したら終わり。

もう囚われない。

囚われないとは、思い出さないことです。

決断とは思い出さないことであり、捨てることなのです。

想定内

「決然たる意志の持ち主は、世界を自分に合わせて形創る」

ドイツの文豪ゲーテは言いました。

信念がブレた時、人はその他大勢の一人となって光を失います。

あなたが決然たる意志を持って事に臨めば、必ず風圧が競うように巻き起ってきます。

それは単純な「作用反作用」という、人生の原理だからです。

勘違いしてはならないのは、自分が凄いと思っていることは、簡単に人もそう思うはずだという幼稚な思い込みです。

自分が凄いと思っていることを相手に伝えたいのならば、まず戦略を持たなくてはなりません。

ろくに考えもせずにインスタントな行動を取れば、その結末は当人にとって衝撃的なものになります。

自分が凄いと思っていることを誰かに伝える、即ち「情報伝達」という仕事の肝は、いかに人と係わるかという一点に尽きます。

故にその戦略は、相手をよく知るというところから始まるのです。

成功者には「観察力」があります。

相手のことをよく観察出来ていれば、これから自分が取ろうとする行動に対してどのような結末が展開されるのか、ある程度の予測はつくはずです。

プロは自らの行動に対して、常に「想定の範囲内」でその結末の行き着く先を考えます。

そして、その範囲内ならば「誤差」と捉えて、決して落ち込むことはありません。

事を起こすにあたって真剣に取り組もうとする姿勢があれば、戦略の段階で徹底的に考えなければなりません。

我が仕事も人生を切り開く戦いです。

戦略をしっかりと持って戦う人をプロと呼びます。

さあ、人生という一度きりの戦場を、戦略を持って前に進むのです。

大河

意志あるところ、道は必ず拓けてきます。

しかもその拓け方は、何の予告も前触れもなく「突然」やってきます。

必ず解決してみせるという熱く不動の意志を、今目の前にある問題に対して持つことが出来れば、その問題の解決方法は予想だにしない途方もない方向から、ある日突然やってくるのです。

熱く固い不動の意志を持ちましょう。

そこに流れているものは「絶対に諦めない!」という、ドクドクと音のする脈々たる血液の如くの思いでなくてはなりません。

最後の最後に結果を生むものは、不動の決意であることを忘れてはなりません。

ただ動いても駄目なのです。

これさえやっていれば必ずたどり着く。

私は絶対やる。

こういう決意が宇宙を揺り動かすのです。

勝負の時に一番よくないこと。

それは躊躇(ちゅうちょ)です。

戦うなら戦うで、ちゃんと前に出て戦う。

守るなら守るで、思慮深く次の展望が開けてくるようなきちんとした守り方を貫く。

出処進退を間違えてはいけません。

なぜ、勝負の時に迷うのか。

それは、あなたがあなたを信じていないからです。

いつもいつも自分一個のことばかり考えている「エゴ」が、あなたを迷わせるのです。

あなたには「意味」があります。

あなたがこの世に生まれてきてくれたから、頑張れる人がいるのです。

小我を捨てて、大我に就きましょう。

苦しい時ほど前を向いて頑張るのです。

諦めたら全てが終わります。

今、あなたの目の前で「運命の振り子」が、可能と不可能の間を往き来しています。

どちらに止まるのか、ではありません。

どこに止めるのか、なのです。

意志ある処、道は必ず拓けます。

一滴の水が意志を持った時に、その流れは「大河」になるということを忘れてはなりません。

旅立ち

開かない扉はありません。

あなたが、「この扉はなぜ開かないのだろう」と本気で悩めたなら、その扉は必ず開きます。

本気で悩んだということは、そこに可能性があったというです。

あなたの無意識が、あなたを別次元に運ぶ可能性に反応したからこそ、あなたは悩んだのです。

悩みの根源は、ふたつしかありません。

ひとつは、可能性。

そして、もうひとつは逃避です。

その分かれ道は、扉の解釈にあります。

その扉を可能性と見れば、勇気が湧きます。

しかし、そんなの無理と見れば、どう逃げるかを事ある度に思って、あなたは勇気を放棄していきます。

人を逸材足らしめていくものは、勇気以外にありません。

勇気を失うということは、全てを失うということだからです。

開かない扉など、この世にひとつもありません。

旅立ちの儀式は、前向きに悩むことから始まります。

後ろ向きに悩んではいけません。

前向きに悩めば、真剣。

後ろ向きに悩めば、深刻。

所詮、目標設定といっても、観念論ではお話になりません。

あなたが目指す別次元のあなたと出会うために、どれだけ真剣に悩んだかだけが、リアルな目標となることを忘れてはなりません。

戦う楽観主義

これが大きな仕事を成し遂げる秘訣なのです。

行き詰まったら、夜明けはすぐそこに来ています。

行き詰まりは「転機」に差し掛かったと解釈しましょう。

人生の進み方は「呼吸」と同じです。

吸って吐いて、吸って吐いての繰り返しです。

力を貯めたら、その力を吐き出さないといけません。

吐き出すから、次の力を吸い込むことが出来るのです。

吐き出した後、果敢に次のステージに行く、即ち更なる「鍛え」のゾーンに自らの駒を進めていくのです。

出来た、出来なかったなど、棺桶に片足を突っ込んだ時に振り返れば、取るに足らざることだったと思うに違いありません。

前へ!前へ!

倒れるなら、前向きに倒れる!

メゲても前向きなゾーンでメゲる。

悩むなら、前のめりに悩む!

命は、人が一番叩かれて出来上がると読みます。

鍛えのなかに自らを置きましょう。

諦めない限りエンドは来ません。

行き詰まりというエンドは現実には起こらないからです。

自分が行き詰まったと「思った」だけです。

気持ちを「戦う楽観主義」というモードにロックオンして、吹っ切れていきましょう。

意志の発動

試練が人を磨き、負荷が人を育てます。

自分に高いハードルを課して、日々自分で自分を追い込んでいける人が、人生の後半戦にきて俄然光ってきます。

力は貯めてこそ、「いざ鎌倉」という時に発揮されるからです。

ただ漠然と毎日のルーティンなことに流されて、忙しい忙しいと心を亡ぼしていれば、最後に行き着く場所は、使い捨てにされた部品の集積所です。

時間の切り売りをどれだけしても、人生は変わりません。

自分自身に投資をするという姿勢を、断固とした決意で確立しましょう。

「意志の発動」という言葉があります。

意志の発動から生まれた行動は、必ず結果をもたらします。

意志とは、何に命を賭けるのかという明確なビジョンです。

意志の発動を理解できない人は、脳ミソを止めて無難な生活、無難な人生を歩もうとします。

しかし、無難な生活はやりくりと我慢の生活であり、無難な人生は他者の意志に翻弄される波乱の人生、即ち使い捨てにされる部品のような人生になるのです。

意志の発動とはビジョンであり、ビジョンとは如何に生きるかです。

生きるとは命を賭けること。

それでは一体、何に命を賭けるのか。

命は可能性に賭けるのです。

命を不安に賭けてはいけません。

磨かれていない命は、迷うばかりで何処にもたどり着けません。

自らに高いハードルを課しましょう。

その時感じる試練と負荷が、あなたを本物足らしめていくからです。

浮き世離れ

社会で活躍されている様々な人たちの話をよく聞くことがあります。

話を聞いていて、彼らに共通する特徴的なことは「夢」です。

「夢じゃなきゃ、やってられない!」

みな一様にこう言うのです。

使命感とは、どこかに「誰誰のために・・せねばならない。」というある種の悲壮感のような響きがありますが、天命にはそれがありません。

夢が天命の正体だからです。

人は夢を見て、夢に魅せられて、一枚一枚自分の要らなくなった古い皮を脱ぎ捨てていきます。

素直な気持ちで、夢を追いかけてみましょう。

夢が語れないのは「致命的」です。

日々の生活をマイナーチェンジすることが夢ではありません。

生きる基準を上げていく。

何があなたの「基準値」になっているのかが、全ての現象の奥に隠されている本質だからです。

一つ一つの細かなことに対処しつつも、その先に何を見ているのかが問われる時代が「今」なのです。

目に映った出来事が真実と思ってはいけません。

それはあなたの肉眼が、単純な生理現象として捉えた映像に過ぎないからです。

肉眼で見るのではなく、心眼で感じることが大切なのです。

一生心配し続けて、悩み続けて、暗く考え続けて、人の悪口を言い続けて、苦虫を噛み潰したような顔で生きる人。

一生ワクワクして、夢に焦点をあてて、悩まず迷わず笑って人生を進む人。

人は問題解決型の人生を歩む人に魅力を感じません。

夢を追いかけて、夢に生きる人に魅力を感じるのです。

真面目に頑張るところは真面目に頑張りながら、少し「浮世離れ」してみましょう。

「夢じゃなきゃ、やってられない!」

これが、世の中をリードしていく人たちの「基準値」だからです。

戦友

「支えるのではない。共に戦うのだ。」

あるテレビCMのフレーズです。

どれだけ人をフォローしても導いても、人はそれだけでは変わりません。

人を泉に連れていくことは出来ても、泉の水を飲ますことは出来ない。

ヨーロッパの諺です。

真の価値ある人間関係は、支え合う関係ではなく、共に打って出る関係の中にあります。

人生の幸せは、何人の「戦友」を得ることが出来るかにかかっているからです。

現役であるということは、人生という「戦場」に立っているということに他なりません。

戦う気持ちを持って戦う。

なんとなく戦っても駄目なのです。

未来を輝くものにしたければ、勝負をしに行かなくてはなりません。

いつまでも支えられていたら、勝負など出来るはずがありません。

気分や気紛れで事に立ち向かっても「返り討ち」にされるだけです。

やると決めたら、一切の雑音を遮断しましょう。

本当にやると決めたことは、知識でもなく、意識でもなく、「胆識」で捉えるのです。

人間最後に行き着くところは、胆力の問題になるからです。

腹をくくって戦う。

戦う気持ちを持って戦う。

そこに、共に歩く戦友が現れてくるのです。

夜明けは近い

チャンスは、文句を言わない人にやってきます。

ため息を一つつくと、幸せが一つ逃げていきます。

人間は40歳を過ぎたあたりから、
それまでの生き様が余すところなく表情に表れてきます。

文句やため息やボヤキや言い訳は、
人の心を劣化させるだけでなく、最後は自分自身を
「被害者意識の塊(かたまり)」のような顔にしてしまいます。

襟を正して、我が天命を見つめ直してみましょう。

あなたがあなたの限界に挑み、
その限界を越えていくことは、
あなたと関わる全ての人たちに良い影響を及ぼすのです。

先日ある方から、こんな教えを頂きました。

「難来るをもって、安楽と心得べき候う」

困難が襲ってきた時こそ、
安心して悠々と立ち向かえということだそうです。

安楽とは
「心身に苦痛がなく楽々としていること」を意味します。

困難は、前進しようとする人にしか起こりません。

命とは、人が一番叩かれると書きます。

成長せんがため、進まんがために
困難という鍛えが宇宙から用意されたのです。

闇が深ければ深いほど、夜明けは近いことを知りましょう。

決断とは、一切の言い訳や文句を断つと決めることです。

一人荒野を行く決意を持つのです。

誰かにフォローされ続けるリーダーなど一人もいません。

あなたがあなたであることを証明するために、
いま目の前にある勝負の舞台から絶対に降りてはなりません。

悪ければ悪いなりに戦うのです。

我が内なる思いに100万ボルトの電流を流して、今日一日と格闘する。

逃げたら終わりです。

戦う気持ちがなければ、勝つことは出来ないのです。

海流

自分の限界に向かって自分が行う「投資」を決断といいます。

決断とは未来への投資を言うのです。

決断こそが、未来への架け橋であると心得ましょう。

お金持ちになりたいのなら、お金持ちになるという決断が必要です。

幸せになりたいのなら、幸せになるという単純な決断を持たなければなりません。

決断という心構えは目に見えません。

しかし、目に見えないエネルギーが形を得て、森羅万象を動かしていることは紛れもない真実です。

よく氷山の一角と言われます。

海面から上に出ている部分は、全体の氷山の僅か10%に過ぎません。

残りの90%は海中に伸びて、海面上に出ている形から海中の氷山の形を想像することは全く出来ません。


氷山の一角に強い風がどれだけ吹いても、氷山が影響されて動くことはありません。

氷山は海面を吹く風に影響されるのではなく、海中を流れる海流に従って動くからです。

海中にある氷山も海流も、目には見えません。

人間もまた、これと同じです。

行動の内側に、その動機として何が流れているのか。

ここが「肝」なのです。

人間は四六時中思っているものになります。

これは理屈ではありません。

四六時中思っていることが、自分を動かしていく海流だからです。

ですから、四六時中の思いというイメージを創っていくことが最大の仕事なのです。

しかしそうだからといって、特別に意識して強く何かを思っても、それはあなたを動かす海流とはなりません。

そうした意図的な思いは、恐ろしいほどここ一番の時には役にたちません。

意図的に強く思うという思いではなくて、瞬間何気にサッと駆け抜ける思いに全てがあります。

これが海流となってあなたを動かしていく、「イメージ」の正体だからです。

本当に実現することは、仕事をしている時も、遊んでいる時も、ご飯を食べている時も、朝起きて歯を研いている時も、何気にふっと思ったことなのです。

あなたは今、何を四六時中思っていますか?

その思いは、その思いのままに、または形を変えて必ず実現します。

自分が四六時中思っていることだけが実現する。

意識が研ぎ澄まされている時は勿論のことですが、ボンヤリしている時も、何が自分の海流となって自分を動かしているのかをもう一度考えてみてください。


その思考こそが、あなたの眠れる意識を再起動させるきっかけとなるからです。

凛として!

「ダイヤモンドは傷付かない!」


自分で自分をどのように位置付けるかが、事に処していく前提となっていきます。

ダイヤモンドは、研磨されればされるほど、最初の原石という姿からは想像も出来ない輝きを放つ存在へと変化していきます。

真の人材も全く同じです。

人は研磨されて、その内面からの輝きを得ることが出来るからです。

自分がダイヤモンドたる自覚を持てば、「今に生きる」という姿勢が、自分の内側に芽生えてきます。

今に生きるとは、「逃げない」ということです。

もしあなたが、今という状況に悲観的であるとすれば、それは今に生きるという覚悟を忘れているからです。

この覚悟を忘れた時、状況は様々な姿に形を変えて、あなたの心に猛獣の如く襲いかかってきます。

その結果、あなたは一つ一つの些細な出来事に振り回されて、傷付いたと感じて、最後は自分の身の周りに起きる全ての現象の原因を、他者に転化することになるのです。

悲観したくなるような状況こそが、あなたの内側を磨く最高の研磨剤であることを自覚しましょう。

あなたがダイヤモンドたる自覚を持てていれば、あなたが傷付くことは絶対にありません。

あなたが何の自覚も持たず、ぼんやり生きていると、あなたは簡単に傷付くことになります。

それは、時代の波に翻弄されることになるからです。

凛とした態度を持ちましょう。

凛とした態度は、意識から始まります。

意識、意識、意識。

只今この時のあなたの意識こそが、全ての原点なのです。

「私は傷付かない」

その理由は、「私はダイヤモンドだから。」

事が起こった時は、「来るなら来い!ひとつ、やってやろうじゃないか。」と気を吐くくらいでないといけません。

ダイヤモンドは傷付かない。

さあ、凛として出発です。

事の起こり

問題が問題なのではありません。

何を問題と思っているかが問題なのです。

悩んでいるゾーンこそが、如実に今の自分自身の器の現れであると認識しましょう。

1センチの物差しで1ミリを測れば、その1ミリは大事です。

しかし、10メールの巻き尺で測れば、それは誤差にもなりません。

様々な形で起こってくる出来事に対して、何を「大変」と感じて反応しているのか。

「大変」には、二つの意味があります。

タイヘン、タイヘンと取り乱して慌てふためくカタカナのタイヘンが一つ。

二つ目は、文字通り「大きく変わる」という意味を体現する漢字の大変です。

人はカタカナのような表音記号で生きると、金属音のする無味乾燥の人となります。

その一方で、出来事の意味を未来の新しい決意に変換出来る人が、時代を引っ張るリーダーへと成長するのです。

目指せば、不思議なことにその瞬間から、今まで気配すら見せなかった事が「問題」として目に映ってきます。

それは問題として目に映るのですから、不安であったり悔しさであったりします。

こうした出来事を問題から決意に変換するフィルターは、「自分自身に対する怒り」以外にありません。

そもそも事の起こりは、心のどこかに抱いた誰かへの「依存」にあったのです。

ここに弱気から出発した「気分的な決意」の本質があります。

ここを未来の戒めに変えましょう。

自分自身に対する怒りは、痛烈な悔しさに直結します。

その悔しさを忘れてはなりません。

その悔しさを命に刻印する。

その悔しさを「資産化」するのです。

自分の魂のステージをワンランク上げましょう。

五体にビンビン電気を流して、何者をも畏(おそ)れず前進するのです。

人生は勝負です。

強気の躓(つまず)きはあっても、弱気の成功は絶対にありません。

悔しさを資産に変えて、目指す処を一点の曇りもなく見つめる中に、魂の成長があるのです。

ムーブメント

不安は、現実を直視した時に解決します。

いつまでも、その状況が続くことはないからです。

現実を見つめることが出来れば、何に不安を感じ、何に困難を感じていたのかが分かってきます。

不安や困難はそのように感じたときに、あなたの心の中で形を持つということを理解しましょう。

不安や困難は、現実には形を伴って存在することなどないのです。

そう感じたから、現実という状況が不安や困難と映ったのです。

森を歩いていて、木のツルを蛇と見ればあなたは即座に飛び退きます。

状況に不安や困難という意味を与えれば、始めは小さなさざ波のような揺れが、やがては自分という確固たる存在をも揺るがすムーブメントへと拡がっていくことを見落としてはなりません。

心に炎を燃やしましょう。

全てを、前進のための薪とするのです。

立ち止まりや撤退はいかなる理由を付けようとも、人生の染みとなって命に刻まれていきます。

そのとき心が逃げたツケは、後日高い代償としてあなたに必ず迫ってくるのです。

故に、本来それ自体に意味を持たない現実に、わざわざ自分を追い込んでいくようなネガティブな意味など付けてはならないのです。

「よし、ここは一つやってやろうじゃないか!」

こう自分にストロークして、その現実に立ち向かいましょう。

為せば成るのです。

成らなかったのは、為さなかったからです。

心に覇気という松明を掲げて、夢と希望を語るリーダーへと共に成長していきましょう。

ファイティングスピリッツ

「世界を変えてやると言った人たちがいた。

世界は彼らを笑った。

しかし、結果的に世界を変えたのは、世界を変えてやると言った人たちだけだった。」

事を成し遂げていく本質的なプロセスが含まれた考え方です。

物事は、「こうする!」とまず思わなければ始まりません。

時には退路を断つが如くに、内なる思いを言葉にして宣言する。

煮え切らない自分自身に喝(かつ)を入れる。

事が前に進まないのは、障害があるからではありません。

自分自身が煮え切らないからです。

根性がないのです。

やり方とか作戦とかをどれだけ追及しても、そんなものは本番ではさほどのことはありません。

気が肝心なのです。

負けじ魂を持ちましょう。

人に出来たことが、自分に出来ない訳がない!

炎の如くにファイティングスピリッツを燃やすのです。

言い訳とヘボプライドでコーティングした「仮面」を、いい加減に剥ぎ取るのです。

まず、等身大のあるがままの自分と向き合う。

そして、言い訳とヘボプライドをかなぐり捨てて、挑戦の旅に出るのです。

山を降りる勇気を持ちましょう。

山を一度降りなければ、更なる高みの山へは登れないからです。

現状維持は、自殺行為に等しい時代となりました。

何故ならば、未来を予測することが無意味な時代となったからです。

今という時代は、「不確実性の時代」です。

故に、未来は予測するものではなく、強い思いで創造するものなのです。

あなたが一人大いなる意志を持って気を吐けば、世間の心ない人々は何の実績も持たないあなたを見て、冷ややかに嘲笑するかもしれません。

しかしその体験こそが、後日大きく実ったあなたの人生の「勲章」となることを忘れてはなりません。

笑う人には、笑わせておきましょう。

陰口を叩く人には、叩かせておきましょう。

雑魚(ざこ)に心を囚われてはいけません。

あなたは次の時代を創る大魚(たいぎょ)だからです。

世界は結局は、世界を変えてやると言い切った人たちが変えたという、紛れもない真実をしっかりと胸に刻むのです。

自分を動かす力

「最初は計算をした。だが、計算を超える何かがあって、それが時代を動かした。」

人が何かをやろうとする時は、意図的な狙いがあって、そこにはそれなりの損得と収支計算があるのが普通です。

まず自分が成功したいから、何かに取り組む。

成功という意味の世界標準は、お金持ちになるということです。

お金持ちになりたい。

人よりいい車に乗り、いい服を着て、大きな家に住みたい。

こうした願望を強く持つことによって、それに向けた行動が始まります。

願望を明確な目標に変える。

その目標を実現するために、具体的な計画を立てて具体的に動く。

こうしたことが、成功への手順と言われています。

しかし、実際に成功する人は僅かな人たちです。

手順は分かっているのに、何故なのでしょう?

そのヒントが、「計算を超えた何か」にあるのだと思います。

計算を超えた何か、それは一体何なのでしょう?

 それは、「愛」です。

成功は計算してアプローチ出来るかもしれませんが、幸せは計算で近づくことは出来ません。

成功は人の心に満足感を与えたときに訪れます。

満足感とは幸福な思いです。

人間は心が充たされることで、次のステージに立ち向かうことが出来る動物だからです。

愛で人と向き合い、愛で勝負する。

 いつも、人の心に満足を与える仕事を心がけましょう。

そこに、計算を超えた何かが生まれてきて、それが自分を動かす力となるからです。

 人を自分の思い通りに動かそうとするのはエゴです。

 大切なことは、人を動かす力ではなく、自分を動かしていく力です。

エゴを捨てて、愛の心で成功を目指していく。

言うは易く、行うは難(かた)しですが、自戒の意味を込めて記しました。

岐路

心の奥底にある意識が本当に受け取った情報は、寸分違わず未来の自分の本質となります。

人生に脈絡などありません。

あるのはいつも「岐路」だけです。

目指せば必ず岐路にぶつかります。

その岐路で求められるものは只ひとつ。

それは「決断」です。

人生を可もなく不可もなくのんべんだらりんと過ごしている人に、岐路が訪れることなどありません。

岐路がないのですから、決断の意味を知るよしもありません。

決断はあなたに、これからあなたが進むべき正しい道を教えます。

勝負の時は、雑音を消しましょう。

勝負の時に、あなたがもし迷っているとしたら、あなたの頭の中が雑音だらけだからです。

あなたの心の奥にある静かな場所を探して、そこで今目の前にある仕事をしてください。

自分と向き合うのです。

但し、向き合う自分は今の自分ではありません。

未来の自分です。

いついかなる時でも真の敵は自分自身であり、闘う相手は自分自身の心であることを肝に銘じることが大切です。

迷ったら原点に戻る。

何のためにここまで歩いてきたのかを、今一度思い出すのです。

真の決断に迷いはありません。

決断とは迷わないことだからです。

勝負の時に迷ってはいけません。

あれこれ考えて頭をこねくり回すより、腹を決めてしまいましょう。

腹を決めて、未来へ立ち向かうのです。

臆病者に未来は訪れません。

心を静めて、我が人生を形創るイメージを呼び覚ましましょう。

イメージこそが、最強の情報なのです。

イメージの変更は運命の変更です。

何が自分を弱気にさせているのかを、今一度見詰めてみましょう。

イメージを強気という絵筆で塗り替えてみる。

奇跡はいつも、不可能という出発点から始まることを忘れてはなりません。

GO!

情報は、受け手のエネルギーの問題です。

同じ情報を聞いても、何も感じない人もいれば、何かをピンと感じてそこからチャンスを紡いでいく人がいます。

チャンスを紡ぐ人は、何かを閃いた人です。

閃くという漢字は、「人が門に入る」と書きます。

人はエネルギーを高めることによって、情報と出会います。

その情報が今まで自分の内側に集積した何かと反応して「力」に変わり、その「力」が人をチャンスのゾーンへと導いていきます。

そのゾーンこそが「門」なのです。

門に入る。

全てはここから始まります。

どのように生きるのかを、いつまでも選んでいてはいけません。

それでは「根なし草」になってしまいます。

根なし草のような生き方は、それ自体が人生の敗北者へと繋がりかねないからです。

隣の畑は青く見えると言いますが、皆そのゾーンそのゾーンで先が見通せない不安を抱えながらも、しっかりと自分自身の根を張って勝負しているのです。

人生に確実な道はありません。

何故ならば、人生は博打だからです。

人生に保証書などありません。

ましてや、あなたに保証書を切ってくれる人は誰もいないのです。

それを覚悟して、門に入るのです。

人生はリスクに溢れています。

しかし、だからこそ面白いのです。

確実なことばかりを追い求めて、リスクを避けてばかりいる人がチャンスを手にすることはありません。

人生は片道切符です。

迷って悩んでも、人生が大きく変化することはあり得ないのです。

迷ったらGO!

ウジウジしているのが一番よくありません。

自信持ってがんばれ!

メンテナンス

ほとんどの人が、感情は放っておいても持続するものだと思い込んでいます。

しかし、感情をそのまま放っておけば必ず消え去っていきます。

感情の一部であるヤル気も、放っておけば必ず消えてなくなってしまいます。

その理由は、感情やヤル気の原形が受動的なものだからです。

何かを見たり聞いたりして感じ入った時など、よく私たちは「感動した!」と思っていますが、実はそうではありません。

「感動した」という行為は能動的な行為です。

私たちは自分自身の意図的な力で感動することなど出来ません。

例えば、朝起き抜けでボーッとしている時に、いきなり意図的に感動することが出来ないのと同じです。

感動したというのは、何かの媒体があって、その媒体が自分に影響を与えた結果沸き上がってきた感情だったのです。

ですから、「感動した」のではなく「感動させられた」というのが正しい表現なのです。

感動させられたという受動的な体験を能動的な体験にシフトさせて、始めてその感動を資産として心に焼き付けることが出来るのです。

それでは能動的な体験とは一体何を言うのでしょうか?

それは「行動」です。

感動したというその感情を、行動に変えることなのです。

誰かにその感動を伝えてみる。

気分が高揚したら、その場その場で即行動に変えてしまう。

人生に、そのうちやるという「そのうち」が訪れることはまずありません。

「そのうち」を待っているうちに、せっかく高揚した気持ちが冷めてしまうからです。

Someday Never Comes !

という英語があります。

「いつかは永遠に来ない」という意味です。

やると決めた人に「いつか」はありません。

頑張ろうとする気持ちをほったらかしにしない。

ヤル気のメンテナンスを常に心掛けましょう。

車にメンテナンスが必要なように、思いにもメンテナンスが必要だからです。

神の一撃

決めれば全てが動き出します。

アマチュアとプロの違いは、この一点における理解の差にあります。

事が動き出さないのは、決めていないからです。

ドイツの偉大な文豪ゲーテは、こう語っています。

「決然たる意思の持ち主は、世界を自分に合わせて形創る。」

これは自分勝手という意味ではありません。

状況よりも意思の問題であるということです。

ここに、天才アインシュタインの逸話があります。

彼は相対性理論をはじめ、宇宙の謎にまで理論的に迫った天才物理学者です。

晩年この天才は、ある単純な質問に悩むことになります。

それはある子供の素朴な質問から始まりました。

「おじちゃん、宇宙ってどうやって始まったの?」

アインシュタインはニコニコしながら、その子に教えようとします。

「それはね、宇宙はね・・」

アインシュタインはその子に語りながらふと思います。

何故?宇宙ってなんで始まったんだろう?

宇宙が始まってからの動きは、様々な事象を研究しながら、様々な法則を発見して解き明かしてきたけれど・・

その始まり。

宇宙って、どうやって始まったんだろう?

彼は考え抜いた結果、ある結論にたどり着きます。

宇宙は何故始まったのか?

「神の一撃!」

これが、天才物理学者の答えでした。

神様がバンと宇宙を叩いた。

この一撃から全てが始まったのだと。

この話の捉え方はさておき、とても感じるものがあります。

何かを始めようとする時、如何なるジャンルの仕事であれ、その道の先達は必ずいます。

あなたがその気になれば、教えてくれる人は沢山いるのです。

しかし、どれだけそうした環境にあなたがいても、それだけではあなたの物語の始まりにはならないのです。

「私はやる!」という断固とした決意、即ち「神の一撃」があなたの胸の中にない限り、何も始まらないということです。

決めなければ、何も始まりません。

しかし、決めれば全てが動き出す。

物語の始まりは、いつ如何なる状況であれ「決める」ことからしか始まらないのです。

行動先行

汝、明日を思い患うことなかれ!

つまらないことを考えて、自ら行き詰まってはいけません。

考え過ぎて行き詰まるくらいなら、いっそのこと開き直ってしまいましょう。

ごちゃごちゃ考えてないで、やるべきことをさっさとやると意識することが、決断することの意味だからです。

行動先行で、弱い心をだまらせる!

開き直って、シンプルにやるべきことを1日に1つやりきることが、確かな明日につながります。

ごちゃごちゃ考えてないで、動くのです。

行動だけが、道を開く唯一の真実なのです。

行動は、あなたを裏切らない!

その状況に潜む真実を引き出す鍵は、行動以外にないことを忘れてはなりません。

バックボーン

「環境は、人を創らない。人を明らかにするのだ」

ジェームズ・アレンの言葉です。

厳しい環境は、そこにいる人に待ったなしの行動を迫ります。

人の行動は意識・無意識に関係なく、その全てがその人の持つ考え方から発せられた結果です。

人生のバックボーンとなるものは環境ではありません。

考え方なのです。

その時、どう動くか!

環境は躊躇(ためら)うことなく、私たちが一体何者なのかを問いただしてきます。

人生には二つのハードルがあります。

一つ目のハードルは、成功すること。

成功とは、お金持ちになるということです。

これが世界標準の捉え方です。

二つ目のハードルは、幸せになるということ。

幸せとは、心の状態です。

それは、「悩まない精神状態」と言えます。

一つ目のハードルをクリアーする基本は三つです。

機械には必ず取り扱い説明書があります。

成功とは機械のようなものであり、まず理解しなくてはならないことは、それぞれのジャンルにおける成功には必ず、取り扱い説明書があるということです。

本当に成功したいのなら、まず実際に成功している人がどういう考え方のバックボーンを持って、具体的にどう行動しているのかを、我が成功の説明書と捉えてしっかり「理解する」ことが大切です。

次に、そうして理解したことを「真似る」のです。

真似るの語源は、「学ぶ」から来ています。

真似るとは、思考を停止した「コピー」ではありません。

自ら積極的に学んで「モノにする!」のです。

最後は、粘り強くやり続ける。

これが成功の取り扱い説明書に対する処方箋です。

「理解する」→「真似る(学ぶ)」→「やり続ける」

例えば、携帯メールで漢字の変換が分からなくても、取り扱い説明書を読んでその通りに操作すれば、誰もが同じ結果が出るのと同じことです。

ただしここで、一つ分かっておかなくてはならないことがあります。

成功は人生の目標であり、目的は幸せになるということです。

成功は素直になって、説明書を理解して、真似て、やり続ければ皆同じ結果が出ます。

同じ結果が出ないのは、素直ではないからです。

ここまでで何が言いたいのか、もうお分かりになりましたか?

即ち、成功は誰もが出来るけれど、幸せになるのとは別次元だということです。

成功は幸せの重要な一部分であって、全体ではないということです。

それでは、幸せとは何か?

幸せとは心の状態と言いました。

悩まない精神状態であると。

それらは一体どこに現れて来るのでしょうか?

それはズバリ「人間関係」に現れてくるのです。

幸せの正体は、人間関係にあると断言できます。

良好な人間関係は、必ず経済的なバックアップをもたらします。

人間関係とは「パートナーシップ」です。

幸せを伴わない成功に、私は興味を持ちません。

幸せを伴う成功への姿勢、在り方とは何か。

それはコミットメントに尽きるのです。

人間関係という「パートナーシップ」にコミットメントするのです。

家族というパートナーシップ。

伴侶、友人、先輩、後輩等々。

あなたを取り巻くかけがえのないパートナーシップにコミットメントするのです。

人生を形創るバックボーンは、考え方と姿勢から発せられる行動に凝縮されると言っても過言ではありません。

人生の全ての意味が凝縮されている、人間関係というパートナーシップ。

そのパートナーシップにコミットメントした時に、目の前にある霧のようなモヤモヤがサッと晴れ渡ることを覚えておきましょう。

このコミットメントこそが、生きる力の源泉となるからです。

クライシス

あなたは自分の不甲斐なさを、心の底から怒ったことがありますか?

「怒りは絶望を忘れさせる」

落ち込んだり、滅入ったり、心配したり、不安になったり、恐れたり、めげたり。

そうした非生産的な心理の背景にあるものは只ひとつ。

それは、暇だからです。

時代は、ただ真面目に会社や国に依存していればよかった「保証」の時代から、誰も何も保証してくれない「自立」の時代に入ったことを、私たちはいい加減に分からないといけません。

例えば、先月の1ヶ月間を振り返ってみて如何でしたか?

ただ何となく自分なりにやれたかも、などというレベルではもう到底間に合わない時代なのです。

あなたの本質である潜在意識は、あなたのとった行動を貫く「本音」を鋭く見抜いて、その本音に相応しい人生を形作っていきます。

不甲斐ない結果であったとすれば、それはそれで済んでしまったことだから切り替えて次にいこう。

これでは、全然駄目。

その不甲斐なさに、心底怒らないといけません。

その怒りを未来への「教訓」として、「資産化」するのです。

何も感じず考えず薄っぺらに切り替えて、それで成長したと思っていることが危ないのです。

そうしたことの繰り返しの先には、絶望というクライシスが間違いなく待っていることを忘れてはなりません。

本気で目指したら、そのゴールへの過程には幾度か必ず不甲斐ない自分自身に対しての怒りがあるはずです。

枯れて物分かりの良くなった大人が百千万人いても、世の中は変わりません。

我が人生に立ち向かう者は、どこか青臭くてよいのです。

悔しさを資産化する。

さあ、出発です。

感じる力

あなたの周りにいる人が素敵な人ならば、それはあなたが素敵だからです。

あなたの周りにいる人が取るに足らざる人ならば、それはあなたが取るに足らざる人だからです。

人はあたかも磁石のように引き合い、向き合った相手に自分を見る生き物だということを覚えておきましょう。

自分を取り巻く環境とか、自分の周りにいる人たちを変えようとしても、そう簡単に変わるものではありません。

環境や他人を変えようとするのではなく、自分を変えるのです。

人は、だんだんと少しずつ変わるのではありません。

ある日を境に、「突然」変わります。

何かを媒体にして直感というインスピレーションが走って、その瞬間、全身に電気が流れて変わるのです。

人は「天命」という、天の命令に従って生きようとした時に変わります。

そのような人には、何人(なんぴと)たりとも敵いません。

使命感をも凌駕するものこそ、天命に生きることだからです。

決意することを、甘く見てはいけません。

本物の決意には、一切の迷いがありません。

一切の迷いがないということは、「囚われない」ということです。

どうでもよいことに囚われなければ、鬼に金棒です。

ですから迷っているうちは、その決意はまだまだ偽物ということになります。

それでなくてもふわふわと雑事に浮気ばかりする「心」を、さらに複雑にしてはいけません。

思いをややこしくしない。

その為には、自分の魂は何をすることが喜ぶのかを真摯(しんし)に考えてみることです。

魂が喜ぶ方向を向いて、今日の一歩を進めていきましょう。

今すぐに、出来る出来ないではありません。

そうした方向を見つめようと思えていれば、それでよいのです。

「本物の思い」というエネルギーは、時空を超えて必ず目的地に届きます。

その思いから、全てが変わっていくことを感じる力を持ちましょう。

自己変革は、感じる力から始まっていくのです。

違和感への挑戦

変えてはいけないことを分かっている人だけが、全てを変えることが出来ます。

時代や状況がどれだけ逆風逆巻く状態であっても、絶対に変えてはいけないことがあります。

それは「信念」です。

信念が風と共に揺らいでいる人に、人は絶対に付いていくことはありません。

リーダーシップは、何があろうとも揺るがない信念から形創られていきます。

リーダーたる者は、時に不利な戦いでも「ノーガード」で打ち合うが如くの気概を持っていなくてはなりません。

打ち合ったあと大怪我をするかもしれませんが、その時のことはその時のことです。

あなたが事に当たってもし緊張したとすれば、それはOKです。

何故ならば、成功の道はプレッシャーの中にしかないからです。

そのプレッシャーを乗り越えた時にしか、あなたが望む栄光はありません。

人の心は状況という縁に触れて「コロコロ」変わります。

何が起ころうが凛として堂々と振る舞う自分がいれば、風の音にもドキドキする小心者の自分がいたりします。

しかし、そうした全てが自分なのだと受け止めた時「覚悟」が現れてくるのです。

何があっても変えてはならない信念と覚悟を心に創って、あとはどんどんやり方・方法を変えていきましょう。

閃いたことは、まずやってみる。

迷ったらやる。

やってみて駄目だったことは、うまくいかない方法を新たに一つ見つけたと解釈しましょう。

今のままじゃ駄目!

これが状況打開のキーワードです。

状況を変えるには、会う人を変えることが大切です。

テンションが下がっている時ほど、テンションの高い人に積極的にコンタクトをとりましょう。

違和感のあるゾーンに「気付き」があるからです。

さあ、1日に一つ「違和感への挑戦」を開始しましょう。

変わらない信念と覚悟が、その違和感の中に宝を見つけ出すからです。

心の棘

進もうとする時は、アクセルを踏もうと焦るのではなく、心のブレーキを解除しましょう。

自分自身の中にある根本的なブレーキとは何か。

そこと真っ向から向き合わない限り、どれだけアクセルを踏み込んでも、いつも同じ処で引っ掛かって、あなたの車は止まってしまいます。

アクセルとブレーキを五分五分で踏めば、必ずブレーキが勝つように設計されているのが人間です。

思いきって前進出来ないのは、その背景に決定的な理由が必ず潜んでいるからです。

要するに、何かに決定的に引っ掛かっているのです。

その「心の棘(とげ)」を抜かない限り、あなたの人生を変えることは出来ません。

人の行為は「作業」と「仕事」の2つに大別されます。

「作業」とは生活の糧を得る行為であり、「仕事」とは人生を変える行為です。

心に棘が刺さっていると、生活は維持出来ても、人生を変えることは出来ません。

「人はパンのみにて生きるにあらず」という有名な教えが聖書にあります。

それは「人は夢に生きる生き物なのだ」という風に思えます。

夢に生きる生き物は、この地球上に人間をおいて他にありません。

夢を語るために、人は言葉を獲得しました。

肉体は滅びても、その魂ぱくは言葉で語り継がれていきます。

厳しい時にも「花」を観る心を持って、夢を語り夢を発信していきましょう。

心に刺さった棘を抜くためには、勇気を持って大胆に夢を語ることが大切です。

いつも小さく考えて小さく動いて、それを自分の常識としても、その報いは小さな自分を形作るところに行き着くのみです。

様々な問題が起こる根本的な理由は、自分がその問題より小さいからです。

その問題より自分が大きければ、問題になりません。

夢を実現する「仕事」を持ちましょう。

心のブレーキを解除して、夢に向けて人生の舵取りをしていこうとまず思うことが大切です。

全ての素晴らしいことは、まず思うことからしか始まらないからです。

絶望しない

「前後左右の進路が塞がれても、まだ頭上の道が空いている。絶望寸前でも活路は必ずある。」

ユダヤの教訓です。

ユダヤ人でトップに上り詰めた人物は、サラリーマン出身よりも、自分で事業を始めた独立自営タイプに多く見られます。

その中でも、一代で世界有数の富を築いた20世紀最大のユダヤ人実業家が、アーマンド・ハマーです。

彼は禁酒法が施行されていたアメリカでジンジャーエールを売って大儲けし、1960年代から油田開発で次々に成功を収めていきました。

貧困から脱出して経済繁栄を掴んだハマーの軌跡は、学ぶべき示唆に富んだもので溢れています。

ハマーの成功の物語には、ユダヤ人としてのユダヤ教の知恵はほとんど感じられないと言われます。

しかし、彼が維持し続けた信念の中には、ユダヤ的な伝統がはっきりと見てとれます。

それは、「絶望しない」ということです。

彼のその信念は、父ジュリアスが座右の銘としていた言葉から生まれました。

「失望に身を委ねる者は、自分自身が最悪の敵になる」

この言葉こそ、ハマーが尊敬した父ジュリアスの座右の銘でした。

これはユダヤの諺を彷彿とさせます。

「事態が良くならないのに、これにしがみつくと、事態はさらに悪化する」

「絶望する者は人にあらず」

ハマーはユダヤ文化を背景とした父の言葉を糧として、常に積極的な行動を心掛けました。

その積極的な行動こそが、成功と幸運を呼び寄せたのです。

成功するためには、成功を信じ抜くことが「必要」であり、逆に言えば、如何なる状況下に於いても絶望しなければ、必ず成功のチャンスは訪れるのです。

最悪の事態になっても絶対に諦めない。

ハマーが成功したのは、この粘り強さがあったからです。

彼の生きざまを通して、ひしひしと伝わってくるものがあります。

それは・・

「成功を信じる力こそが、成功する能力である」

ということです。

心のフラッグ

腹を決めると、今まで見てきた風景までもが一変して映ります。

細かい些細なことが気にかかるのは、これから自分はどのように前進していくのかというフラッグを心に立てていないからです。

大切なことは決断しなくてはなりません。

決断の力は、まず自分自身の力を一変させます。

見違えるような輝きを、あなたに与えます。

自分自身と勝負しましょう。

問題なのは、環境でも状況でも他人でもありません。

他ならぬ自分自身なのです。

気が向いた時だけ猛然と行動し、何か起こるとへなへなと座り込んで意気消沈して撃沈する。

いつも問題の本質も意味も感じようとしないで、自分以外のものを変えようとしている。

環境や状況や、ましてや他の人を変えようとしても、とても変えることなど出来ません。

他者を変えようとするのではなく、自分を変えるのです。

敵は他の何かではなく、自分自身であることを知らなくてはなりません。

敵は我れにあり。

自分自身と厳しく勝負することなしに、明日を手にすることは出来ません。

決断とは迷わないことです。

やると決めたことは、断固とした態度でやりきりましょう。

やらないと決めたことは、何があっても手を出してはいけません。

人生は勝負です。

どれだけ天才的な言い訳をしようとも、決断の力を甘く見てないがしろにすれば、後日大きな後悔となって自分に返ってきます。

迷って悩んでいるのは、決断していないから。

どうせやらなくてはいけないことならば、笑って決断してしまいましょう。

真の栄光はその業績にあるのではなく、自分を修正する力にあることを忘れてはなりません。

最後に勝つ

どう転んでもOK。

これが戦う心構えです。

やることをやったら、あとは悩まない。

「勝敗は武家の常」とは、戦国の武士の習いでした。

どれだけ頑張っても、結果が出ない時があります。

やってもやっても結果が付いてこない時は、「こんな日もあるさ!」と軽やかに切り替えてしまいましょう。

突き詰めるところを間違えてはいけません。

ベストを尽くして、その時やれるだけのことをやって駄目だったのなら、それは「勲章」です。

あのメジャーリーガーのイチローだって10回打席に立てば7回打ち取られ、松坂だって毎試合勝利することなど出来ません。

調子が悪い時はいたずらにそのスランプから脱出しようと焦るのではなく、「ああ、いま私は調子が悪いんだ」とあるがままの調子の悪さを観察することがとても大切です。

調子が悪いということは、自分のなかで何かが間違っていたということかもしれません。

その間違いに気が付かないくらい、心ここに在らずだったのです。

良くも悪くも、自分のあるがままの状況を観察出来れば、取り乱して「今」以外のありもしない仮想の空間に浮気していた心が帰ってきます。

心が今に戻って落ち着いた時、うまくいかなかった現象が学びとなるのです。


人生の目的という視点から見れば「うまくいった、いかない」は、人の世の常であると達観してしまいましょう。

最後に勝てばいいのです。

どう転んでもOK。

こう鷹揚(おうよう)に構えて、一つ一つの小さな事を潰していきましょう。

不動の魂

人は思いを形に変えて、自分が何者であるのかを認識します。

思いを形に変えるためには、やろうとするその事に真剣に心を傾けなくてはなりません。

潜在意識を動かすただ一つの方法は、お金を使うことでも、闇雲に動き回ることでもありません。

それは、真剣に心を傾けることです。

一点の曇りもなく、真剣に心を傾ける。

するとあなたの無意識が動き出します。

動き出した無意識という潜在意識は、あなたが真剣に心を傾けた「ただ一つのこと」を実現するために一心不乱に検索を開始します。

その瞬間、あなたの内側で何かが変わり始めて、それはやがてあなたの心構えとなって現れてきます。

「出来たらいいなぁ」という曖昧な願望から、「私はやる!」という決意に変わり始めるのです。

しかし、まだその決意は形になって現れてはきません。

決意の行動を突き詰めて、あなたは次のステージに至ります。

決意から自覚へと移行するのです。

自覚した行動は結果を引き寄せてきます。

その結果を積み重ねていくうちに、自覚が使命に変わっていきます。

使命感に溢れた行動は、あなたをさらに次のステージへと導いていきます。

使命から天命へ。

人は大宇宙から我れ一人に付与された仕事に没頭する時、何者をも恐れない自分を構築することが出来ます。

天から付与された命。

命とは、人が一番叩かれること、と書きます。

天命に生きるとは、宇宙があなたを一番叩くなかで、もう止めようもう止めようと思いながらも続けてきた行動の中に潜んでいます。

そこにあなたの本質である「不動の魂」があるからです。

あなたをあなた足らしめる唯一のゾーンは、宇宙があなたという人を一番叩くゾーンにあるのです。

そうであるが故に、試練を感じたことそれ自体が正解だったのです。

その試練から逃げてはいけません。

さらに言えば、その試練が天命であれば、あなたは逃げることなど出来ません。

我が人生、ここに極まれり。

この思いで、今日の試練に立ち向かっていきましょう。

私たちは生きているのではなく、生かされているのです。

ですから、心配しなくても死ぬ時までは死にません。

決意から自覚へ。

自覚から使命へ。

そして、使命から天命へ。

この境地に我が魂は不動の安定感を持って、私たちを守護しています。

魂の喜ぶ仕事をしましょう。

そこに、自他共に味わえる充実感があるからです。


キッカケ

今あなたがどのような状況に置かれていようとも、その状況がそのままずっと続くことはありません。

状況は必ず変わります。

今どれだけ最悪の状況であったとしても、その最悪は続きません。

それと同じように、今どれだけ絶好調でも、それにかまけて何もしなければ、その絶好調という状況は必ず内側から腐ってきます。

こう眺めてみると、今という状況が良かろうが悪かろうが、結局前に進むしかないのです。

人は心が折れたときに立ち上がれなくなり、心が止まったときに真底疲れを感じます。

昨日までの事は、昨日までの事。

スパッと切り替えて、自分自身に気合いを入れ直しましょう。

出来る人の思考回路を観察してみると、彼らの考え方に共通して多く見られるものは、意外なほどアナログであるということです。

どれだけ科学が進歩しITの技術が発達しても、最後の砦は人間であることに変わりはありません。

人間の基本的な悩みというものは、恐らく平安時代から変わっていないのではないかと思います。

真面目に頑張ろうとするから、悩んで、囚われて、もがくのです。

そうしてみると、全ては気持ちの問題でした。

気持ちが萎えたら、行動も萎えて、人生も萎(しな)びてきます。

出来る人たちは、いつも「頑張るキッカケ」に敏感です。

どんな事でも、始めるにはキッカケが必要だからです。

キッカケを設定出来ることは、凄い能力であるということを覚えておきましょう。

キッカケとは、心にスイッチを入れる舞台装置です。

それは、まず人です。

あなたは、自分の心にスイッチを入れてくれる人を何人お持ちですか?

人間という漢字は、人の間と書きます。

心は人と人との間にあり、その空間で磨かれていくことを忘れてはなりません。

ですから、結局人生は誰と繋がっているかなのです。

成功に欠かせない要素は「ノウハウ」です。

しかし、幸せになるために必須の要素は「ノウフー」なのです。

何処に行くのかより、誰と行くのか。

ここに生きる意味が潜んでいるに違いありません。

健全な危機意識

仕事において気になることは、シビアに状況を分析しなければなりません。

厳に戒めなければいけないことは、自分に都合のよい甘い読みをすることです。

仕事というのは、必ず人が絡みます。

昨日の自分と今日の自分が違うように、人間というのは不確定要素に満ちていることを知らなければなりません。

それは、時々刻々と動く状況にも同じことが言えます。

自分の仕事は、このままいけばどういうトレンドで推移していくのか。

「傾向と対策」を、大丈夫なうちにしっかりと策定しておくことが大切です。

優秀な経営者は、温和な表情の奥に、常に「有事」に備えた心構えと対策を持っています。

仕事において、気にかかっていることを放置してはいけません。

場合によっては最悪を想定したうえで、その最悪を回避出来る対策を計画的に実行していきましょう。

「虫の知らせ」という言葉があります。

「虫の知らせ」を馬鹿にしてはいけません。

こうしたことを考えるのは、決してネガティブ思考ではないということも覚えておきましょう。

真のポジティブ思考は、「健全な危機意識」に支えられて機能するからです。

このまま行けば、避けて通れない危機が想定されるのに「何とかなるさ。」とお気楽に思考を停止する人は、ただの陽気な人です。

危機に無策な人は、必ず滅び去ります。

危機に、事前に対処出来る能力を研きましょう。

気になる問題に、その息の根を止める急所の一手を事前に打つのです。

夢と希望に向かいながらも複眼の発想で、問題が肥大化する前に対処することも、立派な経営であることを忘れてはなりません。


願望

成功に対する考えは、意識と無意識では全くあべこべになっています。

いくら意識では成功を恐れていなくても、心の奥底では、自分は成功に値する人間ではないという感情が支配している場合が少なくないからです。

心理学の研究から、成功を拒否する姿勢は後天的なものであり、「あなた以外の人間が、あなたの持つ願望は社会的に受け入れられるものではない」というサインを出している状況で起きる反応であることが明らかになりました。

1989年、英国のマイケル・E・ハイランドという心理学者は、成功を回避するのは妥協のためであるという説を提起しました。

要するに、二つの矛盾する目的の間に起こる葛藤の結果だというのです。

例えば「出世する」という目標は、「人とうまくやっていく」という目標と矛盾してしまう可能性があり、人とうまくやっていくことに比重を置くと、成功を回避してしまうことになると主張しています。

複数の目標の間にこの手の矛盾が起きてくれば、人間はどちらか一方の目標を選択しなくてはなりません。

一つの目標を達成するためには、もう一つの目標が達成出来ないように行動する必要があるからです。

成功を回避する行動をとるのは、必ずしも成功を恐れたり、自分が成功に値しない人間だと思ったり、社会的に受け入れられないと思っているからとは限りません。

成功以上にもっと強く望んでいる目標、言い換えれば、失敗の原因となる行動を取ってしまう「何か」があるからであると言った方が正しいのです。

「失敗」の原因となる行動は、私たちの抱く願望とは相反しているように見えますが、ハイランドの理論が正しいのなら、実際には成功以外の目標をうまく達成するための方法とも解釈できます。

成功を避けるのは、成功しないように自分で決めたからで、成功を避けているように見えながら、実際には成功したくないという願望を達成しているということに他ならないのです。

そのことが理解出来れば、あなたはすでに成功しているとも言えます。

宇宙に内在する成功メカニズムのパワーは強力であり、いつも太陽光のように私たちに平等に注ぎ続けられていて、私たちが真に望んでいることを実現してしまうという法則を受け入れましょう。

そうであるがゆえに

あなたが真に望めば、それは実現します。

あなたが真に望まなければ、それは実現しません。

今、あなたの目の前で実現されようとしていることは、あなたが真に望んだことであるという真実を忘れてはなりません。

区別

あなたが本当にやりたいことは何ですか?

あなたは、自分が本当にやりたいことを考えたことがありますか?

やらなければいけないことと、やりたいこと。

ここがどのような人生を送るかの「分かれ道」なのかもしれません。

ここをしっかりと押さえるために、理解しておかなければならない大切なことがあります。

それは、「心」と「魂」は違うということです。

私たちが心という言葉を使うとき、それは変化するものとして扱われます。

人の心とか経営者心と言った時には、毎日の仕事や人間関係の機微に揺れ動く「人の心情」というニュアンスがあります。

もし、自分の心を1日じっくり観察することが出来たなら、その心にはおびただしい数の考えが浮かんでは消え、とてもその思いや考えの量は数えられるものではありません。

心という言葉の語源にはいくつか説がありますが、そのなかの一つに「コロコロ」変わるという説があります。

心は、同じ人に対してもコロコロ変わります。

例えばある経営者が、何を指示しても飲み込みの悪い不器用な社員を、近いうちに辞めさせたいと思っていたとします。

その矢先に、その社員が大きな契約を取ってきました。

すると途端に「やる時はやるじゃないか!」と、そのダメ社員への評価がガラリと変わったりします。

また、部下は上司に誉められると良い上司だと思い、叱責されるとこんな会社なんて辞めてやると思ったりします。

人というものは投げかけられる言葉によって、心をコロコロ変えるのです。

また、配偶者や親にいちいち干渉されると腹が立ち、病気になって看病してもらうと急に感謝の気持ちが湧いてきたりします。

その時その時の状況や感情しだいで、心は常に揺れ動かされているのです。

一方、職人魂、役者魂、スポーツマン魂という時の「魂」は、強くて動かない確固たるものです。

また、「魂を入れて仕事をする!」とか「一球入魂!」という言葉は力強さと本物さが感じられ、その響きから「魂」という言葉は、揺れ動く「心」とは対照的に使われています。

このように私たちの日常の言葉のなかには、既に心と魂の区別が無意識のうちに行われているのです。

そしてこの区別にこそ、私たちの人生を大きく分ける重要な要素が秘められていることに気付かなければいけません。

これからの真の人生を探究するためには、心と魂の領域が「自分自身の中」に区別されていることが必要なのです。

「心」と「魂」は、共に目には見えない、人間の霊性の領域であることを理解しましょう。

この二つは似ているようで非なる領域です。

両者の機能は全く異なるからです。

心とは人間の感情を司るものであり、揺れ動く領域のことで、魂とは人間としての一貫性を司る「何か」が存在する領域を意味しているのです。

心は変わり、魂は変わらない!

仕事や人間関係をより良く向上させていくためには、この「心」と「魂」を明確に区別することが大切なのです。

リスタート

成功は能力が決めます。

しかし、幸せは性格が決めます。

ですから、自分がどんな性格になりたいのかを考えるということはとても大切なことなのです。

あなたは、どんな性格になりたいですか?

こういうことを言うと、まずそのためには自分自身を見つめることだと思うかもしれませんが、実はそうではありません。

大切なことは「自己イメージ」にあります。

これまでの自分の自己イメージを、一度思いきって吹っ切ってみることにあるのです。

現在の自分を見つめるのではなく、本当にこんな性格だったらどんなに楽しくハッピーだろう、と思える性格に焦点を当ててみるのです。

心の中に、具体的に絵を描いてみてください。

大切なことは、こうして描かれた内側のイメージは、どんなことでも心の奥の奥の奥で種となって蒔かれ、あなたの知らないところで手塩にかけて育てられているということです。

この種こそがイメージであり、このイメージは必ず具体的な行動となって外側に現れてきます。

あなたがこの世に生を受けてから今日に至るまで、現実にしてきたことの全てが、あなたの内側のイメージの投影であったことを理解しなくてはなりません。

あなたは気が付いていないかもしれませんが、あなたはこれまでずっと多かれ少なかれ自分自身をイメージして生きてきたのです。

例えば、自信があるとか無いとか、暗いとか明るいとか。

そして、そうしたイメージに基づいて行動し、あなたという性格を形創ってきたのです。

あなたがこの世に生まれてきた「意味」を、最後の最後に埋めるもの。

それは、性格です。

自分がこの世に存在している目的を満足させることの出来る性格は、自分の力で選択出来ることを知りましょう。

性格はイメージで変えることが出来るからです。

このことを疑うのではなく理解した時に、あなたの理想とする人生の再出発(リスタート)が始まります。

それこそが変化の始まりであり、その変化こそがミラクルを引き寄せるのだということを受け取りましょう。

必ずあなたの中で、何かが変わります。


切り拓く覚悟

幸せになっている人に100%あって、幸せになっていない人に100%ないもの。

成功している人に100%あって、成功していない人に100%ないもの。

それは、一体何でしょう?

それは「覚悟」です。

覚悟とは、自分自身の究極の在り方であり、生き方における終(つい)の栖(すみか)を意味します。

「波浪は障害に会う毎に、その頑固の度を増す。」

何事かを為さんとする自らの意志を波浪に例えて、どんな障害が目の前にあろうとも、何回も何回も寄せては引きながら永々と打ち寄せて、岩をも削るが如きの思いの強さを感じさせる言葉です。

本物は、障害に遭って強くなります。

本物は、困難を試練と捉えて、如何なる風圧にもたじろぐことはありません。

まず思う。

私は本物なのだ。

こう思うところからしか、真実の物語は始まりません。

何事にも動じない、強い決意を持ちましょう。

頑張っているレベルでは知る術(すべ)もありませんが、本気で目指し始めると、ただそれだけで薄々感じてくる大事なことがあります。

それは、「決められたゴールは変更することは出来ない」という人生の真実です。

あなたは、本当は知っています。

今、何をするべきで、何をしてはいけないのかを。

逃げてはいけません。

逃げても、それがあなたが行くべき道ならば、堂々巡りをした後、又あなたはこの道に戻ってくることになるからです。

人生は、どこでどのように腹を決めるかで決まります。

頭をこねくり回すより、腹を決めてしまいましょう。

逡巡(しゅんじゅん)をどれだけ繰り返しても、それは経験にはなりません。

何かに直面する度に、ぐずぐずして、ためらって、しり込みする。

これを逡巡といいます。

迷った時は、勇気のいる道を行きましょう。

これが、人生を切り拓いていく覚悟だからです。


あなたへ

何かを決断してやるということは、何かを決然として断つということです。

進むとは、捨てることだからです。

まず弱気を捨てましょう。

そして、漠然とした不安を払拭(ふっしょく)してしまいましょう。

人生を勝ち取るために、忘れてはならないことがあります。

それは、「人生は精神戦である。」ということです。

考えても仕方のないことは考えない。

今やれることを、本気で全部考えて、本気で全部やる。

やる気と本気は違います。

やる気の人は、最後は自己満足で終わります。

しかし、本気の人は結果に焦点を絞ってやりきります。

やる気のキーワードは「こなす」ことであり、本気のキーワードは「達成する」ことです。

気持ちが後ろを向いた瞬間、全てのエネルギーは消え去ります。

全てのエネルギーが消え去れば、運も離れていきます。

人生を戦いと見れば、戦いの要諦は、その時の戦いが糧になったのかどうかです。

次の戦いの展望が拓けるような戦い方をしたのかどうか、ということが大切なのです。

勝ち負けは時の運ということもありますが、勝つにせよ負けるにせよ、そうした勝ち負けよりも、真剣に勝負したその気持ちこそが、自分自身の人生を形創る財産になることを忘れてはなりません。

今、もしあなたが行き詰まりを感じているとしたら、その閉塞感を一気に吹き飛ばすものは、あなたの考え方にしかありません。

捨てるのです。

今まで漠然として続けてきたことの一つを、思いきって捨ててみるのです。

捨てるには勇気が要ります。

決断とは捨てることです。

今日は、あなたへのエールをもう一つ贈ります。

いいですか。

素直に、心して聴いてください。

「あなたは大丈夫です!」

「だから心配しないで!」


さあ、出発してください。

決断の力

人生を前に進める力の本質は、「決断力」です。

時は昨日から今日、そして今日から明日へと流れていきます。

一見、連続的につながっているように見えますが、実はそうではありません。

「何時何分を境に」という訳にはいきませんが、昨日は昨日であり、今日は今日であり、また明日は明日なのです。

そうであるが故に、昨日と今日の連結に失敗すると、人は不安定になります。

その揺らぎが揺らぎを呼んで、明日へと続く確かな自分を保てなくなってくるのです。

それは、過去に囚われて、一瞬のなかに永遠を内在する今という「時」を、過去という原因が産み出した「結果」としてしか解釈出来なくなってしまうからです。

過去はいくら力んでも、その事実そのものは変えようがありません。


一つ手立てがあるとすれば、それは「眺め方」を変えることくらいです。

これも理屈としては美しいのですが、過ぎ去った過去をいくらほじくり返しても、やはり後悔の念の方が大きいのが普通の人なのではないかと思います。

過去の眺め方を変えるのではなく、今の眺め方を変えましょう。

今を過去の結果と捉えるのではなく、未来への「原因」と捉えるのです。

結果はそれ自体をいくらいじくり回しても、簡単に変わるものではありません。

結果は、その結果を産み出した原因を変えない限り変わらないからです。

ですから、今を過去からの結果と捉えるのではなく、未来への原因と捉えるのです。

視点を180度変えましょう。

過去を自分のイメージから追い出してしまいましょう。

それが「決断」なのです。

決断とは、未来を決めて過去を断ち切ることと読みます。

過去を断ち切ることなんて、そう簡単には出来ない。

こう思うのは、あなただけではありません。

何故ならば、過去の良いことも、悪いことも、全て含めて今の自分があるからです。

では、決断とは一体何を意味するのでしょうか?

 それは・・

決断とは、思い出さないことです。

過去を断ち切るとは、ただ単純に思い出さなければいいのです。

今やろうとしている事だけに、真剣に心を傾ける。

 これだけのことです。

これだけ、たったこれだけのことで、今が未来への原因に変わります。

決断の力。

分かってしまえばとてもシンプルなことですが、この力だけが自分自身の人生を、輝く未来に進めることを忘れてはなりません。

誰とどのように・・

何処に行くのかが人生ではありません。

誰とどのように行くのかが人生です。

人生で最も大切なこと。

それは、自分にとっての「確かさ」です。

あなたにとって、「確かなもの」とは何ですか?

形あるものは、いつか朽ちます。

朽ちてゆくものに、確かさは宿りません。

前に進もうという思いの力が縁という不思議を呼び、その不思議が出会いを紡(つむ)ぎ、その出会いを絆に変えてはじめて心が通い合います。

心が通い合った人と人との間に、何事にも替えられない「確かなもの」があるのではないかと思います。

ですから、ただ出会っただけでは勿体ないのです。

縁を絆に変える力を持ちましょう。

思いの力を信じてみましょう。

思いの力は時空を超えて生き続けるからです。

自分にとっての「確かなもの」をしっかりと分かっている人は、少々の出来事に動じることはありません。

確かなもの、それは思いの力を信じた心にあるのです。


如何なることにおいても、最後の最後は気持ちの問題であり、思いの強さの問題であることを忘れてはなりません。

任務

技術が一流でも、意識が二流なら、その人は二流の人です。

意識が一流でも、行動が二流なら、その人は二流の人です。

頑張ろうとする気持ちが具体的に自分を動かしていきますが、その頑張りが次のステップに昇華しなくては結果は出ません。

弱気と強気、悲観と楽観が交錯する百年に一度と云われるこの不況の時代を乗り越えるためのファースト・ステップは何かと問われれば、それは心意気です。

しかし、そうした心意気から発せられる「頑張ります!」という合言葉だけで乗り切れるほど、今の時代は甘い時代ではないことも事実です。

成功へのセカンド・ステップは、心意気からビジョンへ移行しなくてはなりません。

ビジョンを旗印に進む合言葉は「目指す!」ことです。

具体的に目指して進むこと以外に、この時代を乗り切ることは出来ません。

頑張りは気分であり、目指すことは決意に裏打ちされた具体的な行動だからです。

あなたの人生を根本的に変えるものは、今、あなたの目の前にある課題であることを強く強く意識しましょう。

あなたがあなたである事を証明するための絶好の機会が、今、目の前にあることを自覚するのです。

「やる!」と決意した気持ちが自覚に変わった時、あなたは本来自分に備わっている自らの神々しい精神性に気付きます。

その精神性こそが、不可能を可能にする、何人たりとも侵すことの出来ない不滅・不変のエネルギーであることを理解しましょう。

さあ、そろそろ目を覚ましましょう。

そろそろ、任務に就くのです。

いつまでもメソメソと、取るに足りない雑事に振り回されていないで、人生を変革する行動を開始するのです。

その始まりの時が、今日という一日なのです。

気づき

如何なる分野であれ、本当に成功したいのなら、真剣に目指している人たちの輪に入ることが大切です。

真剣に目指している人たちの共通項は、見ているものと見えているものが違うというところにあります。

人は、自分にとって重要なものしか見えていません。

価値観の変更とは、見えている重要なものの変更をいいます。

重要なものの変更とは、イメージの変更です。

イメージとは想像力です。

想像力は、誰と関わるかでその出来上がり方が違ってくることを知りましょう。

人間の成長は、当たり前のレベルを上げようとすることから始まります。

それは、自分自身の基準値を上げるということに他なりません。

言うまでもないことですが、人というものは自分以外の誰かの影響を受けて、その影響があたかも自分自身で築き上げた常識であるかのように信じて行動しているのです。

よくよく観察してみれば、自分の思考形態も行動パターンも、それらほとんど全てが、今まで関わった人たちから直接的・間接的に受けた影響でした。

この事実を受け入れた時、如何に関わる人が重要であるかが分かります。

価値ある全てのことは、真剣に目指すなかでしか形作られることはありません。

全て、「人」に尽きるのです。

目標が達成出来ない自分が常態化しているとすれば、その大きな原因は、目標達成を真剣に目指していない人たちに囲まれているからです。

一つ覚えておかなければならないことがあります。

それは、あなたが真剣に目指し始めれば、目指していない人たちと一緒にいることが苦痛になってくるということです。

例えて言えば、年収200万円の人が、年収2,000万円の人と一緒に居ると辛くなってくるようなものです。

自分自身の心の奥底にある基準値、即ち当たり前のレベルを変えましょう。

真剣に目指す仲間と群れてみましょう。

その違和感こそが、あなたを根底から変革する「気づき」となるのです。

コミットメント

“一日一日が大事。

一日一日が決戦。

今、戦わずして、戦う時はなし。

今、戦うことが、後日の幾百倍の価値のあることを知れ。”

人生は、進まんがために敢えて一歩踏み止まる時もあれば、ままよと打って出る時もあります。

刻々と変化する状況の中で、その攻守は時と処を変えて、目まぐるしく入れ替わります。

激動激震の時代は、もはや私たちがあやふやな態度を取ることを許しません。

あなたには、時代の足音が聞こえますか?

短期的な目で出来事を眺めれば、勝ったり負けたり、思い通りにいったり、いかなかったり。

しかし、いつの時代も真の強者が見つめるものは、その戦いの終盤戦であることを忘れてはなりません。

よいことも、悪いことも、終盤戦の勝負処に向けて、それら全てを彼らは力に変えるのです。

その力の本質は、「コミットメント」以外にありません。

押し寄せる激流に、一人凛として立つ気迫を持ちましょう。

状況がどうのこうのと、その状況から出発するのではなく、決意から出発するのです。

宇宙はあなたに、あなたが今超えなければならない課題を用意したのです。

決意に勝る力は、この世に存在しません。

やらない理由を、どれだけ精緻な理論で組み立てても、所詮それは言い訳であり泣き言でしかないことを理解しましょう。

もう、進むしかないのです。

やるか、やらないか。

進むのか、引き下がるのか。

単純な二者択一です。

生きる意味が、感動を味わうことであるならば、感動は前にあるものであり、後ろにはないということを知らなくてはなりません。

怖じ気付いて引き下がっても、そこに感動はありません。

決意して、前に一歩を踏み出す先に感動はあるのです。

全てが一人の本気の決断から始まります。

思いの力は時空を超えるのです。

さあ、前進です。

こころ

状況はすぐには変わりませんが、心構えはすぐに変えることが出来ます。

目に見える変化は、目に見えないところを変えなければ始まりません。

同じ景色を見ていても、その景色から何を感じているのかが積もり積もっていって、抜き難い人間力の差になっていきます。

人は何らかの仕事に関わって「商売」をしていかなければ、家族を養っていくことは出来ません。

商売ですから、売らなければなりませんが、本当に売れ続けているものには必ず理由があります。

それは、「こころ」という物語が必ずあるということです。

スピリッツが大切なのです。

伝えるものは技術なり、商品なり、マーケティングかも知れませんが、真に伝わるものは「あなた」であることを忘れてはなりません。

物語はいつも、今から、ここから始まります。

最初の一歩に、全ての成功の種があることを自覚しましょう。

苦しい時ほど前を見る。

状況がどうのこうのと言っているようでは、もうそれだけで遅れをとっていることに気付きましょう。

今という状況を過去からの結果と見れば、諦めが先に立ちます。

今という状況を、未来への原因と見れば、決意が湧いてきます。

人は、状況をどう見るかで変わることが出来るからです。

心に発電機を持ちましょう。

たぎるような溶岩にも似た熱い思いで、一日に一つ、やるべき課題を完了していくのです。

やるべきことは、笑ってやる。

奇跡はいつも、不可能という出発点から始まります。

支え合う仲間と、共に戦う仲間。

全てが我が一念から始まることを深く胸に刻み込んで、「こころ」の物語を記していきましょう。

没頭没我

違和感こそが気付きです。

やり慣れたことばかりしていても、何かに気付くことはありません。

表面上は同じことの繰り返しが毎日の中で続いていきますが、そこに意識を走らせた時、必ず気持ちのどこかに微妙な電気が流れ始めます。

あなたは今日一日、何がメイン業務なのかを意識していますか?

潜在意識を起動させるには、まず顕在意識を働かせなくてはなりません。

意識を叩き起こしましょう。

まず思わなければ、何事も叶わない。

全ての出発点はここに尽きます。

本当に思ったことは、必ず実現します。

本当に強く思ったことは、一念に変わるからです。

一念岩をも通す。

今、自分の目の前にあることに心を込めて、真剣に全身全霊を傾けていく。

目指す一点だけを見つめて、他のことに意識を配分しない。

没頭没我の境地の中に閃きが起こり、道は自ずと拓けてくることを理解しましょう。

あなたが今日やろうとすることに、真剣に心を傾けましょう。

万物の中で、人間だけが思いの力を持ち、その思いの力が物事に意味を創って進化発展してきたことを見落としてはなりません。

そうであるが故に、人間だけが思いの力で運命をも変えることが出来るのです。

決意は目に見えませんが、人の心を揺り動かすものは決意以外にありません。

心にスイッチを入れて、この五体に強烈な電流を流しましょう。

結局最後は、「私はやる!」と決めた人だけが、何事かを成し遂げていることを忘れてはなりません。

統計学

失敗と書いて成長と読みます。

意気込みを知恵に変える特効薬は、失敗です。

物事は、初めからうまく運びません。

どれだけ完璧に準備をしても、最初から思い通りには通じないのです。

失敗という経験をして、そこで心底悔しいと思ったことが人間の軸を創ります。

一本筋の通っている人は、そうして出来上がってくるのです。

挑戦しない限り、人生の展望が拓けてくることはありません。

挑戦とは失敗を、自分自身のオリジナルな「統計学」に発展させることに他なりません。

こういう場合は、こうした方がいい。

こういう場合は、ああした方がいい。

こういう場合は、じっと動かない方がいい。

これが、失敗から得た統計学です。

あなたが真剣に目指している限り、失敗こそが限りない成長の源泉となるのです。

そうであるが故に、失敗するなら「ちゃんと失敗する」勇気を持ちましょう。

「毒を喰らわば皿までも。」

やると決めた時は、この心意気が大切です。

失敗とは成長です。

三振するなら、思い切りバットを振って三振しましょう。

見逃し三振が一番もったいないことを自分自身に言い聞かせて、一日一番、自分の相撲を迷いなく取り切っていきましょう。

迷わず

思いを力に変える。

人生はただ頑張っても、たどり着くことは出来ません。

自分がどこに向かおうとしているのかを、再確認することが大切です。

たどり着こうとする場所をハッキリとイメージして、じっくりと構えて、我が思いを力に変えるのです。

漠然と力むのではなく、落ち着いて、何にどう頑張るのかに意識を向けましょう。

「選択と集中」という言葉を自分に言い聞かせて、やると決めた一つのことに、迷いなく取り組んでいくのです。

一度決めたことはやる。

そこでやっぱりやるかどうか、もう一回考えているようでは、何をやっても到底覚束きません。

実は、人生を大きく変えるような重大な事は、そこで考えていたら逃してしまいます。

考えるのではなく、感じることが大切なのです。

心を解き放って、自分をこの世に存在させ、守り、育んでくれた大いなる力を信じてみましょう。

頑張ることが明らかになったら、心することは一つだけです。

信じて頑張る。

これだけです。

信じて頑張った努力は、必ず報われます。

この精神状態に入った時、はじめて思いが力に変わるのです。

結局人間は、合理的に物事を考えて、最後は不合理に生きています。

人生の大切な局面では、そうした不合理をつなぎ合わせていく力しか通用しないことを忘れてはなりません。

思いの力は時空を超えます。

迷わず行ってください。

大丈夫、全ては予定通りに進んでいます。

二種類

人間には二種類の人しか存在しません。

それは、「人に影響される人」と「人に影響を及ぼす人」の二種類です。

いつもいつも、人に引っ張られて毎日を生きるのか。

それとも、人を引っ張りながら毎日を生きるのか。

意識するしないに関わらず、私たちはこの狭間で生きていることを認識しなくてはなりません。

成功を目指すのなら、人を引っ張っていく側に立とうしない限り、その実現は困難なものとなります。

人生はパフォーマンスです。

言い換えれば、人生とは何を演じ切ったのかということなのです。

私たちは、人生を切り拓いていこうとする時に、一つ心しておかなければならないことがあります。

それは、何かをやろうとすれば、決まって陰口を叩く人がいるということです。

その心ない陰口に影響されるのか、それともその陰口をバネにして前に進むのか。

ここで、知っておいた方良い真実があります。

それは、あなたの陰口を叩いている人は、自分ではあなたの上に立ってあなたを評論しているように思っているかも知れませんが、実はそうではないということです。

あなたの陰口を叩く人は、実はあなたに影響されているのです。

完全に一目置いているのです。

例えば、ある人がセミナーに参加費を払って出席したとします。

そこでこの人は、講師の話を批判的な態度で、とても大人げない聞き方をしていたとします。

この人は、自分の中に無意識的にある自己アピールの欲求を、その講師への敵対的ともいえる批判的な態度の中に表現しているのです。

この人は、明らかにその講師から影響を受けたのです。

影響を受けた人は、そのセミナーに参加費を払って、その講師の話を聞きました。

どれだけ批判的な聞き方をされたとしても、講師はその批判的な人からセミナーの参加費をもらってパフォーマンスしました。

方や、参加費を払って、人を批判した人。

方や、参加費をもらってパフォーマンスをした人。

人を痛烈に批判して陰口を叩けば叩くほど、自分の生命力を相手に吹き込んでいることを忘れてはなりません。

人に良い影響を与えたことだけが、成功の原因となることを覚えておきましょう。

かすり傷

折れない心を育てる。

敗れ去る時は、外側から受けるダメージで敗れるのではありません。

敗北の真の理由は、心が折れたことにあります。

モノにならない人は、何か起こると簡単に腰砕けして、簡単に心を後ろに向けてしまいます。

問題が起こると、その問題を冷静に観察することを忘れて、問題それ自体に自分自身の全権を預けてしまうのです。

その結果、本当は大した問題ではないかもしれない現象に振り回されて、まるで犬猫のようにそのことにだけ囚われて支離滅裂になって大騒ぎして、最後は一人で疲れている。

事がうまく運ばない真の理由は、自分の内側にある心をコントロール出来なかったことにあります。

心をコントロール出来なかったから、簡単な罠(わな)に落ちたのです。

人生の一大事は、生死の問題だけです。

死ぬこと以外はかすり傷なのです。

ここがちゃんと理解出来ていたら、その人の人生に困ることは起こりません。

心が折れるような事態はあり得ないのです。

心をもっと強くする訓練を積みましょう。

目に見える現象を変えたければ、目に見えない心を変えなくてはなりません。

心が出来てくれば、物事の本質が見えてきます。

心を創るためには、まず落ち着きを意識することが肝要です。

慌てないで、じっくり、ゆっくり。

心眼で物事を眺めれば、あなたが慌てなくてはならない理由など何もないことに気が付くはずです。

大丈夫、全ては予定通り順調に進んでいます。

生生流転

時は容赦なく生き方の変更を迫ります。

「生生流転(しょうじょうるてん)」という言葉があります。

万物が永遠に生死の間を巡り、絶えず変化し移り変わってゆく様を意味します。

これを英訳すると以下のようになります。

All things are constantly changing !

全てのものは、絶え間なく移り変わるという意味です。

変転極まりない事象と絶えず揺れる人の心。

そのなかで、如何に生き方の軸を持つことが重要なことかを感じます。

順風満帆で進める時があるかと思えば、思わぬトラブルに見舞われて立ち往生する時もあるのが人生です。

諸行は無常か、常住か。

変転極まりない世の中の変化、即ち一時(いっとき)として「常」に留まろうとしないエネルギーと、不易(ふえき)なものとしていつまでも変わらないで、今という「常」に留まろうとするエネルギーがいつも交錯しているのが人生です。

変わるものと変わらないもの。

変えなくてはいけないものと変えてはならないもの。

自分と向き合うとは、今の自分の何を変えて、何を変えてはならないのかをしっかりと見つめることです。

真に変化するためには、この二つの側面を理解しなくてはなりません。

ただ闇雲に突き進むことが、変わることではないのです。

時には歩みを止めて自分自身の位置を確認しながら、自分が何故この世に存在しているのか、何のために生まれてきたのか、生きるとは自分にとってどういうことなのかを、心静かに思索してみましょう。

あなたの人生は、いつもあなたの人生観に立脚して展開されていきます。

目に見えない考え方が、あなたの人生を形創っていくことを理解することが大切です。

目に見えない、しかし確実にあなたを貫く思いの力が、行動するその時の方向性を決定していきます。

その時、どう動いたか。

突き詰めれば、人生はこの集積です。

「生生流転」を前向きな諦観に変えて、変わらない自分であるために、変えなくてはならないことを変えていきましょう。

本物

質屋の修行は、本物ばかりを来る日も来る日も見続けることなのだそうです。

本物に毎日触れ続けることによって、ある日ある時から一目で偽物を見抜くことが出来るようになるからです。

逆に、毎日偽物を見続けても、本物を見抜く目を持つことは出来ません。

それを人にたとえても、同じことが言えると思います。

世の中に良い影響を与え、歴史までもを変えた人々に共通することは、その人品が本物であったということです。

それは、その一人の本物の人物に宿る魂が、理屈を超えて心ある人々に伝播していくという真実に他なりません。

人生を拓く鍵は、一人の本物の人物との出会いにあります。

その大前提は、如何なる状況にあっても、「我れ、事にあたりて本物たらん。」との気概を持つことから始まります。

本物たらんとする気概とは、「求める力」「見抜く力」「やりきる力」「自己制御できる力」の四つです。

「求める力」は、自分自身を成長させていく基本中の基本です。

やってもらって当たり前といった受け身の姿勢の人に、チャンスが訪れることは100%ありません。

「見抜く力」とは、本質に迫る力を意味します。

今は何を為すべき時なのか。

永い我が人生の展望に立って、ただ今この時に何を為すべきなのか。

何が重要で、何が些事(さじ)なのかを見抜く力を築き上げなければ、些事というどうでもよいことに流されて、目的という彼岸にたどり着くことは出来ません。

「やりきる力」とは、ひと度事にあたれば、完了するまでとことんやりきる力です。

100メートル走で、99メートルまで世界記録で来ても、ゴール手前でコケて気絶したら、記録にすらなりません。

やると決めたことはやりきる。

ここに、本物の人品が育つ素地が出来上がることを忘れてはなりません。

最後に「自己制御できる力」です。

少し長くなりますが、中谷巌先生(一橋大学名誉教授)の著書「資本主義はなぜ自壊したのかー日本再生への提言(集英社)」からの卓見を引用させて頂きます。

“世界経済は大不況の局面に入った。この混乱が収束するにはおそらく数年にもわたる調整が必要になるだろう。

しかし、もっと本質的な問題がある。グローバル資本主義の本質とは何かという問題である。それを明確にしない限り、我々は将来、何度でも今回と同じ間違いをしでかすに違いないからである。

グローバル資本主義は、世界経済活性化の切り札であると同時に、世界経済の不安定化、所得や富の格差拡大、地球環境破壊など、人間社会にさまざまな「負の効果」をもたらす主犯人でもある。そして、グローバル資本が「自由」を獲得すればするほど、この傾向は助長される。

二一世紀世界は 、グローバル資本という「モンスター」にもっと大きな自由を与えるべきか、それともその行動に一定の歯止めをかけるべきなのか。

当然のことながら、新自由主義勢力はより大きな「自由」を求める。グローバル資本が自らを増殖させるための最大の栄養源だからである。

しかし、さらなる「自由」を手にしたものは、まさにその「自由」によって身を滅ぼす。

結局のところ、規律によって制御されない「自由」の拡大は、資本主義そのものを自壊させることになるだろう。”

卓見だと思います。

制御されない「自由」の拡大は、それ自体が自分自身を自壊させていくのです。

一人の本物で、全てが変わります。

「我れ、本物たらん。」の気概を持って、事に処していきましょう。

迷わない

決断とは迷わないこと。

人生には、ここ千番一番の勝負処があります。

ここ千番一番の勝負処とは、相撲に例えれば、普段千回勝っていても優勝決定戦の一番で敗れたら何にもならないというような意味です。

いつまで経っても「もうちょっと。もうちょっと」の人がいます。

もうちょっとで出来たのに。

もうちょっとだったのに。

こういう人は、この「もうちょっと。もうちょっと」で、人生が過ぎて行くことを知りません。

人生の勝負処というのは、実は毎月の決算という形で現れてきます。

月のなかに、必ず「ここぞ!」というヤマ場があるのです。

賢者は、ここぞの時を外しません。

ここぞの時に、打って出るのです。

賢者は誰が何と言おうが、人生は勝負であることを知っています。

勝負とは好守のバランスを指します。

守るべき時はしっかりと守る。

攻めるべき時は、恐れず果敢に打って出る。

迷ったら行く。

守るなら守る。

ここぞの時は、明快に判断するのです。

どうせ飛び越えなければならない谷ならば、そこで迷って先延ばしにして違うルートを選んでも、結局後日、同じような谷を飛び越えなくてはならなくなることだけは忘れてはなりません。

進むのか、引き返すのか。

迷っているのは、進める可能性を心が感じているからです。

迷ったら行く。

行くと決めることが出来れば、その瞬間に迷いは消えます。

結局人生は、やったか、やらなかったかだけです。

決断とは、迷わないこと。

さあ、ここぞの時です。

最大のプレゼント

一流の人物は、みな一様に笑顔をたたえています。

会った瞬間、サッと笑顔を浮かべて既知の友であるかの如くに、空気を温かく支配します。

会話の最中も隙あらば笑おうとして、相手に媚びることなく盛り上げていこうとするのです。

彼等は、人間関係の基本をしっかりと理解しています。

人間関係の基本とは何か。

それは、笑顔と元気な挨拶です。

古今東西の成功への手引き書を紐解いてみると、皆一様に書かれていることがあります。

それは、成功するためには「まず与える!」ということです。

与えるというと、何か財布からお金を出してきて人に与えるという印象がありますが、そんなことを言っているのではありません。

成功の手引き書は、そもそもまだ成功していない貧乏な人に書かれたものであり、その貧乏な人にお金を出せと言ったりはしません。

貧乏から抜け出せない人の共通項の一つは、自分の頭を使って資本のかからないことをするという発想が、なかなか理解出来ないということです。

笑顔に資本はかかりません。

それどころか、笑顔は人を幸せにする最大のプレゼントです。

自分を幸せにしてくれるプレゼントをもらって、怒る人はいません。

それどころかそのプレゼントは、あげたその人に返ってくるのです。

元気な挨拶も同じです。

電話がかかって来たら、どんなに気持ちが沈んでいても、元気よくテンション高く第一声をあげましょう。

脳は行動に付いて来るからです。

面白いから笑うのではありません。

笑うから面白くなってくるのです。

明るくハイテンションで振る舞うから、元気になってくるのです。

見返りを求めず、第一級の人材へと成長していきましょう。

立ち居振る舞いの基本は、笑顔と元気な挨拶であり、この基本なくして運は拓けてこないことを忘れてはなりません。

当たり前のレベルについて

成功している人に100%あって、成功していない人に100%ないもの。

幸せになっている人に100%あって、幸せになっていない人に100%ないもの。

それは「覚悟」です。

うだつの上がらない人に共通するものは、覚悟の欠如であることを覚えておきましょう。

覚悟と「匹夫(ひっぷ)の勇」は違います。

匹夫の勇とは、思慮の浅い者が血気にはやって振るう、取るに足らぬ小勇を意味する故事です。

状況を無視して破れかぶれで突撃することを、覚悟とは言いません。

それでは一体覚悟とは何を言うのでしょうか?

覚悟とは、当たり前のレベルを言います。

どのような当たり前のレベルで、これから自分がやろうとすることを思えているかが覚悟なのです。

例えば、オリンピックで金メダルを取る人は、自分が金メダルを取ることに対して全く不安を覚えることはないのだそうです。

それどころか、自分が金メダルを取るのは当然であり、そこに疑いが入り込む余地などまるでありません。

銀メダルは努力で取れるのだそうですが、金メダルは努力だけでは取れないと言われます。

金メダルと銀メダルを分ける、決定的な要素とは何なのでしょう。

それが、当たり前のレベルという名前の覚悟なのです。

それは、どのレベルで自分がやろうとすることを信じているのか、ということに通じていきます。

信じるということに通じる、究極の当たり前のレベルとは何か。

それは、とてもシンプルなメンタリティーのなかにあります。

例えば、あなたが女性であるとします。

女性であるあなたが今まで人生を生きて来て、信じて疑ったことのない当たり前のこと。

それは「私は女である。」ということです。

女性であるあなたにとってあまりにも当たり前過ぎて、わざわざ語るにも値しない真実。

「私は女だ。」

このレベルで金メダルを思えている人しか、オリンピックで金メダルは取れないのです。

自分がやろうとすることに対する一番目の仕事は、早くこの域に自分のメンタリティーを引き上げることです。

結局人生を決定するものは、何を当たり前と思っているかであることを忘れてはなりません。

過去と道標

人生の受け止め方が、その人の人間性となって、その人の発想と行動の原点を創り上げます。

過去があって今の自分がいることは、誰でも知っています。

しかし、その過去を振り返る時に、どうしようもない悔恨の念が残るのは、純粋に前向きに生きようとする人の宿命ともいえるものかもしれません。

もっと恵まれた境遇だったら。

あの失敗さえなかったら。

心の綺麗な、純粋で前向きで素直な人ほど悔恨の過去を引きずり、それは時に、前に進めない自分の言い訳となって、殻を破れずにいる自分を守るための予防線となってしまうことがあります。

どれだけもがいても、過去の出来事を変えることは出来ません。

人は皆それぞれに、宿命を背負って生まれてきたのだということを受け入れた時に、未来へと踏み出すことが可能になります。

壁を一つ乗り越えた時に見える景色は晴れやかですが、その晴れやかな景色はいつまでも続きません。

壁を乗り越えて、自分自身を見つめ直した時に込み上げてくるものは、「あの時あの人にもっとこうしてあげればよかった」「目先のことに囚われて、何であんなことを言ってしまったんだろう」という、自分の過去のどこかに残していた暗がりです。

光と影。

華やかさと葛藤。

こうしたコントラストの中で、人生という舞台は準備されています。

人は自分の力で生きていると思いがちですが、実はそうではありません。

人は、生かされているのです。

大宇宙から、何かの縁と意味を与えられて、生かされているのです。

そう思えた時が、新しい人生のスタートの時となるに違いありません。

そのスタートラインに立った時に、「生きたい!」という生命の本能的な思いの発露が生まれ、引きずったところで何も生み出さない過去よりも、新しい何かを生み出していく「未来」を考えようという方向へと気持ちを導いていくのです。

誰でも人は、過去に辛く苦しかったこともあれば、人からもらった沢山の愛情もあります。

辛く苦しかったことも、頂いた沢山の愛情も、それら全てを包含した過去を丸ごと自分のものと受け止めたことが、その人物の色となって表れてくることを知りましょう。

その人の話す言葉や振る舞いには、全てそれを発する人の色が付いて、それが受けての心に届くことを忘れてはなりません。

過去があってこそ自分は自分です。

しかし、様々な状況が押し寄せてくる生活のなかで、本当にそのように思うことは容易なことではありません。

しかし、過去も含めて自分を丸ごと受け入れなければ、自分自身の殻を破って前に進むことはできません。

過去を含めて、自分を丸ごと受け入れるためには、過去を引きずりながら悩む時間や、自分と向き合って自分の内側と対話することも決して無意味なことではありません。

しかし、そうしたこと以上に大切なことが一つあります。

それは、いつも心のなかに一緒に居てくれて、「あるがままでいい。」と自信をつけてくれる人の存在です。

あなたの存在には、意味があります。

その稀有の意味を顕現するために、過去は大いに引きずっていいのです。

悩んだ先に差す光こそが、あなたを心温かい逸材へと成長させる道標(みちしるべ)となるからです。

凌ぐ!

迷った分だけボールは曲がる。

以前、ゴルフの上手な人にこう教わったことがあります。

気持ちが定まらないまま行動しても、目標にたどり着くことは出来ないという意味です。

「ボールが見つからないのは、ボールが無い所を探しているから。」

あるゴルフコースに書かれていました。

単純な理屈ですが、そこには深い気付きを与えてくれる示唆が隠れています。

常に点検しなくてはいけないことは、自分は今どこに向かって歩いているのかということです。

しかし、いつもいつも、我が目標に向けてまっしぐらという訳にはいかないのが人生です。

時には逆境の中でひたすら耐えながら、嵐が通り過ぎるの待つ時があるかもしれません。

苦しい局面や辛いことを、何とか持ちこたえて切り抜けることを「凌(しの)ぐ」といいます。

「ギリギリのところで一手凌げる強さ。相手の猛攻を受け止めるのではなく、凌ぐという感じ。現代将棋においては、いくら攻めが強くても、攻めには危険が伴うから、凌ぐ力がないと勝つことは出来ない時代になった。

あるプロ棋士の至言です。

この不安定な時代を力強く生き抜くためには、凌ぎながらカウンターパンチを放つといったスタンスが重要だと感じます。

いくら凌いでも、凌いでばかりで打って出なければ勝機が訪れることはありません。

人材を求めるなら、人材のいるフィールドで、様々な問題を凌ぎながら、自分が求める人材を探し続けることです。

ボールが無い所をいくら懸命に探し回っても、ボールは見つかりません。

人生は勝負です。

勝負の要諦は、ヒット・アンド・アウェイ、即ち、凌いで攻めるということの繰り返しだということです。

そうであるが故に、自分自身の事に処する時の態度と考え方の軸が全てであることを肝に銘じていきましょう。

決断とは嵐の中を進む勇気です。

ひとたび歩み出したら、逆風逆巻く嵐の中を一人征く気概を持ちましょう。

成功へのプロセス

「決める!動く!メゲる!」、これが成功の三拍子です。

たった一度の人生を雇われ発想で生きようとすれば、その人は「指示待ち人間」となって、指示されなければ行動出来ない人間になっていきます。

人生をオーナー発想で生きようと決めれば、その考え方の出発点は、全てのことにおいて「自分で決めて自分でやる!」という自発的な態度へと変わっていきます。

雇われの仕事は人から指示されたことを、自分の意見を差し挟まずに、黙って指示された通りにこなすことです。

一見楽そうに見えますが、そういう流れのなかで毎日を過ごしていると、それはそれで当人しか分からない辛さが積み重なっていきます。

その辛さをずっと我慢し続けていると、心か身体のどちらかを、必ず患うことになります。

一方、オーナーの仕事は簡潔です。

オーナーの仕事はただ一つ!

それは「決めること!」、これだけです。

そして、決めたら全て自己責任という大前提の元で、脇目も振らずに決めた一つのことをゴールを切るまでやり続けるのです。

雇われの発想は「こなす」ことであり、オーナーの発想は「達成」することにあります。

「決める」ということは、何をするかということではなく、何を切り捨てるのかということです。

今まで「それが当たり前だから」と思って何にも考えずにスルーしていた行動を、再点検することから始まるのです。

やらないことを明確にして、今の状況を根底から打開する行動は何なのかと真剣に考える!

そして、何を新しく実行するのかを決定するのです。

決めたら、迷わず動き切る!

その時に、人からどう思われているかなどと気にしている自分がいたら、それはもう戦わずして負けています。

「戦で迷うは命取り」であることを、忘れてはなりません。

真剣に動けば動くほど、状況は千変万化して、これでもかとばかりにあなたを試してきます。

どんな鉄人でも、メゲることがあるということを、考え方の糊代(のりしろ)として持っておきましょう。

メゲるなら、徹底的にメゲる!

後悔するなら、徹底的に後悔する!

しかし、一つだけ「鉄の誓い」を自分と約束しておくことが重要です。

それは、何があっても明日に持ち越さないということです。

メゲたら、また明日は新しい気持ちで凛として決断する。

決める!

動く!

メゲる!

この三拍子を積み重ねていくことが、何人も避けて通れない成功への道程なのです。

意識の変革

一年間くらいは何か一つ同じことを、毎日継続してやりきる決断をしてみませんか?

人生を制する鍵は「持続する意思」以外にありません。

今まで出来なかったことの原因、即ち敗因は何だったのだろうかと真剣に考えてみたことはありますか?

その敗因の理由が、何をやってもすぐにへこたれるという不甲斐ない自分自身にあったとすれば、それはハッキリと自覚しなくてはいけません。

何をやっても自覚症状なしに、続けることをすぐに止めてしまう。

「何故止めたの?」と問いかければ、「なかなかねぇ…」と言語明晰・意味不明瞭なことを宣(のたま)われる。

思考停止はいつものことで、目を開けたまま脳ミソが爆睡していては、運が見放すのは当たり前であることに早く気が付かないといけません。

いつも同じ問題に引っ掛かり、いつも雑用に追いかけ回されて、忙しい忙しいとドタバタしているうちに、気が付けば何もしないで人生が過ぎていくのです。

やらなければならないルーティンワークに、意識を占領されてはなりません。

人生の果実は、持続する意志に裏打ちされた「仕込み」という未来の種を蒔いたかどうかで決定されるからです。

忙しいと感じるのは、雑用に振り回されているからです。

本当に充実した仕込みをしている時に、忙しいという感覚はありません。

それどころか、逆に生命力は増して、目に力が宿り、内側からにじみ出るオーラが、あなたを凛として耀かせるのです。

何か一つ、何があっても継続してやり続ける何かを決めましょう。

「持続する意思。」こう意識に語りかけながら、目には見えませんが、あなたをあなた足らしめている命の本質を鍛えていくのです。

一人の真剣な「意識の変革」こそが、ひいては環境までも変えていくことを忘れてはなりません。

創造的破壊

人と出会いたいのは、未来の自分と出会いたいからです。

何かを探しているのは、未知なる自分の可能性を探しているからです。

未来という未知の領域に進もうとしない限り、必ず心のどこかが腐ってきます。

進むためには、勇気が必要です。

進もうとする時には、必ず障害が立ちはだかり、あなたにためらいと不安を与えることを想定しておかなければなりません。

そのためらいと不安は、やがて迷いとなってあなたの行動を遅らせていきます。

ここで、一つ心しておかないといけないことがあります。

それは、行動の遅さは「罪」であるということです。

伸びない人の特徴は、とにかく行動が遅いという点に象徴されます。

運とはタイミングの異名です。

行動の遅さはそれだけでタイミングを外して、チャンスそのものを台無しにしてしまいます。

躊躇した時こそ、勇気を必要とする道を選択しましょう。

迷ったら、勇気の要る道を選ぶのです。

それでは勇気の要る道とは、一体どのような道なのでしょうか?

今の時代、いくら勇気が要るといっても、刀を切り結ぶような戦地を行くことなどまずありません。

勇気の要る道とは、面倒臭そうな道をいうのです。

未来の自分に会いにいくためには、簡単なことばかりしていては叶わないことを知らなければなりません。

その道で光り輝く人は、その域に到達するまでに、気の遠くなるような面倒臭い作業をコツコツと素早くこなしてきたのです。

「創造的破壊」という言葉があります。

さらに前へ前へと駒を進めるために、敢えて今までの成功体験を否定することをいいます。

良いことも悪いことも、過ぎ去ったことは全て過去です。

なにものにも囚われることなく、未来の新しい自分に会いにいきましょう。

楽なことばかりしようとするのではなく、勇気をもって創造的な破壊という視点で自分自身を再点検するところに、新しい未来へのビジョンが再構築されていくのです。

準備

真の美しさは、厳しさの中にしかありません。

人には春風の如く、自らには秋霜の如く。

言うは易く、行うは難しの在り方を示唆した教えです。

全ての価値ある物語の始まりは、自らを律していく意識を持つところにあります。

それが今すぐ出来るとか出来ないとかではなく、そのような方向で思えるかどうかが大切なのです。

楽なことだけをして、思うような人生を構築した人は一人もいません。

何事かを成し遂げた人は皆、制約された環境の中で一人もがきながら、光へと一歩づつ前進してゴールへと向かったのです。

今がどんなに辛くても、そこに囚われてはいけません。

辛い時は、力を貯め込む時だからです。

世の中の全ては、人の気持ちで動いています。

人の気持ちは、自らが逆境に置かれてはじめて理解出来るようになります。

未来に向かう決意という「準備」が出来れば、あなたを未来へと導くコーチが、様々な形を借りてあなたの前に現れます。

ある時はやってもやっても駄目な状況にあなたを導いて、あなたに耐えることの意味を教えます。

ある時は、艱難の峰にあなたを導き、不撓不屈の精神をあなたに教えるのです。

自らを制覇出来ずして、人を引っ張っていくことは出来ません。

やると決めたことは、柔な泣き言を言わずに断固とした姿勢でやりきりましょう。

あなたの心の奥に済むコーチには、如何なる泣き言も通用しません。

どんなにもっともらしい「やれない理由」も、所詮は言い訳に過ぎないからです。

逃げるのではなく、挑戦する意志を持ちましょう。

出来ない理由をどれだけ体系化しても、あなたの人生が構築されるどころか、縮小されるだけです。

挑むべき真の相手は、事あるごとに簡単に折れそうになる我が心であることを忘れてはなりません。

アンインストール

習慣は第二の遺伝子です。

より創造的な自分を創り上げる為には、習慣を変更しなくてはなりません。

自分の未来の為に良い習慣は継続し、そうでない習慣は見直さなければ進化成長することは難しいからです。

自分の成長を止めている悪習は何かを、考えてみたことはありますか?

進む為にまず第一に重要なことは、悪習を捨てることです。

例えば、コップに今ビールが入っているとします。

子供がそのコップを使って水を飲もうとする時、コップに少しでもビールが残っていると美味しい水を飲むことは出来ません。

それと同じで、人間というのは考え方に不純物が混ざっていると、本来の力を出せない生き物であることを覚えておきましょう。

新しい習慣をインストールする為には、悪習を一つずつアンインストールしなくてはなりません。

悪習のアンインストールが、新しい自分創りの土台となるからです。

意思の力は、何かを加えようとする時より、何かを断ち切ろうとする時に培われていきます。

例えばダイエットを一つとっても、それは同じことがいえます。

太る理由は人によって様々でしょうが、何らかの病気以外はただの食べ過ぎです。

結局最後に辿り着くところは、「食べ過ぎない。飲み過ぎない。」というところに来るのではないでしょうか。

この話のポイントは、「・・しない。」という点にあります。

これを「断ち切る力」といいます。

あなたを根底から支える真の力は、今までの人生で、何を断ち切ってきたかで決まっていることを覚えておきましょう。

人は切羽詰まれば、それこそ火事場の馬鹿力で、とっさに自分でも信じられない力を出す時があります。

しかし、人生というある意味平坦で退屈な道を淡々と歩む毎日において、火事場の馬鹿力など出る幕がないのです。

等身大の自分と向き合いながら、少しずつ少しずつ、大木をカッターナイフで削るような気持ちで自分と勝負していく。

ここに人生変革の要諦があることを知らねばなりません。

勉強などはその典型的な例です。

動かないで机にじっと座って、ただひたすら知を習得していく作業が勉強です。

動き回るより、実は動かないでじっと自分と勝負する方がパワーが要るのです。

進む為に必要な力は、断ち切る力です。

あなたの悪習を一つ断ち切る、即ちアンインストールすることに挑戦してみてください。

新しい、希望に満ちた何かが必ず見えて来ます。

栄光への歴史

今、私は私の歴史を創っている。

道に迷ったら、そう自分に言い聞かせましょう。

歴史とは、苦楽共に織り交ぜながら創られていくことを忘れてはなりません。

「産みの苦しみ」という言葉があります。

何かが命を得る瞬間は、誰かが産みの苦しみに耐えていると解釈したいと思います。

人生の禍福は、あざなえる縄の如し」

人生というのは、苦しみと楽しみという二本の縄があざなわれて、一本の縄になっていると

いう意味です。

違う言い方をすれば、人生は光と陰で出来ているということでもあります。

光があれば、違うサイドには必ず陰があります。

栄光の裏側には、人知れず泥まみれの中でもがき苦しむ時代があるということです。

そこに、陰だけが続くことなど絶対にありません。

それと同じように、苦しみを省略した栄光もないということです。

あなたは今、苦楽共に織り交ぜながら、あなたの栄光への歴史を創っていることを自覚しま

しょう。

人を蘇生させるものは決意です。

そして、蘇生した自分を栄光へと導くものは「自覚」です。

自覚とは、起こってきた様々な出来事に対する「意味付け」から始まります。

私がやらないで誰がやる。

この姿勢を、早く築き上げた者勝ちなのです。

いろいろと人の事を言う人は数多(あまた)いますが、実際に自分で行動する人は殆どいませ

ん。

それが、あなたを取り巻く環境であることに早く気付いてください。

だから、あなたがやるのです。

人の批判などを恐れていたら論外です。

観客の野次を気にして、もう辞めようかなと悩むプロ野球選手など一人もいません。

さあ、今日もあなたの人生という新しい歴史の1ページを創っていきましょう。

その道具は、断固としたあなたの意志であることは言うまでもありません。

意識の焦点

人生は、何を見ているかで決まります。

人は見ているものに向かって進んでいくからです。

見るとは、焦点を合わせるということを意味します。

あなたは、何に意識の焦点を合わせていますか?

毎日を無意識に流されて生きていると、ただ目に映るものだけしか見えなくなってきます。

無意識に流されていた領域を意識化しましょう。

毎日毎日様々なことが起きて来ますが、そうした中で、あなたにとって本当に大切なことは一体何なのかを考えてみたことはありますか?

それは、あなたの人生の目的に直結する重要なことです。

自分自身の人生の方向性と言い替えても構いません。

あなたは一体、何処に向かって毎日を送っているのですか?

それが大切なことであり、それがハッキリと見えていればよいのです。

逆説的な言い方をすれば、それ以外のことは見えていなくても何の問題もありません。

あなたの人生を変革する為に重要なこと。

それが見えていれば、迷ったり、悩んだり、不安になることはありません。

人生を達成していくには、人生を達成する為の大切なことだけを見る。

それ以外のことは、余事です。

余事に意識の焦点を合わせれば、人生の歯車が狂ってきます。

余事の殆どはどうでもよいことであり、どうでもよいことを突き詰めても、あなたが本当に望むものには行き着かないからです。

何でもかんでも出来なくてよいのです。

大切なことだけを見て、その一点に意識の焦点を合わせていれば、あとはあなたの心の奥底に潜む根源の力が、あなたをその方向に導いていくからです。

本当に思ったことは、必ず実現します。

あなたにとって、何を毎日積み上げていくことが重要なのか。

今日は、そのことを考えてみてください。

根源のエネルギー

しない後悔より、した後悔。

これが成功者の基本的態度です。

ビクビクしないで、いま目の前に来ているものに手を伸ばしてみましょう。

その瞬間から、何かが見えてきます。

あれこれ考えて、あれこれ心配するのは止めにして、まずあれこれやってみるのです。

行動には不思議なパワーが潜んでいます。

あなたの潜在意識を揺り動かす鍵は、行動以外にありません。

行動すれば、新しい現実が瞬時に現れてきます。

動けばよいのです。

何となくテンションが落ちている時は、ごちゃごちゃ屁理屈を並べていないで、さっさと違う場所へ移動しましょう。

一番良くないのが、一人で家に閉じ籠もっていることです。

そんなことをしていれば、落ちたテンションは更に急降下して、最後に無気力という自分を形作ることになります。

無気力を形作る「戸閉め言葉」は、3つです。

面倒くさい。

お金がない。

忙しい。

これらの言葉を吐いたが最後、二流を突き抜けて三流の人生へと転落することを認識しましょう。

それでは、動くとか行動するとは、一体何をすることを意味するのでしょうか?

それは、人と会うということを意味するのです。

テンションも何もかもを上昇させる根源のエネルギーは、一人の人物との出会いから始まります。

仕事は、人と会うこと。

その為の行動なのです。

人生最後は、フットワークの勝負になってきます。

出来ないことに意識を合わせるのではなく、今出来ることに焦点を合わせて軽やかにフットワークしましょう。

知らないうちに、あなたの内側から、何かしらの変化が必ず起こってきます。

最良のワクチン

想念の停止。

何かをやろうとした時に、心の片隅をいきなり走り抜ける一瞬のネガティブイメージ。

強く想えば願いは叶うと言われますが、本当にそうなのでしょうか?

例えば、何かの会議などのプレゼンで、万全の準備と気持ち作りをして臨んでいるのに、いざマイクの前に立った瞬間、いきなり心を走り抜ける「どうしよう・・」というネガティブイメージに、うまく喋ろうとした強い想
いも木っ端微塵に吹き飛んで、シドロモドロになったというような体験はかなりの人が持っているのではないでしょうか。

いくら強く想っても、本番という勝負の瞬間では、その一瞬によぎるイメージというエネルギーには敵わないのです。

それを、想念といいます。

人生は、想念との戦いです。

想念というネガティブイメージが心に浮かんできたら、ワンフレーズで封じ込めてしまいましょう。

「ストップ!」

この一言の言い切りこそ、ネガティブイメージが浮かんだ時の最良のワクチンです。

「ストップ!」

この一言で、切り替えましょう。

勝負は、瞬間に心を駆け抜けるネガティブイメージをどうコントロール出来るかで決まります。

意志の力は、切り替える力から培われていくことを覚えておきましょう。

ネガティブイメージは、心に浮かんだ時点で素早く退治してしまうことが肝要です。

あなたをフリーズさせる、脳裏に一瞬よぎるネガティブイメージは、心に住みつく鬼のようなものです。

何かの本番に直面した時、まず意識することは心の鬼退治以外にありません。

余計な想念を停止する。

心が乱れて来たら、「ストップ!」と、ストロークしましょう。

何か心配なことや、不安なことが浮かんできたら、このワクチンを打つのです。

「ストップ!」

このストロークこそが、集中への助走となるからです。

ブランドチェンジ

来ない理由は、やらない理由です。

今、時代を突き抜けて輝いている組織や人に共通するものは、常識を裏切る飛躍的な進化を遂げているということです。

こうしたことを成し遂げている人たちにも、何気ない日常から始まるスタートラインがありました。

それは、「心構え」というスタートラインです。

考え方のスタンスを全面的に前方位に取って、飛躍とは現時点における、自分にとっての最高を超えていくことであると位置付けたのです。

前進は生であり、後退は死。

進まざるは、退くことと理解したのです。

考え方を根底からブランドチェンジしましょう。

自分自身の常識を覆してみましょう。

心構えのブランドチェンジをするのです。

いつの時代も、困難は自分自身が創り出した壁に過ぎません。

よく何かをサジェスチョンされた時、「それは出来ません。」「それは無理です。」と即座に、まるで自動音声装置のようなことを言う人がいます。

そして、そういう人は、喋らせておけば延々と何故無理なのかを理路整然と語りながら、その精神状態が自己防御から思考停止へと導かれていくことに気付きません。

真の人材に求められるものは、創造性以外にありません。

皆がやれそうもないからサジェスチョンされているのに、出来ない皆と同じようなことを言った時、その人物の価値は急降下します。

創造性は、想像力から始まります。

はじめに「ノー!」ありきの人は、もうそれだけで想像力に制限を加えているのてす。

自分にとっての常識を超えていきましょう。

その鍵は、はじめに「イエス!」ありきなのです。

「よし!ひとつ、やってやろうじゃないか。」

この姿勢が、人生のブランドチェンジにつながることを覚えておきましょう。

心の地図

考え方を変えることが出来れば、人は別人に変化します。

良い結果には、良い結果を引き寄せる良い考え方がありました。

厳しい言い方ですが、悪い結果には、悪い結果を引き寄せる悪い考え方があったのです。

本当に変わりたければ、ここから目を背けてはいけません。

行動は、その人間の考え方に支えられて成立しているからです。

考え方が邪(よこしま)ならば、その人は邪な人間になります。

考え方が貧乏ならば、その人は貧乏な人生を送ることになります。

考え方こそが、その人間の心のファンダメンタルズ(社会基盤)であることを知らなくてはなりません。

ここを変更しない限り、何をやろうが、必ず同じところに戻って来てしまうからです。

人は誰かに物をもらっても、そんなことはすぐに忘れてしまいます。

しかし、考え方に影響を与えてくれた人のことは忘れません。

あなたの行動を形創る考え方を、進化させていきましょう。

その為に、時には一人静かに思索する時間を持つことも大切です。

目まぐるしく動く時代だからこそ、一度アクセルから足を離して車を止めて、そして心の地図を広げて、自分は一体どこに向かっているのかを再確認してみることが大切なのです。

人は、考え方に引き寄せられていく生き物であることを忘れてはいけません。

良いことも、悪いことも、全ての原因は考え方にあります。

考え方を変えずに表面的に行動を変えても、人生は何も進まないことを理解しましょう。

この現実社会に於いて、人は二種類しかいません。

それは、いつもいつも人から影響を受けて生きる人と、人に影響を与えて生きる人の二種類です。

ダーウィンは「進化論」の中で、強い種が生き残ったのではなく、変化に適応出来た種が生き残ったと書いています。

私たちは、この考え方を理解しながらも、100年に一度の大不況を突き抜ける為に、変化を先取りして、さらに変化を巻き起こしていくが如きの気概を持って、影響力のある人材へと自分を高めていきましょう。

あなたを真に高めていく環境を手放さないことが、あなたの考え方を進化成長させる鍵であることを、忘れてはなりません。

停滞の迷路

奇跡はいつも、不可能という出発点から始まります。

「もう無理!もうこれ以上は進めない!」

そう思った時こそが、あなたの真剣勝負の時なのです。

行き詰まりには、原因があります。

その原因とどこかで向き合わなければ、いつまで経っても同じ行き詰まりに戻ってしまいます。

人生には、簡単に済ませてはいけないことがあります。

出来ないとしたら、何がその根本的な理由なのかを突き詰めましょう。

出来ない理由は、過去から引きずってきた状況的な問題なのか。

それとも、様々なことが絡まり合った複合的な問題なのか。

出来ない理由は多々あるでしょうが、そうしたもっともらしい理由に騙されてはいけません。

いつまで経っても出来ない理由の本質は、自分自身の在り方を追及してこなかったことにあるのです。

ピンチは、いきなりやって来ません。

そのように見えるだけです。

確かに、物事における勝敗には時の運があります。

しかし、毎月毎月の自分自身のテーマに対して、自分は勝ったのか負けたのか位の決算すらしないとすれば、それは論外です。

勝って奢(おご)らず、負けて決意の人となっているか。

負けには負けの理由があり、同じ負けでも「負け方」があるということを、夢忘れてはなりません。

人生は勝負なのです。

結果的に負けたとしても、そんなことは人の世の常であり、たいしたことではありません。

大切なことは、自分自身の心が、最後まで前を向いて戦っていたかということなのです。

心に敗北のラインを引いてはなりません。

心が敗れない限り、本質的な敗北などあり得ないからです。

挑んだ限り、どこかで決着を付けなければならないのが人生です。

仮に今月、目標に届かなかったとしても、その借りは来月返さなければなりません。

その決然とした意志が、月々日々にあなたを大器へと成長させるのです。

簡単に諦める癖が、あなたを凡物へと引きずり落とす魔物となって、長期停滞の迷路へと誘導することを忘れてはなりません。

命の姿勢

試練が人を鍛え、人を育てます。

進もうとする意志を持ったから、試練という抵抗を得ることが出来たのです。

そうなのです。

試練とは、進む為の抵抗だったのです。

抵抗がなければ、鳥も飛行機も空を飛ぶことは出来ません。

人生も同じです。

順風満帆の人生などあり得ないことを、肝に銘じましょう。

人生は旅と同じです。

晴れの日も、風の日も、曇りの日も、雨の日も、そして嵐の日もあります。

晴れの日は軽やかに、風の日は風を受けて、曇りの日に落ち込まず、雨の日は傘をさし、そして嵐の日には一歩も引かない勇気を持って、人生というステージを演じきりましょう。

時を知る者を賢者といいます。

今という瞬間に全力投球しながらも、我が人生の傾向と対策を明確にして、今日という一日を勝ち取ろうとする姿勢が大切です。

幸せになっている人に100%あって、幸せになっていない人に100%ないもの。

それは、前向きな一貫した姿勢です。

命の姿勢。

これが、人生を決定付けることを忘れないで下さい。

気持ちを研ぎ澄まして、濁りのないクリアーな状態にしましょう。

取るに足らざる者になど、いちいち引っ掛かっていたらいけません。

はなから相手にしないことです。

その時気にした人が、寸分違わずその時のあなたであることを忘れてはなりません。

取るに足らざる者を気にしたあなたがいれば、それは未熟なあなたの投影なのだと理解しましょう。

自分の中に存在する共通項が反応したのです。

共通項がなければ、そのような人には何も反応せず、ましてや気になることすらあり得ないからです。

問題があるとすれば、その問題の発生源は全て自分の在り方から起きたことと潔く受け入れましょう。

そう受け入れることが出来れば、その問題はもう解決しています。

さあ、命の姿勢を立て直して、自ら願った人生という旅を続けましょう。

試練は飛ぶ為の抵抗と捉えて、晴れ晴れとした気持ちを創って、今日の一歩を進めていきましょう。

加速

いくら思っていても、その思いを行動に変えない限り、あなたの人生は何も変わってきません。

行動は加速する。

ご存知でしたか?

車でも、動き始める時はエネルギーが要ります。

しかも、そのエネルギーは、走り始める時が一番多く必要です。

時速60kmで走っている車が使うエネルギーより、止まっている車が最初に動き出す時に使うエネルギーの方がはるかに大きいということを、私たちは認識する必要があります。

行動も同じで、何かを始めようとするその瞬間のエネルギーが、一番大きいのです。

これは、労力を沢山使うわりに、返ってくる結果が少ないということを意味します。

しかし、先ほどの車の例でいえば、動き始めようとする時は最大のパワーを必要としますが、一度走り始めれば、今度は止めようとする方が大変だということにもつながります。

それは、一度動き出した車は、そのスピードを加速していくからです。

行動もこれと同じで、行動が次々と行動を呼んで加速していくのです。

一つ、実験をしてみたいと思います。

ここに、一枚の紙があります。

厚さは0.1ミリです。

この、厚さ0.1ミリの紙を一日に一回、二つ折りしていきます。

この作業を一ヶ月31日間続けた時、この紙の厚みは一体どれくらいになっているでしょうか?

ここで投げ掛けていることは極めて単純ですが、実際に実験することは不可能です。

さあ、計算してみて下さい。

一日目は0.1ミリの2倍ですから、0.2ミリになります。

二日目は0.2ミリの2倍で、0.4ミリ。

三日目は0.4ミリの2倍ですから、0.8ミリです。

こうして毎日2倍で計算していった時、はじめ0.1ミリの厚さだった一枚の紙は、31日後には一体どれくらいの厚みになるのでしょう?

答えは、その紙の厚みは、地球を飛び出して宇宙に突入するということです。

0.1ミリの紙を最初に二つ折りにした時は、何の変化も感じられませんでした。

二日目も、同じです。

三日坊主で止めていたら、1ミリにすら達することはありませんでした。

四日目までがんばっても、まだ1cmにも達しません。

こんな風に、最初の成長は、本当にガッカリするほど小さいという事実を、私たちは理解する必要があります。

理解した後は、そこに視点を奪われず、一ヶ月31日間毎日一回、0.1ミリだった紙を二つ折りし続ければ、その紙は200km以上の厚みとなって宇宙に突入するということです。

これは、誰がやっても同じ結果になります。

実は、一見極めて単純なこの実験から、人間が成長する為の、重要な真実を引き出すことが出来ます。

それは、如何なる分野であれ、最初の成長は、本当にガッカリするほど小さい。

しかし、その最初の小さな一歩の中に、目標実現の種があるということです。

その理由は、行動は加速するからです。

行動の加速は、最初は小さな進歩に思えても、飽きずに続けることで、最後はこのようなとてつもなく大きな結果をもたらします。

成功の原型は、最初の小さな一歩の行動の中に、その全てが収まっているということを忘れてはなりません。

期待

期待を超えていく。

これが、未来の大器へと育ちゆく人材が持っている姿勢です。

ここに、プロフェッショナルへとつながる決定的な要素が集約されています。

あなたが今直面している全ての仕事の本質は、その仕事をこなすことでも、ただ言われたことだけをやることでもありません。

その程度のことなら別段あなたでなくても、いくらでも代わりがいるからです。

時代は、代わりのいない真の人材を探しています。

真の人材の条件とは、まずスキルとウィルがプロフェッショナルであるということ。

プロの技術は熱い思いに支えられながら、その巧(たく)みの技は、真剣に事に臨む姿勢に裏打ちされて磨かれていきます。

期待を超えていこうとする姿勢が、今直面している仕事を通して、あなたを人として進化成長させ、その力が人生を静かに変革していくことに気付きましょう。

人生という山は、力ずくでは動きません。

人生という山は、あなたの姿勢で動くのです。

人から期待されているという状況を、軽く見てはいけません。

あなたの心の奥底にある意識が、あなたの知らないところでピカッと光って、その光りを受け止めた人がいたのです。

人生は不可思議です。

不可思議とは、思議することが出来ないということです。

何かに引かれて動いていくのが人生であり、その引力の根底に縁があります。

あなた自身が分からないあなたの凄さを感じてくれた人の思いが、期待という縁でつながっているのです。

事に処しては、ワンランク上を行く姿勢を持ちましょう。

その辺りの普通の人と同じように悩み、同じように怯(ひる)み、同じように落ち込むようでは、期待を超えていくことなど到底出来ません。

人は期待されて縁を頂き、その縁を絆に変えた時、人生という山を動かすことが出来るのです。

縁を絆に変える鍵となるものが、期待を超えていこうとする、一歩上をいく精神力なのです。

高きを飛ぼうとする気持ちを、忘れてはなりません。

出来るとか出来ないではなく、はじめから高いレベルで一歩を踏み出すことが、後日他者との間に抜き難い差となって現れ、あなたを高みへと導くことを知りましょう。

行動の肝

結果を気にせず、ただひたすらやるべき事を積み上げる。

評価してもらおう、認めてもらおうという受け身の姿勢で仕事に向かえば、そうした思いが、あなたを少しずつ本来のあなたから遠ざけていきます。

「人事を尽くして、天命を待つ」という諺があります。

行動の肝は、やるだけやったのかということ。

やるだけやったら、あとの結果は天に任せておけばいいのです。

考えても仕方のないことは、考えない。

戦国の昔、秀吉が若き日に諸国を旅していた時のことです。

ある庵で、旅の禅僧と出会い意気投合します。

そこで、お互いの座右の銘を、囲炉裏の灰に火箸で同時に書くことになりました。

そこで二人が書いたものは、まさしく同じ言葉でした。

それは、「離」の一文字。

離れる。

これが、後に大僧侶と天下人となる二人が、若き日に心に止めた考え方の軸となる言葉でした。

やるだけやったら、執着しない。

結果に囚われない。

コントロール出来ない領域に自ら入り込んで、自らを呪縛の沼に落とし入れることは、もう止めにしましょう。

やることをやったら、パッと離れる。

終わったことは、全て過去です。

時間を過去から走らせない。

時間は未来から走らせる。

いいですか?

囚われない!

囚われない!

囚われない!

「離」の一文字で、心を解放してあげましょう。

どれだけ心配しても、どれだけ恐れても、そうしたエネルギーが状況を好転させることはないのです。

縮こまった気持ちを解放して、パッと次のステージの任務に就かせてあげましょう。

大丈夫、あなたの知らないところで、全ては予定通りに動いています。

CHANGE

「変わらずに生き残る為には、変わらなくてはならない。」

映画「山猫」に出てくる一節です。

月に一度は歩みを止めて、静かに自分自身と対話する時間を持ちましょう。

自己変革は、自己を修正出来る力を持つところから始まります。

これだけ目まぐるしい時代になると、油断すれば凄まじい勢いで時が流れ去っていきます。

ただ忙しいということだけで自分を見失うことがどれだけ危ういかを、私たちは絶えず自分自身に言い聞かせなくてはなりません。

五木寛之氏の「林住期」という著書に、こんなことが書かれています。

古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたそうです。

「学生(がくしょう)期」(生まれてから、25歳までを言い、自立への準備の時代)

「家住(かじゅう)期」(26歳から49歳までを言い、勤労の時代)

「林住(りんじゅう)期」(50歳から75歳までを言い、人生の黄金期)

「遊行(ゆうぎょう)期」(75歳以降を言い、死の準備をする時代)

この四つのカテゴリーの中のハイライトは、なんと言っても「林住期」という、人生のゴールデン・ステージであることは、言うまでもありません。

「学生期」も「家住期」も、全てこの為にあったと考えるからです。

こうしたカテゴリーで自分自身と向き合った時に、自分の基本的な立ち位置が明確になってきます。

あなたは、この四つのどの位置に立っていますか?

人生の準備の時代に立っている人は、失うことや失敗を恐れず、チャレンジという心の通貨を使って、学びと経験を自分のものにしていきましょう。

勤労の時代にある人は、ただがむしゃらに頑張るのではなく、何にどう頑張るのかを明確にして、最後は、信じてがんばってみましょう。

人生の黄金期に立つ人は、自分は今、人生の黄金期にいるのだという認識を強く持つことが大切です。

人生の黄金期に漠然と悩むことが、如何に勿体ないかを真に理解しましょう。

遊行期には、次世代に何を残すのかという思いを、形に変えなくてはなりません。

死んで金を残す者は、下。

死んで仕事を残す者は、中。

死んで人を残す者は、上。

明治の偉人、後藤新平翁の言葉です。

今、紛れもなく時代のキーワードは、CHANGEです。

変わらずに生き残る為に、自分と向き合いながら、進化という自己変革を志していきましょう。

事の運び

チャレンジとは、小さな勇気の積み重ねです。

チャレンジ抜きの人生など、この世に存在しないことを、私たちはしっかりと認識しなくてはなりません。

人生の異名とは、チャレンジだからです。

飛躍の為の起爆剤は、チャレンジ以外にありません。

チャレンジとは、攻めていく姿勢です。

おびえて守りに入ろうとする者を、宇宙が守護することはありません。

私たちは、生まれた時は裸一貫で生まれ、死ぬ時もまた裸一貫であることを、もう少し分からなくてはいけません。

何が言いたいのかといえば、守ろうとしても、自分が思うほど守るものなどないのだ、ということです。

命と時間は、貯め込むことなど出来ません。

使って輝くものだからです。

ウジウジ考え込んでも何の意味もないことに、早く気付きましょう。

昨日までのことは、昨日までのことです。

あなたに起きる全ての出来事は、あなたの心を成長させる為に起きることなのです。

あるがままに、なるがままに、喜んで受け入れて、感謝して、楽しみましょう。

肩の力を抜いて、自然体で事に臨むのです。

ジタバタするのはやめましょう。

宿命という観点から見れば、全ては予定通りなのです。

健全な諦観を持ちましょう。

全ては、黙っていても収まるところに収まるように出来ています。

大切なことは、そうした「事の運び」を、あなたがどのように解釈出来たかなのです。

絶望というタッチで解釈したのか、希望というタッチか、決意というタッチか。

いちいち起こってきた出来事に一喜一憂しないで、堂々と晴れやかに、人生の駒を進めましょう。

人生を決定付けるものは、才能ではありません。

私は出来る!

私はやる!

このように熱くたぎるチャレンジする心を持ち続けた者が、最後に勝つことを胸に刻んで、今日の一歩を進めていきましょう。

戸閉め言葉を封じる!

出来ない理由をいくら探しても、あなたの人生の展望が拓けて来ることはありません。

いついかなる時も、勝敗は取り組む前に、自分自身の胸の中でついていることを肝に銘じましょう。

人生の不幸は、脳ミソを止めた瞬間から始まります。

自分から積極的に思考停止状態を創り上げる行為ほど、愚かな行為はありません。

「・・だから出来ない。」

「・・のせいで出来ない。」

「忙しいから出来ない。」

「お金がないから、出来ない。」

こうしたフレーズは、自分という人間の格付けを降格させる根拠となるフレーズです。

こうしたフレーズは、相手に有無を言わせない「戸閉め言葉」ともいいます。

戸閉め言葉は、使う度に負のエネルギーを増幅させ、冷静な思考回路を破壊していきます。

心を、混乱のゾーンに誘導していくからです。

成功している人の特徴は、穏やかで落ち着いているという点に集約されます。

その落ち着きは、観察力となって現れてきます。

即ち、成功者には、観察力があるのです。

その観察力は、まず自分自身の心の有り様に向けられます。

それは客観的に、自分のただ今その瞬間の心の状態を眺めることが出来るということを意味します。

戸閉め言葉を使った自分とは、とりもなおさず、取り乱した自分がそこにいたということになります。

そうしたことを他人事のように観察出来れば、心が今に戻って来て、本来の自分に帰ることが出来るのです。

時として人は、なぜ自ら取り乱して戸閉め言葉を使って、わざわざ自分で自分を貶(おとし)めるようなことをするのでしょうか?

それは、心が今という時を離れて、ありもしない過去や未来に浮気しているからです。

心が今を離れて、あちらこちらにフワフワ飛び回っていると、人は落ち着きがなくなり、一つの事に集中出来なくなってきます。

それは、その時やるべき「ただ一つの事」に意識が集中出来なくなり、次々にやってくるその時その時にやるべきただ一つの事が未完了のまま積もり重なっていって、その結果ワケが分からなくなって取り乱し、それを正当化しようとして、人生最悪のフレーズを見付けてきて、自分を支えるメカニズムを構築するということなのです。

要するに、心ここに在らず、なのです。

人生は、今やるべきただ一つの事でカタチ創られていきます。

心が、ありもしない不安や恐怖に駆られて過去や未来に浮遊するのは、あなたが望まないものに意識をフォーカスしているからです。

自分が本当に望むものに、意識をフォーカスしましょう。

人生は、出来るとか出来ないとかの発想では解決出来ません。

人生を紐解く発想は、「やりたいのか、やりたくないのか」という、たったこれだけの発想であることを忘れてはなりません。

意識の方向性

収入は、意識が決めます。

あなたの仕事に対する意識が、あなたの今の収入です。

経済力なき者は、発言権なし。

これが、世の中の本当のことです。

「お金が全て」と言っているのではありません。

しかし、お金が全てではないと本当に思える人は、お金のやりくりから解放されている人だけであることを覚えておいて下さい。

私たちは、人生という舞台で、自分とは一体何者なのかを知る為に生まれてきました。

それは、今を変革していく中でしか実感出来ません。

危ない考え方は、人生はお金ではないということを、自分が何もやらない理由にすることです。

そういう人は、知らず知らずのうちに、貧乏になっていきます。

「貧乏が悪いのではない。ずっと貧乏なことが悪いのだ。」

ずっと貧乏なことが、なぜ駄目なのでしょう?

今の時代、お金が無くなって貧乏になっても、よくよくの状況以外は、食べられなくて死ぬことなどまずありません。

では、貧乏はなぜ駄目なのでしょうか?

貧乏は、つまらないからです。
貧乏は、他人に迷惑を掛けるからです。
貧乏だと、ウソをつく回数が増えるからです。

ヒルティーという哲学者が、「幸福とは、仕事と仕事の間のインターバルの中にある」という旨のことを述べています。

やりくりを生活の基本に据えた時、その行動は節約発想をベースにした消極的なものになりがちです。

この消極性が、危ないのです。

消極的な態度に、本気という「気」が宿ることなどまずありません。

人生を変革する。

その第一歩は、悩みが変わったか、ということです。

ずっと貧乏な人は、悩みが変わっていないのです。

引っ掛かるところ、悩んでいるゾーンがいつも同じです。

彼らの特徴は、何に対しても半身で構えて、例えば岸につながれているボートに片足を掛けながら、もう一方の足は岸に乗っているという状態で物事に臨みます。

それは、口では「このボートに乗って沖に漕ぎ出して、ロマンチックな夕日を見に行こうよ!」といいながら、片足はボートに乗せていますが、もう一方の片足を岸に掛けてガタガタ震えている。

両足を、ボートに乗せていないのです。

言っていることと、やっていることの辻褄が合わないのです。

危ないのは、そのことに全く気付いていないということです。

その結果、人はそういう人を信用しません。

人に信用されないから、チャンスに巡り合うことが出来ないのです。

チャンスは人が持ってくるということを理解出来ない人は、人生を根底から変革することは出来ません。

本気の出会いから、チャンスがつむがれていくからです。

しかし、本気の出会いは、本気の人にしか起こりません。

本気の出会いから生まれるチャンスに、いつも半身に構えて、心ここにあらずの反応をしていれば、チャンスそのものが色褪せてくるのは当然です。

人生を転換する第一歩は、本気で目指すことです。

本気で目指せば、その瞬間から悩みが変わってきます。

本気で目指す自分をイメージすることが、あなたの意識の方向性を確立していきます。

意識の方向性が確立された時、そこに集中力が生まれ、その集中力が力を一点に集めて、今を少しずつ変革していくのです。

集中力こそが、具体的に現場を変えていくからです。

あなたの収入は、あなたの意識が決めていることを忘れてはなりません。

シークレット

人に出来たことが、自分に出来ない訳がない。

気持ちを支える考え方を、脳ミソにフレームとして持ちましょう。

あなたが真に飛躍出来るかどうかは、土壇場に来たときの精神状態にかかっています。

人生は薄らボンヤリ生きていて、充実することなど出来ません。

よく人生は、3回チャンスがあると言われますが、真にそのチャンスの意味を理解しようとする人は、そう多くはありません。

チャンスとは、ピンチであり、ピンチの中に潜む宝を取りにいく行為を言うのです。

その行為を、「勝負」と言います。

勝負の先には、リスクと栄光の二つが待ち構えています。

リスクに怖じ気づく者と、立ち向かう者。

人間はこのどちらかに分かれます。

逆説的に言えば、この両者に入らない者は、論外ということになります。

毎日毎日、何も狙わず志さず、その当然の結果として、薄らボンヤリ生存する。

生きると生存は違います。

人生は懸命に生きてこそ、意味があるからです。

人は引き合います。

あなたが凡物ならば、あなたが関わる人は、いつもいつも凡物であることを忘れてはなりません。

あなたの環境の全ては、あなたの心の投影であり、写し絵です。

それは、あなたの影と言い換えても構いません。

影は、あなたという実態があって発生します。

太陽に向かってあなたが立てば、その後ろにあなたの影が表れます。

その影だけを動かそうとしても、影は動きません。

あなたという実態が動いた時だけ、影も寸分違わずあなたの実態と同じように動きます。

あなたの環境は、あなたの思いや考え方の影なのです。

ですから、あなたの環境そのものをいくらいじくっても、何も変わりません。

それでは一体、どうしたら環境が変わってくるのでしょうか?

答えは、ひとつです。

自分を変えるのです。

環境を変えようとするのではなく、自分を変えていくのです。

真の偉大さは、その業績にあるのではなく、自らを正す能力にあります。

この考え方を、あなたが受け取った時、あなたの人生が内側から変わってくるのです。

人間は合理的に生きようとして、不合理に生きる生き物です。

言っていることと、やっていることが、食い違うこともあるでしょう。

しかし、そこを正していこう、修正していこうという気持ちが、自分を変えようとする行為につながり、その行為こそがあなたの偉大さになって、引き合う人が変わり環境が変わり始めるのです。

恐れず、たじろがず、「今に見ていろ。」の気概で、ただ今この時の環境にある自分自身と、懸命に勝負していきましょう。

大丈夫、あなたは必ず成功します。

そして、成功した時、あなたに見えてくるものがあります。

それは、

若き日に、不安で不安でたまらなかったけれど、歯をくいしばって勝負しようとする気持ちを持った自分こそが、すでに成功していたのだということを。

人生のシークレット。

それは、自分自身の変革を決意したこと、それ自体が成功なのだということ。

さあ、心を晴れやかに持って、今日の一歩を力強く踏み出していきましょう。

あなたは既に、成功しているのです。


ブレーキの解除

自分の市場価値は、一体いくら位だろうかと考えたことはありますか?

一時間600円ですか?

それとも、800円ですか?

あなたの値段は、大概あなたが付けたものであって、他の誰かが付けたものではないということを、まず初めに知っておきましょう。

世の中は価値に対して、その対価としての代金を支払います。

価値のスタートラインは、あなた自身があなたをどう評価しているかにあります。

しかし、ほとんどの人は、今現在の自分を取り巻く条件や状況から、常識的なラインでそこそこに未来を見て、そこから自分をそこそこに評価するのです。

基準値の低い人は、「そこそこ」に物事を捉えて、その結果として、未来へのアプローチをボンヤリと描くのです。

あなたの価値は、あなたの設定した「基準値」で決まります。

基準値を上げましょう。

考え方、物事の捉え方、感じ方、反応の仕方等々、そうしたあなたを内側から創り上げる、心のインナーマッスルを再構築するのです。

特に重要なことは、物の感じ方と考え方です。

事に当たって、どう感じ、どう考えたかが全てだからです。

プロは、アマチュアの意見や批判に動じることはありません。

基準値が違うからです。

プロは、アマチュアにアドバイスを求めません。

少し話からそれますが、あなたがアマチュアの域にある時は、プロにアドバイスをすることは控えましょう。

それは、例えば毎年春に、アメリカ・ジョージ州で開催されるゴルフの祭典オーガスタ・マスターズ・ゴルフトーナメントを観戦しているゴルフファンが、たまたま調子を落としているタイガー・ウッズに、「このホールは、こう打て。」と言っているようなものだからです。

基準値を上げる最短ルートは、出来得る限り目標とする人と一緒にいることです。

そして、その人から学ぶのです。

具体的な行動を真似しようとするのではなく、何故その時そういう行動を取ったのかという、物の感じ方と考え方を学ぶのです。

その学びの第一歩は、「成功者がしないことはしない!」という発想を確立することです。

進む為の本質は、アクセルを踏み込むことではなく、ブレーキの解除にあります。

ブレーキとは、あなたの心の中にある「一凶(いっきょう)」です。

一凶とは、あなたの歩みを阻害する根本的なネガティブです。

この一凶は、何かを加えてもなくなりません。

成功者がしないことはしない!

この発想を得た時に、一凶という根本的なブレーキが解除されるということを理解しましょう。

あなたの市場価値はいくらですか?

全ては、あなたの基準値が決めていることを忘れてはなりません。

希望の芽

やるべきことをやらない自由は、ただの先伸ばしです。

問題の先伸ばしは、未来の借金となって、あなたの心のバランスシートに少しずつ積み上がっていきます。

人生は、あなたの気持ちと時間とお金という資源を、具体的な行動にどのように注ぎ込むかで決定されていきます。

節約は美徳ですが、節約オンリーで、人生を達成することは出来ません。

何の為に節約するのかを考えてみれば、それは我が人生をよりよく変更する為です。

生きるとは、命を懸けることに他なりません。

あなたは、何に命を懸けていますか?

ほとんどの人は、こうした人生の根本命題について考えようともしません。

その結果、何に命を懸けているかが、その人物の本質になるということを忘れて、毎日を送ることになるのです。

希望は、可能性の中に潜んでいます。

我が命を可能性に懸けた時、希望の芽が息吹くことを知りましょう。

ここを、強く意識することが大切です。

何故ならば、命は可能性に懸けるという発想を忘れた時、人は知らず知らずのうちに、我が命を不安に懸けて生きるようになるからです。

その結果、ありもしない不安に振り回されて、本来の自分を切り売りし、そしてディスカウントして、自分で自分の価値を下げてしまっていることに気付きもしなくなります。

あなたが、あなた本来のやるべきことをやっていれば、あなたに疲れが襲ってくることはありません。

自分が何処に行こうとしているのかを、一度あなたの心の奥にある地図を引っ張り出してきて、じっくりとそのルートを検討してみて下さい。

もしルートから外れていたなら、修正を加えましょう。

疲労感は、よほどの病気でもない限り、心が発信源です。

体が疲れたから、疲れたのではありません。

心が止まったから、疲れたのです。

やるべきことをやらない自由は、心を止めます。

心が止まれば、雑用に追い掛け回されて、それを仕事と勘違いして毎日を送ることになり、その代償は後日「後悔」という形で、必ず自分自身に返ってくることを忘れてはなりません。

皆が慌てふためく大変な時代だからこそ、しっかりと自分自身の生き方の軸を持って、忙しい忙しいと言って心を自ら亡ぼさないで、心にスイッチを入れて今日一日を達成していきましょう。

心の刀

情報を発信する人と、情報を受け取るだけの人。

この両者の間には、天地の差があります。

情報を発信するということは、自らが何者であるのかを明らかにすることです。

自らが信じる情報を発信しようとすることは、自分自身のなかにある本音を相手にぶつけるということだからです。

それは、刀を抜くということなのです。

刀を抜けば、リスクを覚悟しなくてはなりません。

リスクを覚悟して、リスクに飛び込むのですから、誰でも緊張します。

しかし、人間が伸びよう成長しようという時には、健全な緊張感がなくてはならないのです。

逆から考えてみれば、何もやることもなく、一日をお気楽に過ごした後の、あの後味の悪さ。

緊張感なきところに成長なし、なのです。

SMAPの歌に「No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」という歌詞があります。

歌としては美しい歌詞ですが、その真意を理解している若者は、どれ位いるのだろうかと思ってしまいます。

空気を読むということを自分を押し殺すことと勘違いし、表層的な人間関係を続けている自分をオンリーワンと思い込み、そこに沈殿したフラストレーションをネットへの書き込みで解消する。

オンリーワンが素敵と歌うSMAPは、彼らの業界では紛れもなく、ナンバーワンなのです。

人生は勝負であるということを、忘れてはなりません。

あなたは、勝負していますか?

今あなたが置かれている状況の中で、ナンバーワンを「明るく」目指しましょう。

それは、情報の発信者になるということです。

語って、動きに動くのです。

情報の受信だけをする人は、語り動くあなたを批判し、冷たく見るかもしれません。

しかし、一つだけ言える確かな結論は、リスクを避けて何も語らず動かない人に、未来はないということです。

人は、リスクを避けて通る人が何を言っても、見向きもしないことを覚えておきましょう。

語らなければ楽、動かなければ安穏な空間が、そこにあるかもしれません。

しかし、語らなければ何も始まりません。

動かなければ、あなたの思いがカタチにならないのです。

そろそろ、心の刀を抜きましょう。

勝負を避けて、栄光はないからです。

ストローク

「私はプロだ!」

1日に三回、朝仕事に就く時、昼から切り替える時、そして夜あなた自身に戻ってあなたの未来を創る時に、「私はプロだ!」とストロークしてみて下さい。

プロとアマチュアの差は、天と地ほどの差があります。

まず、集中力が違います。

プロの集中力は、アマチュアと比べれば「桁違い」なのです。

それでは、プロと呼ばれる人たちは、初めからそのような桁違いの集中力を持っていた人たちだったのでしょうか?

稀にほんのごくごく少数の天才はいるとしても、それ以外の大多数の人たちは、努力して集中力を身に付けていったと理解しましょう。

人生を達成する為に必要な最大の力は、集中力です。

集中とは、今やろうとする事以外は、何も目に入らない、何も考えない精神状態をいいます。

例えば、人前でプレゼンテーションをする時とか、何かの面接を受ける時に緊張して上がってしまうことの本質的な理由は、その事に「集中していない」ということに尽きます。

要するに、その時の精神状態は、アマチュアだったということです。

二つ目は、プロにあって、アマチュアにないものという視点で考えてみます。

それは、「場」です。

プロと呼ばれる人たちは、自分自身を発信する舞台を営々と築いてきた人たちです。

勝負する「場」を持ち、そのステージを維持しながら更に大きく進化発展させて、コンテンツとしての自分自身の中身を磨き、バージョンアップすることに考え方の中心軸を置くのです。

あなたは、自分自身を発信する「場」を、お持ちですか?

ここを意識した時から、自分自身が凛としてきます。

自分自身を表現する舞台を意識すれば、嫌が応にも、緊張感に溢れた準備が必要となってくるからです。

それは、負荷でありプレッシャーを伴う作業です。

真のプロフェッショナルは、負荷が創り上げることを忘れてはなりません。

「私はプロだ!」

事に取りかかる時に、こうキッパリと自分自身に言い聞かせましょう。

みるみるあなたの表情が引き締まり、目に輝きが戻り、凛とした空気が漂ってきます。

全ての始まりは、本来あなたのなかにあるプロ魂を、呼び覚ますことにあったのです。

シークレット

人に出来たことが、自分に出来ない訳がない。

気持ちを支える考え方を、脳ミソにフレームとして持ちましょう。

あなたが真に飛躍出来るかどうかは、土壇場に来たときの精神状態にかかっています。

人生は薄らボンヤリ生きていて、充実することなど出来ません。

よく人生は、3回チャンスがあると言われますが、真にそのチャンスの意味を理解しようとする人は、そう多くはありません。

チャンスとは、ピンチであり、ピンチの中に潜む宝を取りにいく行為を言うのです。

その行為を、「勝負」と言います。

勝負の先には、リスクと栄光の二つが待ち構えています。

リスクに怖じ気づく者と、立ち向かう者。

人間はこのどちらかに分かれます。

逆説的に言えば、この両者に入らない者は、論外ということになります。

毎日毎日、何も狙わず志さず、その当然の結果として、薄らボンヤリ生存する。

生きると生存は違います。

人生は懸命に生きてこそ、意味があるからです。

人は引き合います。

あなたが凡物ならば、あなたが関わる人は、いつもいつも凡物であることを忘れてはなりません。

あなたの環境の全ては、あなたの心の投影であり、写し絵です。

それは、あなたの影と言い換えても構いません。

影は、あなたという実態があって発生します。

太陽に向かってあなたが立てば、その後ろにあなたの影が表れます。

その影だけを動かそうとしても、影は動きません。

あなたという実態が動いた時だけ、影も寸分違わずあなたの実態と同じように動きます。

あなたの環境は、あなたの思いや考え方の影なのです。

ですから、あなたの環境そのものをいくらいじくっても、何も変わりません。

それでは一体、どうしたら環境が変わってくるのでしょうか?

答えは、ひとつです。

自分を変えるのです。

環境を変えようとするのではなく、自分を変えていくのです。

真の偉大さは、その業績にあるのではなく、自らを正す能力にあります。

この考え方を、あなたが受け取った時、あなたの人生が内側から変わってくるのです。

人間は合理的に生きようとして、不合理に生きる生き物です。

言っていることと、やっていることが、食い違うこともあるでしょう。

しかし、そこを正していこう、修正していこうという気持ちが、自分を変えようとする行為につながり、その行為こそがあなたの偉大さになって、引き合う人が変わり環境が変わり始めるのです。

恐れず、たじろがず、「今に見ていろ。」の気概で、ただ今この時の環境にある自分自身と、懸命に勝負していきましょう。

大丈夫、あなたは必ず成功します。

そして、成功した時、あなたに見えてくるものがあります。

それは、

若き日に、不安で不安でたまらなかったけれど、歯をくいしばって勝負しようとする気持ちを持った自分こそが、すでに成功していたのだということを。

人生のシークレット。

それは、自分自身の変革を決意したこと、それ自体が成功なのだということ。

さあ、心を晴れやかに持って、今日の一歩を力強く踏み出していきましょう。

あなたは既に、成功しているのです。

最短ルート

「見つめる鍋は煮えない。」

ヨーロッパの諺です。

鍋を火にかけて、煮えたかな、煮えたかなと気にして、その度に鍋の蓋(ふた)を開けて覗いていたら、鍋はなかなか煮えません。

早く鍋を煮たいのなら、あまり気にしないで、しばらく放っておけという意味です。

この諺は、なかなか深い意味を包含しています。

何か問題が起きて、どうしてよいのか分からなくなった時は、その問題を見つめ過ぎないことが、逆にその問題を早く解決します。

心配しなくても、あなたの知らないところで、あなたを守護すべき潜在意識が、しっかりと問題解決の為の最短ルートを検索しています。

自分自身の中にある大きな力を信じた時、あなたに平常心が戻ってきます。

問題というピンチに臨んで、勝敗を分けるものは平常心です。

心を乱してはいけません。

人も考えも問題も、ピンチの時には寝かせてみましょう。

あなたの心の奥底にある意識を信頼して、見つめた鍋から目を離してみるのです。

そして、他のやるべきことに行動を移すのです。

しばらくすると、全く予期していなかった方向から、今まで気に掛かっていた問題が、シンプルに解決されていくことに気付きます。

問題の解決策は、時として途方もないところから湧き出てくるからです。

鍋は蓋を開けずに、じっと火にかけておけば必ず煮えるのです。

覚醒

先が見えない時は、現実に囚われて、雑用に振り回されて、それでやった気になってしまいがちです。

しかし、人生万般、闇を突き抜けて乗り越えてみれば、見えてくるものがあります。

それはあの時、何でもっとやらなかったんだろう、何でもっと早く気付かなかったんだろうと、雑用に振り回されて思考を止めていた自分への苛立ちだったりします。

結局人生は、その時その時の行動が、どういう脈絡でつながっているのかで決定されていくことを、理解しなくてはならないのです。

あなたが、今まさに行おうとする行動に、意味を付けましょう。

その意味とは、「何の為に?」という、自分自身への問いかけに他なりません。

何の為に、今悩んでいるのか。

何の為に、今憤っているのか。

何の為に、今振り回されているのか。

何の為に、今断ち切ろうとしているのか。

何の為に、今変わろうとしているのか。

この自分への問いかけこそが、自分と向き合うことにつながって、今までバラバラに分解されていた行動に脈絡が出てくるのです。


一つの脈絡に貫かれた発想と行動は、必ず結果を生みます。

爆睡した脳ミソを、揺り起こしましょう。

「何の為?」という問いかけが、あなたを根底から覚醒させることを忘れてはなりません。

Attraction

ベンツを買おうと思うと、急に街中を走っているベンツが多くなったように感じます。

子供が受験をしている時は、世の中の全てが受験一色に見えてきたりします。

しかし、街中を走るベンツの数は急に増えてはいませんし、世の中が受験一色に染まったわけでもありません。

人の目に映る様々な事象は、現象としての有り様ではなく、意味としての情報として、私たちの脳にインプットされるのです。

ここに、「引き寄せ」の基本的な構造があります。

人は、出来事から感じた意味に反応してイメージを抱き、そのイメージに従って、自分は何とつながっていくのかを決定していくからです。

そうであるが故に、人間の質とは、モノの感じ方にあるといえます。

モノの感じ方が、イメージにつながっていくからです。

モノの感じ方がイメージを創り、そのイメージが命の傾向性となっていきます。

命の傾向性はやがて、その人の人間力の基準値となります。

自分自身の変革とは、自分自身の人間力のレベルを上げることに他なりません。

レベルを上げるとは、基準値を上げることを意味します。

あなたの「人生」という壮大な絵巻は、その全てが感じ方の基準値にあるのだと理解することが大切です。

事に対峙した時の、感じ方を訓練しましょう。

感じ方のレベルを、引き上げていきましょう。

前向きに、価値ある感じ方が出来れば、前向きで価値ある人を引き寄せていきます。


後ろ向きで、破壊的な感じ方を持てば、後ろ向きで破壊的な人とつながっていきます。

感じた通りに世の中が映り、映った通りの環境と人を引き寄せるからです。

人は、自分にとって重要なものしか見ようとはしません。

人は、自分から見ようと準備したものしか、見ようとはしないのです。

あなたは今、何を見ていますか?

見た何かから、何を感じていますか?

ここに引き寄せが起こり、人生という物語が劇的に展開されていくのです。


第二の遺伝子

人生は、プレゼンテーションです。


どれだけ思っていても、それが言葉として表現出来なければ、あなたの思いが相手に伝わることはありません。

プレゼンテーションの基本は、人の話をよく聞くことから始まります。

言葉、とりわけフレーズの貯金をすることをお薦めします。

大切な観点は、人の話を聞く時に、評価して聞かないということです。

素直な気持ちで、自分のなかにある先入観を払拭(ふっしょく)して、人の話を聞く姿勢を持ちましょう。

そうした状態を、「集中」といいます。

集中出来る状態を創ることが出来る人は、将来「無敵」の人となります。

集中した状態を創ることが出来る人は、如何なる状況にも、如何なる人物にも、心を乱すことがありません。

人の話を評価して聞く人は、その段階で集中と学びの両方を、放棄している人です。

学ぶべき時に、「囚われの我」に心を支配されて、一見それは主張する積極的な精神に見えますが、実はそれこそが将来における「小者(こもの)」としての自分の素地になっていくことに気が付かないのです。

人の話を、つまらない取るに足りない観点から評価して聞いている人は、いざ自分が人に何かを伝える番が巡ってくると、頭が真っ白になって、シドロモドロになり、何を言いたいのかがよく分からない話をします。

その理由は簡単です。

自分が人の話を冷ややかに評価して聞いていますから、いざ自分が人の前で話す番が来れば、当然自分の話も冷ややかに評価して人は聞くだろうと、潜在的に感じているからなのです。

人物としての真価は、何を感じて、それをどのような態度で語り、そして行動しているかで決定されていきます。

その勝負の舞台は、語る時なのです。

あなたが一兵卒ならば、ただ動き回っていればそれで済みます。

しかし、如何なる組織、如何なる社会であれ、人を引っ張っていく側に上がっていけば、その仕事の中心は、人に語るというプレゼンテーションであることを理解しなければなりません。

その時、あなたがどういう態度で、何を語るのかが、あなたの価値となるのです。

その時の為に、心を開いて、素直な気持ちで人の話を聞きましょう。

よく覚えておいてください。

人生を変えるものは、言葉です。

言葉こそが、第二の遺伝子だからです。

人は自分にとって、運命のワンフレーズと出会って大きく変わるのです。

感動出来る自分を、創り上げていきましょう。

感動出来る自分だからこそ、自分に変化をもたらす言葉と出会え、そして変化したあなたが次に続く世代に、第二の遺伝子としての言葉を、フレーズに変えて語り継ぐことが出来るようになるのです。

人生は、プレゼンテーションです。


語るべきことを語っていける、力あるリーダーへと成長していきましょう。

放棄の代償

考えない人は、何が起きても考えていません。

そして、何が起きても反省しません。

ですから、何回も何回も同じミスをして、同じところで引っ掛かるのです。

人生に自動操縦はありません。

自分で何も考えずに、ただ人に教えられた通りにやっていれば大丈夫と考えた時から、あなたはその他大勢の一人となります。

人生の勝敗を制するものは、言うまでもなく気持ちです。

その気持ちは、突き詰めて考えるところから出来上がってくることを忘れてはいけません。

気持ちや思いといっても、結局は自分とどう向き合い、その時その時の自分に対して、どう考えてどう渡り合ったかということの積み重ねだからです。

時には一人静かに、うまくいかない理由を突き詰めて考えてみましょう。

そこで面倒くさがったらアウトです。

うまくいかない理由は、突き詰めてみればシンプルです。

それは、あなたの取った行動が稚拙だったのか、それとも考え方に問題があったのか。

うまくいかないことが連続化しているとすれば、そうしたことですら枝葉的なことに過ぎなかったことに気付きます。

ではうまくいかない時は、何を突き詰めて考えたらよいのでしょう?

それは、「在り方」です。

事に処した時、あなたが「どう在るか。」という「在り方」の問題だったのです。

自分と向き合うとは、その時その時に思ったことや取った行動の一つ一つを分析することではなく、その時あなたが、どう在ろうとしたのかを考えることなのだと解釈しましょう。

ビジネスも対人関係も、人生の何もかもが、あなたの態度で決まることを忘れてはなりません。

態度とは、在り方です。

事に処して、どう在るか。

ここを意識した瞬間から、あなたの大切な何かが確実に変化し始めるのです。

心の不良債権

そんなの面倒くさい。

まっ、いいか。

こうした発想が出てきたら、要注意です。

これこそが、「先伸ばしの心理」の正体だからです。

特に危ないのが、面倒くさいという感覚です。

人生を拓く扉には、面倒くさいことばかりが書かれています。

面倒くさいことを避けて、我が人生に大輪の花を咲かせることなど誰も出来ません。

面倒くさそうなこととは、一体何なのでしょうか?

それは、しっかりと辛抱強く手順を踏むということです。

手順とは、準備することにも通じます。

ヨーロッパに、

「幸運は、準備なき者を助けない」

という諺があります。

粘り強く地道な努力を積み上げる以外に、成功の階段を昇ることは出来ません。

準備とは、コツコツと手順を踏むことなのだと、再度自分自身に言い聞かせましょう。

大敵は、面倒くさいと感じて手順を飛ばす、先伸ばしの心理です。

こうした後退の心理を認めれば、それは心の不良債権となって、未来のあなたを足元から揺るがしかねない、重大な禍根となる可能性が高いことを忘れてはなりません。

そんなの、面倒くさい。

まっ、いいか。

これが、心の不良債権です。

やるべきことは、一つ一つ粘り強くしっかりと手順を踏んで、未来の希望という優良債権にしていきましょう。

人は、たとえ今苦しくても、未来に希望を感じることが出来れば、がんばりきることが出来るからです。

断ち切る!

たいていの人たちは、年を重ねるに従って機械のようになっていきます。

その理由は、意識的にせよ無意識的にせよ、これまでに自ら創ってきた習慣が威力を増していくからです。

私たちが成功するか、それとも挫折するかに影響を与えているもの、それは習慣を差し置いて他にはありません。

私たちは、習慣の生き物だからです。

私たちは過去の自分を模倣して、自分のやろうとする行為に安心感を覚えようとする生き物なのです。

私たちの意志は、曲がったり、折れたりと、まるで一枚の紙が折り曲げられる度に折り目がついて、次に折り曲げることが簡単になるのに似ています。

私たちがまず気が付かなくてはいけないことは、全ての習慣は意志によってコントロールされているということです。

意識的にせよ無意識的にせよ、ほとんどの人たちが、毎日次から次へと新しい習慣を創り出しています。

あることを同じやり方で何度か繰り返せば、そのやり方が習慣になっていくのです。

繰り返す回数が多ければ多いほど、その習慣はあなたの心にしっかりと根を張って、あなたの行動のシステムとなっていきます。

それが、悪癖であった場合が厄介なのです。

しかし、どんな習慣も、それと反対のものに強く集中することで断ち切ることが出来ます。

ひと月に一度、自分の習慣に考えを集中し、自分にとってプラスの習慣とマイナスの習慣を見極めてみましょう。

いくつか必要な変化を起こせば、それだけのことでマイナスの習慣も有益なものに変わり、プラスの習慣は更にエネルギーを得て強固なものに進化します。

では、いくつかの必要な変化とは、一体何を指すのでしょうか?

それは、捨てる勇気を持つことです。

迷いを捨てる!

迷った時は、捨てて進む!

この心構えを持つことが、必要な変化です。

心配は無用です。

本当に必要なものは、捨てても必ず戻ってきます。

それが宇宙の法則だからです。

オール・クリア

自殺者5万人確実!

失業者300万人!

年金・健康保険破綻寸前!

貧困率16%で、先進国における最悪の貧困率!

年収200万円以下が、就業者の3分の1に!

この国は、一体どうなっちゃったのでしょう。

さらに、福島第1原発事故は全く終息の兆しを見せず、全国にセシウム牛の汚染肉や野菜が出回り、あたかも全世界が固唾(かたず)を飲んで見詰める人類史上空前の放射能人体実験が、日本全土で展開されているにも関わらず、国民の大半がのほほんと思考を停止しています。

ある国で長崎・広島の被曝者たちが原爆の恐ろしさを訴えた際、その国の記者から、「原爆で苦しむあなた方日本人が、なぜ原発を54基も持ち、世界でも最大級の原爆の材料となるプルトニウムを保有しているのか?」と逆に質問され、答えに窮してノーコメントで押し通したとのことでした。

さらに、政官財とマスコミは、事ここに至っても、節電だ、なんだかんだと言って、原発が止まったら停電だぞと国民に脅しをかけ続けています。

彼らの厚顔無恥には、甚だ呆れるばかりです。

こうした訳が分からなくなった時代を生き抜くために重要なことは、自分自身の軸と哲学をしっかりと持つということです。

そして何よりも、「先を読む眼」を持つことの重要性を意識しなければなりません。

先を読む!

今に流されず、先を読んで一歩を踏み出すことが、今という時代を生き抜く必須の条件だからです。

今、一番危ない発想は、「みんながこうだから!」という横並びの発想です。

こうした横並びの発想は、いずれただ頑張るしかないという短絡的な結論にいきがちです。

しかし、こうした非常時には、ただ頑張るしかないといった思考停止の発想が、更なる危機を呼び込むことになります。

大事なことは先を読むことで、先を創り出す行動を取ることです。

それでは、先を読むとは一体どういうことなのでしょう。

それは、こうしたオール・クリアの時代にしかできないことを選択するということです。

オール・クリアの時代だからこそ、許されること。

それは、過去は帳消しであり、全く関係ないということです。

そうであるならば、過去の呪縛に囚われて足が前に出ないということが、最も愚かな行為であるということになります。

今こそ、恐れることなくビジョンを持って先を読み、一歩を踏み出しましょう。

その際のポイントは4つです。

第1に、収入の「質」に対してのビジョンを持つ!

第2に、時間という「価値」に対してのビジョンを持つ!

第3に、仲間という「つながり」に対してのビジョンを持つ!

第4に、肉体的・精神的健康という「命の基盤」に対してのビジョンを持つ!

これら4つのビジョンを明確にすることが、先を読むということにつながります。

ここまで縷々(るる)述べてきましたが、要するに何が言いたいのかと言えば、「先を読むとは、人生を拡げることである!」ということです。

人生を拡げましょう。

何があっても、縮めてはいけません。

暗いことが起きるのは当たり前!

これ位の強い気持ちを持って、ビジョン直結の勇気ある一歩を出し続けていきましょう。


土壇場力

人間最後の力は、才能でも何でもありません。

人間最後の力は、意地です。

意地が、土壇場であなたを支え、あなたを急上昇させるからです。

土壇場力。

ピンチに立って守りに入る者は、次の飛躍の為の投資となる行為を放棄した人です。

「背水の陣」という兵語があります。

文字通り、敵を向こうに回して、背後は川で、後退すれば死ぬ以外にないという状況を指します。

もう、前に進む以外に生き残る道はないという、ワンウェイ・ロードです。

人はなまじ選択肢を多く持つほど、そこに迷いを生じ、躊躇し、超えてしまえば何でもなかったことに二の足を踏むのです。

背水の状況で、自ら橋を焼き払えるか。

人生は、すばしっこい人が勝つとは限りません。

頭の切れる人が勝つとも限りません。

結局最後は、「私は出来る!」と思った人だけが勝つのだということを、肝に銘じましょう。

もうちょっとで、届くのに。

もうちょっとで、抜け出ることが出来るのに。

こうした、もうちょっと、もうちょっとの人は、自分ではあと少しと思っているかもしれませんが、そのもうちょっとの距離は、月に行くのと同じくらい距離があるということを知らなくてはなりません。

もうちょっとの人は、永遠にもうちょっとの人です。

もうちょっとの人は、いつも土壇場で諦める人です。

人生は、囲碁とよく似ています。

最後に一目多く取れば、それで勝ちだからです。

真のプロフェッショナルは、いつも終盤戦を頭に入れて、戦いの駒を進めます。

そして、土壇場という勝負処が来たら、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に打って出るのです。

あなたがもし伸び悩んでいるとしたら、それは勝負をしていないからです。

土壇場でどれだけ踏ん張れるか。

この土壇場力が未来のあなたを、力あるリーダーへと育てることを決して忘れてはなりません。

思いが始まり

思いの力で人生を変えられるのは、人間だけです。

街を歩きながら、すれ違う様々な人たちの顔を観察していると、今までどんなふうに人生を過ごしてきたのか、大体の察しがつきます。

人生を文字通り、「人生」と捉えてチャレンジしてきたのか。

人生を「生活」と捉えて、雑用に振り回されてきたのか。

人生を、「生存」と捉えて、食う・寝る・出すを基本とした毎日を過ごしてきたのか。

鏡があなたの容貌を映し出すように、顔はその人の生き方を映し出しています。

思いの力を意識しましょう。

思いの力を強く意識することで、自分では想像も出来なかった内なる可能性に気付くからです。

思いは、目に見えない線を通ってあなたに届きます。

そして、あなたを動かしていきます。

あなたの思いが、あなたの環境とあなたの友人関係をつくり、それらを変えるのもまた、あなたの思いなのです。

素直で清らかな思いは、建設的です。

逆に、ひねくれた邪(よこしま)な思いは、破壊的です。

素直で清らかな思いを持って正しいことをしたいという考えには、必ず大きなパワーが宿ります。

あなたの思いが、凛として気高いものであれば、同じように凛とした清らかな思いを湛(たた)えた人とつながりができ、そのつながりがやがてあなたを助けることになります。

あなたの思いがズルイものであれば、あなたの周りにはズルイ人が集まってきて、あなたをたぶらかそうとします。

要するに、思いが全ての始まりなのです。

あなたの思いが正しいものならば、あなたと係わる人たちの心に信頼感が生まれます。

そしてその結果、あなたは係わった人たちから善意を受けとることになります。

今度はあなたが、人の善意を受け取ることで、自分に対する自信と強さが増幅していくことを実感出来るのです。

その経験のなかで、やがてあなたは自分自身の価値と、どんなにつらい環境のなかでも頑張り通せる強い心を獲得出来るようになるのです。

思いを正しい経路に集中させましょう。

思いは、目に見えない線を通ってあなたに届き、あなたを突き動かしていくからです。

あなたの宝

旅の初めは、旅の終わりほど重要ではありません。

あなたの旅は、どういう人生にたどり着く旅ですか?

物事を始める前には、先を見通して、この道を歩むことが最後はどこに行き着くかを考えることが必要です。

どこにも通じていない道を、選択してはなりません。

どこかに通じている道を、選ばなければならないのです。

何らかの形で、実のある「結果」を伴う旅であろうとすることが、人生だからです。

人生が最後に自分自身に突き付けてくるもの、それは結果責任です。

厳しい言い方ですが、自分自身が歩んだ人生をごまかすことは、何人たりとも出来ません。

行く末を視野に入れずに単純な努力を続けても得るものは少ないということに、早く気付くことが重要なのです。

人生をより良く生きるための柱となるものは、「方向性」です。

方向性とは、目的の選択です。

ここを誤らなければ、あなたの取る行動の全てが、選択した目的に向かって、適切にあなたを近付けてくれます。

人生の方向性を間違えないこと。

ここが重要なのです。

あなたの過去が引き寄せた日々の様々な出来事に、心を奪われてはなりません。

あなたが、日々の仕事や会社や、些細なことからこじれてしまった人間関係に振り回されて、ボロボロにされなければならない理由など、どこにもないからです。

それでも、もしそのような状態になっているとしたなら、何かが間違っています。

あなたが自分のしていることと調和していないから、引き寄せるべきではない力や影響を引き寄せているのです。

その結果形作られたものが、今の環境なのだと理解しましょう。

忍耐力をもって、前向きに状況を打開していくのです。

「やり続けよう!」という気持ちも、「諦めよう」という気持ちも、使うエネルギーは同じです。

後者を口にした瞬間、あなたの発電機は停止して、決意は瞬時に消え去ります。

決めたことを投げ出す度に、あなたの宝である「決断力」は、衰えていくということを忘れてはなりません。

エレメント

「人を泉に連れていくことは出来ても、泉の水を飲ませることは出来ない。」

ヨーロッパに伝わる故事です。

泉への道案内は出来ても、その水を本人が飲もうとしない限り、力ずくで飲ませることなど出来ないのです。

どれだけ環境を整えても、やるかやらないかはその本人にかかっています。

逆に、劣悪な環境をものともせずに這い上がってくる人もいます。

環境が、やるかやらないかを決める決定的な要因ではないという証左です。

やる人の特徴は、環境に左右されて行動を決めていないという点にあります。

環境とは、条件・状況を指します。

条件・状況が整ってから本気で動こうと考える人は、その考え方を根底から変更しなくてはいけません。

何事かを成し遂げたいのなら、条件・状況という環境が神秘的に整うことなどないということを学ばなくてはなりません。

結果を決めて、条件・状況を整えていくのです。

違う言い方をすれば、結果を決めて具体的に行動するなかで、条件・状況は整ってくるということです。

結果を決めるとは、決意するということに他なりません。

腹を決めるということです。

出来そうとか、出来なさそうとかの気分で行動を決めるのではなく、やらなくてはいけないことは断じてやるという、吹っ切れた決意で事に望む時、条件・状況という環境が整ってくるということなのです。

あれこれ頭をこねくり回すより、腹を決めましょう。

結果を決めて、原因を創り上げていくことが、乱世を生き抜く要諦(ようてい)だからです。

ジグソーパズル

あなたの今日一日の「任務」は何ですか?

仕事でも作業でも用事でもなく、あなたをあなた足らしめる任務を聞いているのです。

輝く人生への勝負の舞台は、一日一日の使命感に溢れた、任務の遂行のなかにしかないことを知らなくてはなりません。

伸びない人の行動パターンを見ていると、毎日毎日を雑用に追われて、ただ単にバタバタしていることを、充実していると勘違いしていることに気付きます。

自分自身の人生を達成したければ、そこにつながるジグソーパズルの一片一片を根気強く当てはめていかなくてはなりません。

人生を形作っていく行為は、人生という舞台における、任務の遂行以外にはあり得ないのです。

忙しいとか、その程度の言い訳は通用しません。

目標に近づきたいのなら、あなたの目の前にある、ただ今この時の目標と関係のある行為を繰り返すしかありません。

それを、任務というのです。

一刀両断的な言い方をすれば、少し気にかかる程度の雑事をエラーしても、あなたの人生にさほどの影響は及ぼしません。

しかし、任務を怠った代償は高くつきます。

それは何故かといえば、任務を怠って雑事のみに生きても、成功は出来ないからです。

成功とは、自己実現です。

自己を実現出来ない人は、結局つまらない人生を晩年に迎えることになります。

つまらない人生とは、辛い人生を指します。

何故辛いのか?

人生を築く時に一番大切なことを考えず、ただドタバタして軽薄に生きた人を、尊敬する人など世の中に一人もいないからです。

自分を実現する意味は、最高のメモリーを得るためです。

最高のメモリーは、あるがままの自分が真に尊重され、重要人物として扱われるなかでしか得ることは出来ません。

それこそが、人生を生きた証であり、自分自身の証明であり、あなたに続く次世代への最高のギフトとなるのです。

さあ、ややこしい言い訳をスパッと断ち切って、生まれ変わったような気持ちで、今日一日の任務につきましょう。

今日のその任務こそが、あなたの輝く未来を形作るジグソーパズルの一片となるからです。

ターニングポイント

人は誰でも、二人の自分を持っています。

風の音にも不安を抱く弱い自分と、何者をもなぎ倒して進む強い自分と。

前進しようとする自分と、後退しようとする自分です。

どちらの自分に集中し、育てるかによって、最終的にどんな自分になるかが決まります。

そこに決着をつけるのは意志の力だけです。

意志の力を信じて具体的な努力を積み上げた人は、やり始める前の自分から見たら、奇跡と言っていいことを成し遂げられます。

まず大切なことは、こうなりたいという強い意志を持つことなのです。

意志が決定権を持っていることを、決して忘れてはなりません。

意志こそが道を見つけ、道がなければ道を創るものだからです。

平々凡々とした毎日を何の疑問も抱かずに送っていた人が、ある日突然何かがキッカケとなって、昏睡状態から覚めたように、自分の内にある可能性を伸ばし始めて生まれ変わったようになる。

これが、人生を生きる意味に気付いた人の、王道ともいえるパターンです。

本当の自分に会いにいきましょう。

人生のターニングポイントを持つのです。

そして、人生のターニングポイントを決められるのは、自分自身以外の何者でもないことに早く気付きましょう。


進もう、変わろうとする神聖な自分に支配権を持たせるのか。

何か予期せぬ事が起きると、諦めて撤退しようとする弱い自分に支配権を持たせるのか。

どちらを選択するかが、人生を決定していくのです。

意志の力を使って、強く望むことが全ての出発点です。

これが分かれば、誰でもが自分の人生という映画の監督となることができます。

意志の力を意識しましょう。

私たちの行為は、訓練の結果です。

人は粘土のように柔らかいものです。

故に、自分の内にある意志の力で、どのようにでもコントロールできることを忘れてはなりません。


既定路線

不安の正体は、可能性です。

自信と不安が常に入り乱れている。

これが、前に進もうとする人のメンタリティーです。

進歩しているからこそ新たな不安が出てくるのであって、それは決して悪いことではありません。

何か新しいことに挑戦していて、不安な要素がまるでないというのが、逆に一番危ないのです。

本当に物事を成し遂げようという時、人は必ず真剣に自分と向き合い、そして何が悪いのかとあれこれ考えます。

その時、不安が襲ってこなかったとしたら、それは自分が突き進もうとすることをちゃんと考えていないということになります。

ですから、何かを成し遂げようとする時に、ずっと絶好調、ずっと右肩上がりが続くことなどあり得ないと心得ることが大切なのです。

戦いにおいての浮き沈みは、あって当たり前であり、ない方が異常です。

そう捉えられれば、一時のスランプも既定路線の一つであり、取り立てて大騒ぎする必要もなくなります。

要は、気が楽になるような考え方をすることが大事なのです。

スランプに落ちた時は、そのうち上がるさと、他人事(ひとごと)で思えるかどうか。

深刻になってはいけません。

深刻になると、思考が止まるからです。

考えるということが、とても重要なことであるのは言うまでもありません。

不安を持つということも、思考力を高める一つの要素です。

しかし、あまりに深刻になると、思考力がよい方向に働かなくなってしまいます。

逆に、勝って全てが正しいと思っている時が、一番危ないということも覚えておいてください。

たまたまうまくいったことは、二回あると思わない方が無難だからです。

負けた時の全否定も、よくありません。

その負けの中に、次につながるキラッと光る何かが隠れていたりするからです。

確かに、駄目なものが沢山あるからうまくいかない。

しかし、それは一から十まで駄目なのではなく、例えば、考え方は良かったけれど、出す順番とかやり方を間違えた、ということはあります。

うまくいかなかったのは、どこか少しボタンを掛け違えただけで、ボタンの位置は間違えてはいない。

掛け違いが始まると、全てがずれるのは当たり前で、最初だけ修正したらあとはスムーズに行くはずです。

それくらいの準備はしていたし、全くの見当外れでとんちんかんな見方をしていなければ、過剰な自信喪失や反省はするべきではないのです。

皆、誰もが真剣に生きてきて、その時その時の判断を、いろいろなリスクがありながらも選んで、今日まできました。

他の人には分からない事情が、誰にでも沢山あるのです。

そのことに、自信を持たなくてはいけません。

そうした中で、たとえうまくいかなかったとしても、自分を全否定する必要など全くないのです。

これだけ出来ているのだから、もう少し状況が変わってきたら、今度は出来る!

くらいの見方でよいのです。

歯車が一つ狂ったくらいで、ガタッといくのが一番よくありません。


思考も体も、前に進まなくなるのが一番駄目だからです。

何の為に

収入は、何が決めるか、考えたことはありますか?

収入は、あなたの意識が決めるのです。

貧乏なのはまだOKです。

何がいけないのかと言えば、貧乏くさいことがいけないのです。

貧乏が悪いのではありません。

ずっと貧乏なことが悪いのです。

意識を上げましょう。

勝負は、取り組む前についています。

今の現状にとらわれて、その延長線上から未来を展望してはなりません。

それは、望まないものに意識をフォーカスすることになるからです。

自らが望まないものに、焦点を合わせない。

自らが本当に望むものに、意識を向けるのです。

そうすれば、潜在意識という無意識が、あなたの知らないところで、あなたが真に望むものを実現するためのスキルを収集して、体系化しているということを覚えておきましょう。

状況がどうあれ、意識を望まないものに向けてはなりません。

意識するとは、意志の発動を意味します。

意志が発動されれば、そのとき道は突然現れてきます。

忙しいからと、出来ない理由を探しても、あなたの人生には何も起こらないのです。

忙しいことをやらない理由にした時、人生の綻(ほころ)びが始まることを忘れてはなりません。

忙しいとは、心が亡ぶと書きます。

なぜ忙しいと感じているのでしょうか?

今まで、何も考えてこなかったからです。

思考を停止してきたから、他者の意志に支配されて、その状況であれこれ動くことを、忙しいと勘違いしたのです。

忙しいと言う人に、聞いてみたいことがあります。

忙しい忙しいと言うけれど、あなたは一体、何の為に忙しいのですか?

何の為に!

これが一番大切なところだからです。

自分自身を成立させる肝心要(かんじんかなめ)の発想をここに持ってきた時、あなたに落ち着きが戻ります。

一つ一つのパズルをつなぐもの、それは何の為にという発想であり、ぶれない自分を創っていく要諦が、ここにあるのです。

いらない保険

本当にやると決めている人は、いちいち前置きは言いません。

出来なかった時のことを想定して、保険を掛けたりはしないということです。

伸びない人をじっと見ていると、分かってくることがあります。

それは、伸びない人というのは、ややこしいということです。

いちいち言うことがややこしいし、面倒くさいのです。

例えば、両手で水の入ったコップとリンゴをそれぞれ持っているとします。

しかし、次の瞬間目の前のテーブルの上に置いてあるバナナを取ろうと思ったら、今握っているコップかリンゴのどちらかをテーブルに置かなければなりません。

コップかリンゴのどちらかをテーブルに置いて、バナナを取りにいくのです。

このような日常茶飯事の行為は当たり前に出来るのに、この当たり前の行為の奥にある本質に気付ける人は、そう多くはありません。

無意識の中にある本質に気付きましょう。

無意識の中にある本質を意識化しましょう。

これが、先を見るということにつながるからです。

伸びない人は、例外なく先を見ようとはしません。

先を見るとは、今手にしている何を捨てるのかを決めることです。

では、捨てるとは一体どういう意味なのでしょうか?

それは、永久(とわ)の別れを指すのではありません。

一時的な別れです。

ちょっとの間、バイバイ。

といった感じのトーンです。

進まんがためには、今手にしている何かを手放さなければなりません。

手放すとは、握っているコップを目の前に置くことです。

それを、捨てると言うのです。

捨てるとは、思い出さないこと。

伸びない人は、いちいちどうでもよいことを思い出し過ぎなのです。

本当に進化、成長したいのなら、やろうとすることに、ややこしい前置きをすることは止めましょう。

やってもみないうちから、言い訳という保険を掛けても、誰もあなたを凄いとは思いません。

その言い訳保険は、あなたを迷わせたあげく、あなたの心を後ろ向きにすることを忘れないでください。

迷って逃げた先には、何もないのだということを忘れてはなりません。

Be diamond!

誰でも傷付きたくはありません。

出来るなら、傷付かないで生きていきたい。

こう思うのは、誰にでもある自然な自己防御反応だと思います。

しかし、何かに向かって進んで行くという行為は、今までの弱い自分を研磨していくということでもあるのです。

命は磨かれて本物となり、輝くことを忘れてはなりません。

では一体、何が命を磨くのでしょうか?

それは、トラブルです。

トラブルが、あなたの命を磨くのです。

故に、トラブルは宇宙からのギフトであると解釈しましょう。

トラブルに遭遇したら、引き下がってはいけません。

ひるんではいけません。

望むところとばかりに、打って出ましょう。

命も時間も、貯金は出来ないからです。

命も時間も、使うものであることを、考え方の基本に据えましょう。

トラブルに遭遇して、傷付くことを恐れてはなりません。

傷付くことの本質は、傷付くことを恐れた弱い命にあったのです。

突き詰めて考えていけば、生きるとは傷付くことです。

それを、命を磨き大きくするチャンスとするか、命を縮ませて小さくする恐怖とするか。

人生は、トラブルに直面した時の態度で決まることを、肝に銘じましょう。

態度とは、在り方です。

どう在るかなのです。

ダイヤモンドは傷付きません。

あなたがダイヤモンドで在ろうとすれば、どんな困難やトラブルが襲いかかって来ても、傷付くことはありません。

一つ大切なことを言います。

覚えておいてください。

それは、

あなたが傷付くことを恐れて、傷付かないように生きていると、死ぬその時に思い切り傷付くのだということを。


目標の正体

やるとあれほど強く思ったのに、いつの間にかその思いがフェードアウトして、気が付いてみれば何もやらない自分に逆戻りする人がいます。

初めは勢いよく飛び出しても、途中から人にお尻を叩かれなければ、足を進めることができない!

だから、自分が燃えているときに、「私はやります!」とコミットメントをする。

入念に、いつまでに何を成し遂げるのかを力強く宣言して、その空気を盛り上がった自分を持続させる拠り所として、さらに自分以外の人たちにそのときの意気込みを熱く語ることで、何があってもやり続ける自分を維持しようとするのです。

コミットした本人は、言っちゃったんだからこれはもうやるしかないと、目標に立ち向かっていく強い心をつくり、そしてその通りにやり抜く自分へと、自分で自分を意図的に追い込んでいきます。

コミットメントすることの重要性が、こうした流れのなかにあることは、多くの自己啓発本に書かれている通りです。

こうしたコミットメントをすることの重要性を、決して否定するものではありません。

しかし・・

しかし、なのです。

あえて言わせて頂ければ、自分が心からやろうとすることに対して、どうしてそのようなコミットメントが必要なのでしょう?

どうして、自分がやろうとする目標をわざわざ他人に知らしめて、そこで自分を追い込み、自分を奮い起たせていこうとしなければならないのでしょう?

何故こんなことを言うのかというと、それはこういうことが言いたいからです。

私が言いたいのは、あなたがやると決めた目標は、わざわざ人に宣言しなければできないという、その程度のものだったのですか、ということなのです。

やり始めて少し時が経つと情熱が冷めて、他人にお尻を叩かれなければ前に進めなくなるからコミットメントするのですか?

あなたの目標とは、一体何だったのですか?

ここなのです。

ここが、一番重要なところなのです。

あなたは、目標というものの正体について、じっくりと考えてみたことがありますか?

目標の正体。

それは一体何なのか。

それは・・

「愛」です。

ご存知でしたか?

例えば、あなたが成功したいと思ったのは、自分だけが贅沢三昧して、自分一人がやりたい放題の人生を送りたいと思ったからですか?

いえいえ、決してそうではなかったはずです。

あなたが成功したいと思った真の動機は、愛する家族一人一人の幸せのためだったはずです。

愛する家族と幸せな人生を送るために、成功を目指し、そのための目標を立てたはずなのです。

ですから、あなたの目標の正体は、紛れもなく愛そのものでした。

愛から出発した目標は、コミットメントしなければできないなどという類いのものではないはずです。

何故ならば、主婦が大切な家族にご飯を作ることを、いちいち人にコミットメントなんてしないじゃありませんか。

それは、家族にご飯を作るという行為そのものが、愛で貫かれているからです。

あなたの目標が愛であれば、あなたの情熱が冷めることは絶対にありません。

あなたが人からお尻を叩かれなければ動けないのは、あなたに愛がないからです。

どうして、そんな自分になってしまったのか。

それは、いつの間にか目標が、愛から義務に変わってしまったからです。

愛が義務に変わったとき、情熱は静かに息絶えていきます。

愛が義務に変わったとき、あなたのなかで、その目標は死ぬのです。

そしてあなたは、人からはっぱをかけられて、お尻を叩かれなければ動けない人間になってしまうのです。

目標の正体は愛です。

ここが本当に理解できれば、あなたの情熱は不滅の力を持ちます。

何故ならば、人は愛で生き、愛で力を生み、愛で命をつなぐ生き物だからです。


進化と停滞

歩き続けていれば、景色は必ず変わります。

立ち止まれば、いつまで経っても、景色は変わらず同じままです。

昔よく食べたラーメン屋さんに行って、昔のままに出されているラーメンを食べた時、

「そうそう、この味だ。変わってないなあ。」

と思った経験は誰にでもあると思います。

しかし、本当にそのラーメンは昔と同じままで変わっていないのかと調べてみると、微妙に味を変えてきたというラーメン屋さんが意外に多いことをご存知ですか?

つまり、昔食べたのと同じと思っていたラーメンは、少しずつ進化という変化を遂げていたから、昔と変わらない味だと感じたのです。

人間も同じで、進化という変化を続けていかないと腐ってきます。

では、進化につながる変化とは何なのでしょうか?

それは、ものの感じ方の変化です。

例えば、頑張るということと目指すということは似て非なるものだということが理解出来ていれば、あなたは進化につながる変化をしています。

頑張るとは漠然と動くことであり、目指すとは具体的に動くことだからです。

漠然と動くと漠然とした問題が出てきて、なかなかゴールにたどり着けない、堂々巡りの行動を繰り返すことになりがちです。

具体的に動けば、具体的な問題が出てきます。

問題が分かり易くなるのです。

問題が分かり易くなれば、対処の仕方もシンプルになります。

シンプルに行動すれば、必ず出来事が起こります。

あなたは、起こってきた出来事には、意味があると思いますか?

それとも、意味など無いと思いますか?

答えは、両方正解です。

漠然と頑張っている人には、出来事に意味など感じません。

感じなければ、無いのと同じですから、出来事に意味などありません。

具体的に目指している人には、全ての出来事に意味を感じることが出来ます。

感じたのですから、起こってきた出来事に意味が宿ったことになるのです。

起こってきた全ての出来事を、必要・必然・ベストという「意味」で感じることが出来れば、全てを許容出来ます。

意味を感じることが出来なければ、進化に続いていく変化の拒絶へとつながることは否めません。

許容か、拒絶か。

進化か停滞か。

答えは、自ずから明白です。

壁か階段か

意識と自覚は、全くの別物です。

意識することは、普通に生きていても出来ます。

男性は女性の前では自然に男性を意識し、女性もまた同じです。

意識するとは、ある意味「自然に」という無意識が、その行動の基底部にあるということなのです。

そうであるならば、犬は犬という意識で生きていることになり、猿は猿、猫は猫という意識で行動を決定しているということになります。

即ち、この世に生きている全ての生き物は、自分を成立させている意識を振る舞いの基底部として、無意識的な「自然に」という感覚で動いているのです。

しかしその一方で、動物と人間というくくりで考えてみれば、明らかに違うものがこの両者の間にはあります。

それが「自覚」です。

自覚とは、ハッキリと顕在化された意識であり、明確な思いであり、自らの代名詞となる立ち位置であり旗色です。

猫は猫という無意識的な「自然な」意識で、猫という行動をします。

しかし、猫が自らの猫としての使命を自覚して動くことはありません。

動物に、自覚という意識は存在しないのです。

自覚とは、人間だけに与えられた天賦の才であることを再認識しましょう。

そうであるが故に、人生の高低浅深は、意識していることではなく、自覚していることが決定していくのです。

人生は、何を意識しているかではありません。

人生は、何を自覚しているかなのです。

通り一辺の意識でチャレンジしても、たちまち行く手を阻む問題に直面してたじろぐことになります。

それは、その通り一辺の意識が、その問題を、行く手を阻む壁と見たからです。

しかし、自覚という心眼でその問題を眺めれば、その問題は壁ではなく、階段と映るのです。

壁と階段は違います。

問題を壁と見れば、その瞬間、脳裏に「よじ登るのは困難!」というイメージがよぎります。

問題を階段と見れば、その瞬間、脳裏に「その階段を一歩一歩上がればいい!」という落ち着きがイメージとしてよぎります。

人生を決定づけるものは、自覚なのです。

あなたが、時代を先駆するリーダーたらんことを自覚すれば、あなたは素晴らしいリーダーとなります。

あなたが、やっても駄目かもというような弱気を自覚すれば、あなたは敗れ去ります。

自覚した通りになるのです。

自覚とは、自ら覚(さと)ると書きます。

心に自覚という電流が流れた時に、人は変わることが出来るのです。

意識から自覚へ。

そして、壁に見えた問題を成功への階段に変えていきましょう。

やれば出来る!

意識を自覚に昇華させた時に手にする、究極の境地です。

あり得ない!

本当に思ったことは、必ず実現します。

これは宇宙から与えられた法則です。

それでは一体、本当に思うとはどういうことなのでしょうか?

強く思うことでしょうか?

精神を集中して、何か一点を見つめながら、願いを思い浮かべて念じることでしょうか?

鏡に向かって、背筋をスクッと立てて、目標達成の期日を入れて「私は何年何月何日に何々を達成した。」と過去完了形でアファーメーションすることでしょうか?

本当に思う!

とは、そんなにややこしいものなのでしょうか?

観念で捉えようとするから、ややこしいのです。

もっとストレートに、単純にアプローチすればいいのです。

本当に思ったことは、必ず実現する。

その答えは、

「あり得ない!」

と思ったことだけが実現するということです。

本当に思うとは、あり得ないと思ったことであり、何をあり得ないと思っているかが現実を形作るということを忘れてはいけません。

何故私は貧乏なのだろう?

それは、貧乏があり得ると思っているからです。

何故私は、もっと広い家に住めないのだろう?

それは、狭い家に住んでいる自分が、あり得るからです。

あの人に出来て自分に出来ないなんて、あり得ない!

こう思ったら、あなたは出来ます。

人生は、何をあり得ると思い、何をあり得ないと思うかで決まるからです。

心にストレートにスイッチを入れる呪文は「あり得ない!」という実感から発せられる、瞬間の思いなのです。

あなたが今までの人生で成し遂げてきたことを、静かに振り返ってみてください。

それらは意識する、意識しないを越えてシンプルに思った、あり得ないことでした。

例えば、この人と一緒に居られないなんて、あり得ない!

私がそこに居ないなんて、あり得ない!

その思いを実現する、折れない心の出発点は、あり得ないと思った瞬間から始まり、その心に灯った火が消えることはありませんでした。

「あり得ない!」

この思いを持った瞬間から、一切の泣き言や言い訳は消えてなくなります。

今日一日、自分と向き合って、私は何をあり得ると思い、何をあり得ないと思ってきたのかをハッキリさせましょう。

そして、今日から何を、あり得ないとして生きていくのかを決定してみてください。

これこそがシンプルにして強力な力を、あなたの内側から発揮させる宇宙の法則に直結することだからです。

安全基地

心に「安全基地」を、あなたは持っていますか?

いざという時に立ち返ることが出来る安全基地を持っている人は、新しいチャレンジが出来るようになるのだそうです。

自らリスクに飛び込んで、新しい可能性に挑戦することが出来るということです。

何か問題を起こした子供というのは、安全基地がないケースが多いといわれます。

これはイギリスの心理学者ジョン・ボウルビィの研究で、子供が発達するうえで安全基地がないとうまく発達が出来ず、新しいことにチャレンジ出来ないという理論です。

これは大人になってからでも同じです。

大人になってからの安全基地は二つです。

それは、まず人です。

あなたがピンチに陥った時に、あなたを心から支え励まし、温かく包み込んでくれる人を、あなたは持っていますか?

人生は晴れの日もあれば、曇りの日も、雨の日も、嵐の日もあります。

それをちゃんと分かっていて、あなたが逆境の時にも、逆境のなかのあなたを見るのではなく、未来に羽ばたくあなたを見ている人が、あなたの安全基地なのです。

もう一つの安全基地は、あなたの信念であり哲学です。

未曾有の経済不安が容赦なくふりかかってくるこの時代に、軸をぶらすことなくあなたが立ち返れる確固たる安全基地こそ、あなたの信念であり哲学です。

「不撓不屈(ふとうふくつ)!」

今、最も求められている信念であり哲学です。

不変の力を持つ信念と哲学を、我が内なる心に刻み込んでいきましょう。

我が内なる心に刻み込まれた信念と哲学は、生き方の原理・原則となり、人に影響されない確固たる安全基地へとその形を整えていきます。

そして今度は、あなたが、あなたを慕う人たちの安全基地とへと姿を変えていくのです。

あなたを支えてくれる人たちは、あなたが支えた人たちであることを忘れてはなりません。

それが理解出来れば、あなたの進化・成長はあなた一人のことではないということに気付くはずです。

心に安全基地を持って、雨の日には雨のなかを、晴れの日には晴れのなかを颯爽と前進していきましょう。

全て自分から

虎穴に入らずんば、虎児を得ず。

何事かを成さんとする者にとっての究極の心構えです。

どれだけ精緻に計画を立てて準備を整えても、最後にその勝負の舞台に飛び込むことが出来なければ、何の成果も得ることは出来ません。

話をしてみるとそれなりのことを語る人が、一年経っても、二年経っても、三年経っても変わらないのはその為です。

人生の究極は、リスクに飛び込む覚悟を持つことが出来たかどうか。

これだけです。

自分が望むことを実現する為には、敢然と危険に飛び込む覚悟が出来ているかどうかだけなのです。

うだつの上がらない人に共通するのは、願い事のわりにムシがいいという点です。

リスクは取らないが、結果は全部欲しい。

やらずぼったくり。

行動の原点は、気分オンリー。

故に些細なことで簡単にめげて、それを他者のせいにしたり、仕方ないとあっさり処理して終わりにしてしまう。

しっかりと自分自身と向き合えば、これまでの様々な経験から貴重な教訓を引き出すことが出来ます。

それは、人生を形作るのは自分自身だということです。

この紛れもない事実をしっかり受け止めた時、あなたの内側から驚くような力が湧き出てきます。

あなたが今直面している全ての状況や環境は、他人ではなく他ならぬあなた自身が創り出したものであり、今後起こる全ての出来事も、あなたが原因で起こるのだという不変の真理に耳を傾けましょう。

これが理解出来れば、状況を変える機会は何度でもあったのに、そのまま手をつけずにいたのは自分自身であったと気付くはずです。

成功者は、自分の人生に起こる出来事は、他の人間や状況や環境などではなく自分が原因となって発生することを信じています。

失敗ばかりしている人は、現在の不本意な状況や環境は他の人間の妨害など不可抗力のせいにしてしまいがちです。

全て自分から始まる!

このような自発的な態度を持って、リスクを恐れず事に当たることこそが、成功に向かって歩き始める為の最も重要なポイントなのです。


イメージ力

思わなければ、どんなことも叶いません。

思うとは、想像することです。

ですから人生は、毎日毎日何を想像して過ごしたかで決まります。

想像力は感情を生み、その感情が進む力や何かを恐れて退く力となったりします。

感情を、軽く侮(あなど)ってはいけません。

なぜならば、感情と理性がイーブンでぶつかりあえば、そのときは、ほぼ間違いなく感情が理性をねじ伏せるからです。

そのようにとらえると、感情をどのようにコントロールするかが大事だと考えがちですが、実はそうではありません。

ひとたび感情が顔を見せれば、それを制御することは至難の技だからです。

ですから、感情はコントロールするのではなく、その大元から形創るのです。

想像力を駆使して、自らを望む方向に導いていく力となる感情を創り出す、といった発想を持ちましょう。

起きてしまったことをコントロールすることは、容易くはありません。

ですから、機先を制するという発想を持ちましょう。

この発想が、確たる自分を構築していきます。

感情は、想像力を駆使して、自らの内に創り上げるものです。

人生は1日1日を、何をどのように想像して生きるかだけと言っても過言ではありません。

想像する力。

即ち、イメージする力を甘く見てはいけません。

なぜならは、イメージこそが運命を変更する本質的な力となるからです。

仏教のなかに、「あると思えばある。無いと思えば無い」という教えがあります。

自分流に解釈すれば、それこそがイメージの持つ力なのではないかと思います。

イメージの変更は、運命の変更です。

自分自身を燃やす力となる感情を、日々創り上げていきましょう。

その積み重ねのなかに、輝く未来があるからです。

効率より効果

それは、それ!

何か起きた時、起きた何かに振り回されてはいけません。

それはそれと、パッと切り替えてやるべきことに集中しましょう。

1秒で切り替える。

1秒で集中する。

はじめから100%の集中力を発揮することを意識するのです。

集中とは、他の余計なことを考えない精神状態をいいます。

ただ今この瞬間に没頭する。

没頭没我の中に、命の輝きがあることを学びましょう。

意図的に頭を切り替えていく訓練を自分に課していくのです。

例えば何かをやろうという時、態勢を整えてこの準備をして、あと5分したら始めようとぐずぐずすることが効率的だと思っていたら、それは大間違いです。

仕事は効率ではなく、効果で測るものだからです。

効率的に何かをやろうとするより、集中力を付けることの方がはるかに効果的です。

何か閃いて行動しようと思ったら、その瞬間心にスイッチを入れて、すぐに行動を起こすことが効率的な効果性につながるのです。

事に当たって、パッと切り替えられる集中回路をイメージしましょう。

脳にそうした回路が出来れば、あとは脳が勝手に動いてくれるからだそうです。

脳科学者の茂木健一郎氏は、瞬間で集中する方法を以下のように述べています。

(1)スピード/タイムプレッシャーを常に意識して、問題集を解く場合でもスピードを意識する。

(2)分量/学習の作業量を多くする。常に忙しい状態が集中力を高める。

(3)没入感/周囲の雑音を無視して、夢中になって取り組めるか。

思い立ったらすぐに始める。

脳がその気になった瞬間を逃さないことが大切なのだと、茂木氏は語っています。

脳を本気にさせましょう。

集中とは、脳の本気度の現れだからです。

シークレット

たとえ今行き詰まっているとしても、それは大したことではありません。

何故ならば、行き詰まっていると感じていることそれ自体が、がんばろうとする気持ちを失っていないことの表れだからです。

行き詰まりと焦りは違います。

行き詰まったと感じている人のほとんどは、余程のことでもない限り、その感覚は焦りに起因しています。

それでは一体、焦りとは何なのでしょう。

それは、比較です。

うまくいっているように映る誰かと、今の思うに任せない自分の状況とを比べているのです。

人の成敗みな時ありです。

高く飛ぼうとするなら、一瞬屈(かが)まなければならないように、真に成長する人生には、必ず節目節目に思うに任せないない困難が訪れて来ることを理解しましょう。

ここで一つ、大切な視点があります。

それは、行き詰まったように見えたことは、自分がそのとき直面している「状況」であって、自分という人間ではないということです。

ですから比較したのは、うまくいっているように映る人の状況と、思うに任せない自分の状況だったということです。

決して自分という人間が、行き詰まったのではない。

この発想こそが、状況を転換させる肝心要の発想です。

ここが、出発点です。

こうして自分を取り戻せさえすれば、あとは以外に簡単です。

状況を転換するシークレット。

それは、シンプルにやるべきことを積み上げることです。

何年か前に、世界的ロック歌手のビリー・ジョエルが来日したときに、このように語っていたことが印象的でした。

インタビューで、「あなたのようなロック歌手を目指す日本の若者に、何かアドバイスを」と聞かれたときの言葉です。

彼は、こう語りました。

「小さなところでグッドになること」

実にシンプルにして、深いアドバイスだと感じます。

小さなところでグッドになる!

そうなのです。

これこそが、行き詰まりを打開する唯一のシークレットだったのです。

毎日のやるべき小さなことを、グッドに積み上げていきましょう。

決して人の状況と比較して、自分を見失ってはいけません。

やるべきことをやる!

ここさえ積み上げていけば、必ず状況は転換することを忘れてはなりません。

悩まない

我れ、事にあたりて後悔せず。

好きな言葉であり、自分を支える精神です。

悩まないと決めましょう。

悩んでも、悩まなくても、さほどのことは生じないからです。

全ての現象は、自分という存在が原因で起こっていると気付くことが変化成長への出発点です。

他者のせいや環境のせいにしている限り、あなたは悩み続け後悔し続けることになります。

世の中に神秘的なことはそうそう起こりません。

起こってくる事象には理由があると解釈しましょう。

目指せば出来事に意味を感じ、流せばその出来事はただの風景にすぎません。

人は意味を感じて、五体に電気が走ることを知りましょう。

ただ動いても何も起こりません。

心に電気が走って、はじめてその行動が真実への連続性を持つのです。

その時、自分は何故そういう行動をとったのかが分からなくても、その行動が心に電気が走っていた行動ならば、一見点のように脈絡のない行動であっても、必ず大いなる真実につながっています。

後日振り返った時に、ああそういう意味だったのかと理解出来るのです。

あなたが忘れてならないのは、ピュアで美しい自分自身の心です。

そして、その底流に流れている善なる動機です。

大切なものは、行動の底流にある動機であることを忘れてはなりません。

この動機がピュアである限り、一時的なつまずきはあっても、本質的な敗北はありません。

故に、少々の事があっても悩む必要など全くないのです。

悩まないと決める。

クヨクヨしないと決める。

私は出来る!

私は出来る!

こう自分自身を鼓舞して進んだことが、あなたの家系という次世代の精神に引き継がれていくことを忘れてはなりません。

イイ人

四六時中イイ人を演じていると疲れてきます。

往々にしてイイ人とは、「都合のイイ人」を指すのだということを覚えておきましょう。

今まで本当の自分を出さないで、何かに脅えてイイ人を四六時中演じてきて、自分が思った通りの人生が歩めていますか?

自分を主張して、その結果、相手に誤解されて自分が変に思われたらどうしよう。

ここで自分が相手とのバランスをとって、穏便に遠慮という形でイイ人を演じれば、のちのち自分が思い描く素晴らしい結果へとつながっていくのではないか。

ここでイイ人を演じれば、誰も失わないのではないか。

本当にそうでしたか?

周りの風評を気にしてイイ人をずっとやってきて、本当にあなたの思うような結果につながって、生涯の友となる価値観の仲間を手に入れることが出来ましたか?

答えは、ノーだったはずです。

人生は本音を語らずして、形作られることなど決してないからです。

成功の扉には、押すと書いてあります。

引くとは書いていません。

弱気は最大の敵です。

強気のつまずきはあっても、弱気の成功はありません。

イイ人という弱気のカタマリを演じても、あなたの思い通りの人生は絶対に歩めないのです。

他人の陰口なんかを気にしていたら、もうそれ自体がイイ人の始まりであることを知りましょう。

あなたに陰口を叩く人は、結局はあなたを気にして、あなたに一目置いているのです。

私にエネルギーを送ってくれてありがとう!

こう軽く受け流すことです。

ズバリ、

くだらないことは、相手にしない。

こう決めて、目標だけを見て前進していくのです。

心にスイッチを入れましょう。

簡単に消えない情熱という松明(たいまつ)を、心に掲げるのです。

今日からは、言うべきことはキッチリと言い、その上で優しさを湛えた強きリーダーへと自分自身を変革していきましょう。

ギフト

愛は万人に、信頼は少数の人に。

万人に信頼を得ようとすると、自分で自分が分からなくなってきます。

人生は、審査員の前でコンテストをやっているのではありません。

人に評価されることが気になりだしたら、何かがずれてきていることに気付きましょう。

信頼を少数の人たちと築き上げることが、全ての基盤です。

万人に信頼を得ようとする生き方は、ノイローゼの生き方につながります。

ノイローゼの生き方を捨てる。

信頼は主体的自我の確立から始まることを忘れてはなりません。

主体的自我の確立とは、自分を磨こうとすることであり、自分の心を研ぎすましていこうとする態度をいいます。


大切なことをいいます。

あなたがあなたであることを証明出来れば、運命は向こうからあなたに頭を下げてきます。

人生は、自分とは一体何者なのかを明らかにする舞台であることをハッキリと理解して事に臨みましょう。

自分を証明する舞台が人生ならば、そこには当然、人生の研磨剤としての試練が待ち受けています。

試練は人生の必須科目だからです。

それを知った上で、一つ心しなくてはならないことがあります。

それは、

越えていける者に、運命は試練を与える!

という真実です。

越えていけるから、あなたは試練を感じたのです。

試練の時は、あなたの持てる限りの力、即ち100%の力で立ち向かっていきましょう。

その時を100%の力で越えていかない限り、未来は拓けて来ないからです。

今を出し惜しみして生きれば、力を失います。

出来るとか出来ないとかではなく、遭遇した試練には意味があることを感じることが大切なのです。

心に眼(まなこ)を持ちましょう。

覚悟の眼を心に持つのです。

覚悟の眼は、真実を見抜きます。

枝葉末節に惑わされることなく、真実の道を歩き続けましょう。

試練はあなたを飛躍させるためだけにある、運命からのギフトだからです。


信念の選択

人生は選択です。

出会いではありません。

生きている限り毎日誰かと出会い、そして別れていきますが、そこに選択という意識がなければ何の意味も成しません。

選択はいつも、迷いを伴います。

迷ったら、勇気の要る道を選びましょう。

楽な道は、敢えて選択しない。

楽な道を歩んでも、たどり着く為には、結局来た道を戻ることになるからです。

人生にごまかしは通用しないことを肝に据えましょう。

やらねばならぬことや、通らなければならない門はショートカット出来ないのです。

それでは一体、勇気の必要な道とはどんな道なのでしょうか?

それは面倒くさそうな道です。

簡単にやれそうなことをやっても、その先は何処にもつながっていないことに早く気付きましょう。

それどころか、簡単に手に入れたものは簡単に失います。

例えば人間関係です。

表面的な薄っぺらな付き合いで、真の友人は作れません。

本音でじっくり付き合って、真の友人が出来るのです。

人間関係に促成栽培はありません。

促成栽培で出来る友人は、環境が決めた友人です。

一方、何があっても揺るがない友人は、価値観でつながった友人です。

こうした友人を持っている人は、土壇場で巻き返せる心の強さを持っています。

本音をぶつけ合って互いに磨き合う仲間を、あなたはお持ちですか?

混迷の時代に、岐路に立って大切なことは、信念の選択が出来るかどうかです。

楽な道に逃げてはいけません。

望むところと、自ら積極の精神で勇気の要る道を選択するのです。

進めば次があります。

退けば、そこでゲームオーバーになるだけではなく、今までの歩みが全て泡と消えて無くなります。

あなたの人生を転換する、宿命の強敵に立ち向かいましょう。

その道こそが、あなたが求めていた道です。

柔(やわ)な気持ちをはね除けて、真の勇者として信念の道を歩んでいくのです。

最強の戦略

人生は、駄目元です。

駄目で元々と達観して、面を乾かせて事に臨めれば、どんな結果が出ても落ち込むことはありません。

状況打開の第一歩は、そのままならない状況をあるがままに受け止めることが出来る、気持ちのスペースを持っていることです。

進化成長という人生の頂きを目指す者にとって、艱難の峰が待ち受けるのは理の当然と腹をくくりましょう。

蚊に刺されたようなことで簡単に傷つくようなリアクションは、記憶から削除するのです。

我が人生に益なき行動は、削除です。

マイナスの発想が気持ちに芽生えてきたら、「ストップ!」と停止命令を脳に送りつけて下さい。

人生は面を乾かせて行動する人に微笑む、ということを覚えておきましょう。

面が湿っていたら駄目です。

くよくよしたり、愚痴を言ったり、ため息をついたりしても、何も変わらないのはもとより、自分から幸運が逃げていってしまいます。

困難はあって当たり前。

アクシデントは起きて当たり前。

駄目で元々!

駄目で元々!

こう心の中で唱えながら、事にぶつかっていきましょう。

「大数(たいすう)の法則」という確率論があります。

これは簡単に言えば、コインを限りなく投げ続ければ、裏と表の出る確率は半々に近づくというものです。

例えば営業においても、結果を出している人と同じ行動を沢山やれば、同じ結果が出るということです。

仕事において結果を追及する時に、確率という概念を頭に一つ入れておきましょう。

結果が出る、出ないという現象には、意外なほど謎はないということです。

同じことをどれだけ情熱を持って繰り返すことが出来るか。

シンプルにして、最強の戦略がここにあるのです。

タイムラグ

真剣に事に臨めば、必ず、自分を愛し支えてくれる仲間が現れます。

あやふやな中途半端な態度で、やったりやらなかったりというおちゃらけた事を続けていれば、世の中はそういう人を相手にしなくなります。

とは言え、いくら真剣に頑張っても、そうそう簡単に結果が付いてくるものではありません。

必ず、タイムラグがあるのです。

やってもやっても結果が出ない。

こんなに思っているのに誤解されてしまう。

こうしたことは、成功を目指す者にしか起こりません。

まず、心なのです。

心が出来て、そこに思いという宇宙が現れて、それが現実という場に投影されて結果につながるからです。

ですから、心を創るためにタイムラグが生じるのです。

人間だけが、思いという力で現実を変えていけます。

あなたが悩むのは、選ばれたからです。

宇宙から選ばれし者であることを、強く思いましょう。

あなたの一途で清らかな思いは、実はもう大宇宙に届いているのです。

あとは安心して、やるべきことをやるべき時にやり、タイムラグにこの身を委ねていればよいのです。

人間ですから、好調の時もあれば、不調の時もあります。

時として、弱い自分と戦いながらも、ネガティブに流されて言動が一致しない時があるかもしれません。

しかし、大切なものはその奥底に流れているピュアな命であることを決して忘れてはなりません。

清らかな命を持っているからこそ、様々な事象に簡単に結論が出せなかったのです。

しかし、簡単に白黒という結論を出せなかったあなたに、清濁合わせて起こってくる様々な人生ドラマの中にある、命のきれいな人だけが引き出すことが出来る宝があることをご存知ですか?

それは、

「精神」という宝です。

清らかな命で、事象の奥に潜む「精神」に迫りましょう。

人はその「精神」に触れて、本来の自分へと覚醒していけるからです。

そう捉えることが出来れば、全ての事象や出来事には意味が宿り、そして繋がっていることに気付きます。

そこに気付くことが出来れば、意識が自覚となって自己を変革に導いていくに違いないのです。

断ち切る

状況を嘆いても仕方がありません。

そういう状況を作ってきたのは、他ならない自分自身だからです。

現実をしっかりと直視しましょう。

やり直しが効くところはやり直す。

やり直しが効かないところはスパッと見切りをつけて、今までの反省を踏まえて一から新しく築き上げるのです。

その際、時間がないとかお金がないとか、二流の人が口にする感傷的な言い訳は金輪際口にしないことです。

本気になりましょう。

本気に、言い訳は存在しません。

戦うべき相手は自分自身の既成概念であり、弱い心であることを肝に銘じて進むのです。

勝負する相手は、例えば他者との競技で金メダルを取るとかの類いではありません。

勝負する相手は自分自身であり、自分さえ折れない気持ちを持っていれば、100%コントロール出来る領域です。

そのポイントは、何か新しいことを始めるのではなく、今まで「まっ、いいか。」で済ませてきた「悪習」を断つことにあります。

断固たる決意で、成功に益しない決定的な悪習を断ち切りましょう。

持続する意志こそが、物事を成就させる根源の力であることを忘れてはなりません。

その力は、意志をもって悪習を断ち切るところから生まれてくるのです。

心のディナー

出る杭は打たれますが、出きった杭は打たれません。

やると決めたことは、断固とした態度でやりきりましょう。

事に処して、人との軋轢(あつれき)はやむを得ない場合があります。

物事がよく理解出来ない人を、口説き落とそうとしてはいけません。

この人は違うと感じたら、相手にしないことです。

話していて頭の固い人、即ち柔軟性のない人からはさっと離れることが賢明です。

しかし、相手を受け止めるこちらの頭を柔軟にしておけば、相手の自分とは異にする発想や態度をこちらの養分として消化出来ます。

それが、最高の心のディナーとなるのです。

人は、自分も他人も変わるということを忘れてはいけません。

そうした時々刻々と動いていく状況と人の心の中で、自分のポジションを知った上で自分の考え方をアピールしなくてはならないのが、高みを目指す者の宿命であることを理解しましょう。

人生は、ヒット・アンド・アウェイです。

攻撃は素早く。

退却も素早く。

どれだけ権威が語った科学的な理論も、そのほとんどは仮説であり暫定的なものだからです。

それは即ち、いま私たちが常識と思っていることも、本当にそうなのかは分からないということです。

世の中のほとんどのことに100%の正解などないし、そのほとんどはグレーゾーンに位置していることに気付けば、心に重くのしかかる遠慮という消極的な暗雲は、たちまちどこかに消えてなくなります。

人に遠慮などしていないで、毎日自分を成長させるプランを長期的なビジョンと共に策定しましょう。

そして、上へ上へと自身の才能を伸ばしていくことを意識するのです。

人間は幾つになっても、生ある限り使命があることを強烈に思っていなくてはなりません。

失敗を恐れず、失敗こそが使命という才能を開花させる源泉なのだと自分自身を鼓舞しながら、日々成長を決意する姿勢を持ち続けていける人が真の人材なのです。

プロの姿勢

プロは、追い込まれて真価を発揮します。

ですから、戦うときは自ら自分を追い込んでいきます。

戦うときを、決して成り行きに任せません。

なぜならば、成り行き任せにチャンスは来ないからです。

勝利は、意志をもって戦う姿勢に宿ります。

問われているのは、やるのかやらないのか。

戦うのか、戦わないのか。

この意志にあります。

翻ってみれば、人生は精神戦です。

精神という戦場での戦いです。

何をもって戦うのか。

それは、意志です。

意志という剣(つるぎ)をもって戦うのです。

意志は、行動にキレを与えます。

逆の意味で言えば、キレのない行動は、ひとつ動く度に事態をややこしくしていきます。

キレのない行動とは、中途半端さを指します。

中途半端な行動は、優柔不断な人間を作りあげていきます。

優柔不断な人が最後にたどり着く境地が、意志なき行動なのです。

それは、「やらないよりは、やった方がマシ」といった最悪の発想に結びつきます。

この発想こそが、一流には遠く届かない小粒な人間を作り出す根元の発想となるのです。

勝負の局面では、じっとして動かずのときも見事な戦略となります。

中途半端が一番よくありません。

やるのか、やらないのか!

やると決めたのなら、徹底的に自分をやる環境に追い込んでいく!

ここに、プロとしての姿勢を維持する真骨頂があることを忘れてはなりません。

人生の鉄則

自分自身の内側から湧き出てくる熱い想い、情熱があれば、どんな困難にも負けることはありません。

困難な時代だからこそ、一人奮い立つのです。

逆境なくして、栄光なし。

これが人生の鉄則だからです。

ネガティブには鈍感に。

ポジティブには敏感に。

次の時代を切り開く者の、基本の在り方です。

ネガティブな状況や人は、その有り様をあるがままに知っていればそれでよしとして、それ以外は一切相手にしないことです。

ネガティブを相手にすれば、こちらのエネルギーを吸い取られるだけにとどまりません。

運気まで吸い取られてしまいます。

逆に、ポジティブには敏感になりましょう。

何が起きても明るい方へ、ポジティブな方へと反応するのです。

闇は一筋の光に負けます。

ネガティブは闇です。

あなたが闇となるのか、それともポジティブという光となるのかで、あなたの存在の意味がまるで変わることを意識しましょう。

どんな状況でも、夢と希望を語る人がリーダーです。

ネガティブな状況に騙されてはいけません。

信じるのは、ポジティブな想いです。

少しくらいうまくいかなくても、長期的な展望をしっかり持っていれば、それは許容範囲です。

どこかで辻褄を合わせれば済む話です。

死ぬこと以外は、全て誤差。

これが全ての本質なのです。

デンと構えましょう。

困難と映る状況に、敢然とポジティブという挑戦状を叩きつけてやるのです。

やるかやられるか。

どっちが困るのか。

死ぬこと以外は、全て誤差。

こう吹っ切れて挑んでいくのです。

勝負する人生を外して栄光などあるはずがないことを、自分自身に言い聞かせて道を切り開く時代が、今という時代なのです。

夜明け前

金融危機に伴う資金繰りの急速な悪化で、建設・不動産関連を中心に行き詰まる企業が増加しています。

そうした中、電気大手の業績悪化は警戒領域に達しており、さらに一段の業績悪化はほぼ避けられない情勢となってきました。

今、電気各社は戦略の大幅修正を余儀なくされ、一社単独での方策は限られるだけに、生き残りをかけた再編が不可避となってきました。

各社は危機を乗り切るために、生産設備の統廃合や生産調整による人員削減、ワークシェアリングという名目の賃金カットなどのリストラへ舵を切っています。

今後あらゆる企業で「選択と集中」が加速するのは必至であり、事業にとどまらず企業同士の大型再編がいつ起きてもおかしくない状況です。

ボンヤリ生きていると、迫りくる大波に飲み込まれてしまう時代になりました。

企業も一個人も、長期的な展望を持って目の前にある事案に即断即決していく能力が求められているのです。

取るに足らざることにいつまでも振り回されている人や、煮えたのか煮えてないのか分からない人に関わっていられない時代なのです。

今、時代は「ノウハウ」から「ノウフー」、即ち誰と関わるのかを問いかけています。

キーワードは、「選択と集中」です。

闇の中でも、明るい光を見ていこうとする姿勢を持てる人が人材です。

夜明け前が一番暗い。

今まさに、時代はそうしたゾーンに入りつつあるのです。

自分自身と家族の十年、二十年の戦略を真剣に考えましょう。

目先の波にアップアップしていると、未来を失うことを忘れてはなりません。

知恵と勇気を持って、大きなビジョンを今こそ描き切るのです。

ピンチの時こそが、飛躍の為の最大の仕込み場であることを肝に銘じて進みましょう。

真の理由

がんばらないといけない!

がんばって成長していかないといけない!

どれだけこう思っても、なかなかがんばれないのが人間です。

何かの拍子にがんばろうと決めても、長続きせずすぐに嫌になってしまう。

いつもいつも、なぜそうなってしまうのでしょうか。

それは、意志が弱いからでしょうか。

そう、その通り!

意志が弱いからがんばれない!

こう思うのが普通とされていますが、実はがんばろうと思ってもがんばれない本当の理由は別のところにあります。

それは、がんばらなければいけないと考えること自体が、楽しくないからです。

人間は本来、やりたいことや楽しいことしかできないようにできているのです。

漫画家の手塚治虫は、死ぬ直前の病床でも漫画を描いていたと言われています。

それは、手塚治虫が努力家だったからでしょうか。

もちろん努力の人であったことは間違いないことでしょうが、病院のベッドの上で余命幾ばくもないときに、がんばろうとか努力しようとか思うでしょうか。

そのような状況のなかでも漫画を描いたということは、単純にそれがやりたかったからであり、とにかく漫画が大好きだったからに違いありません。

それではこのように、やりたいからやってしまうことは、人には真似のできない凄いことなのでしょうか。

おそらくそれは、当人にとってみればきわめて普通のことなのではないかと思います。

ところが、何をやっても長続きしない人は、がんばらなければいけないという言葉を口にしながら、心の底ではやりたくないと思っていることや、嫌いなことを無理やりやろうとします。

我慢してでもがんばらなければ、努力しなければと、がんばることそのものを目的にして努力しようとするのです。

それこそが、長く続かない真の理由です。

なぜならば、本音はやりたくないからです。

成功している人の努力やストイックさは、何か特別な力で自分を動かしたからではありません。

自分が思わずやりたくなる状態に、きわめて自然に自分を同化させているだけなのです。

そのためには、自分ががんばれていることを、毎日確認することが大切です。

それは、単に自分を盛り上げるためではありません。

成長したり、がんばることは楽しいと、自分に教えていくためです。

今日からは夜眠る前に、自分が今日1日がんばれたことを思い出して、「よくがんばったね!」と、自分を誉めてあげてください。

その1日がどんな1日であれ、必ずひとつはがんばれていることがあるはずです。

いいですか?

そのがんばれたひとつを見つけだして、誉めてあげるのです。

1日の最後は、がんばれなかったことを思い出して自分を責めるのではなく、自分を誉めて終わる!

そうして、がんばったり成長することが楽しいことなんだと、自分に教えてあげるのです。

これこそが、自分を進化させる素晴らしい習慣であることを知りましょう。

情熱こそ力

持続する情熱こそが、プロの証です。

今この時この場所こそが、我が人生の最前線。

この心意気こそが、明日を拓く確かな足跡へと変わるエネルギーなのです。

行き詰まった時は前だけを見る。

守りに入ったり、気持ちが後ろを向いたりすれば、それは自分自身という全軍の崩れにつながります。

そういう甘さが通じない時代に入ったことを、肝に銘じなくては生き残れないのです。

甘さを厳しく排除しましょう。

如何なる分野に於いても、片手間や気分だけで成功出来る領域などあるはずがないことを理解しなくてはなりません。

その瞳に覇気を湛え、その表情に引き締まった空気を漂わせて前進しましょう。

あなた一人が現れただけで空気が変わる。

これが存在感です。

普通に燃えて、普通にめげて、普通に嘆いても、あなたが心から望む人生は手に入りません。

あなたが思う「普通」の基準値を上げましょう。

その過程に、あなたの底力が存在感となって醸成されていくのです。

勝負の舞台は一人になった時です。

如何なる状況であれ高い精神性を保って、歩みを進めるほどにテンションを上げていく。

ネガティブな要因に囚われず、ネガティブな人に囚われない。

心を解き放って、ポジティブの門に入る。

人が門に入れば、閃くという漢字に変化します。

テンションを上げて、閃きを今この時この場所で行動に変えるのです。

これが情熱なのです。

情熱こそ力と言い聞かせて、一日一つ自らの課題に果敢に挑戦していきましょう。

敵前逃亡

逃げの人生に未来はありません。

逃げていてチャンスに巡り合うことは出来ないのです。

運命の転換点。

今、時代の流れは個人の人生をも巻き込んで、まさしくその一点に向けて動き出していることを認識しなくてはなりません。

現象には全て理由があります。

それは、素直に冷静に物事を直視出来ればすぐに分かることです。

伸びない人を見ていると、その大方の理由は「素直でない」ということに尽きます。

素直になれない人は、自分の中に沢山の混ざり物が入っていて、考え方という血液がドロドロです。

思いつきと決意を勘違いして、その結果ちょっと思い通りに事が運べば有頂天になり、ちょっと事が思い通りに運ばないと馬鹿程落ち込む。

自分が過去何十年か生きてきて、その言動が一致してこなかったことが行き詰まりの原因であることなどまるで理解出来ないし、何を言われているのかすら分かりません。

その結果、人生で一番やってはいけないことを繰り返すのです。

人生で一番やってはいけないこと。

それは、

逃げること

です。

逃げて一時的な安堵感を得ても、そのとき挑まなかったという「経験の放棄」は、必ず後悔という念の百万倍の辛さとなって、後日自分に返ってきます。

あなたの今までの人生を振り返って、それを一本のドキュメンタリー映画にした時、それはどんな作品になるのでしょう?

逃げた人生と挑んだ人生。

怖じ気付いて逃げて、その挙げ句選択した退屈な生き方。

棺桶に片足を入れて、その時ハッとするような生き方をしてはいけません。

人生は片道切符です。

ならば、エキサイティングな人生を送ると決意した方が楽しいに決まっているのです。

人生は楽しかったか、つまらなかったかのどちらかです。

早く幼い考え方を脱ぎ捨てて、エキサイティングな人生へと立ち向かっていく勇者へと脱皮していきましょう。


目には見えませんが、あなたの人生を決定的に形作っていくものがあります。

それは、

あなたが心の奥底で、何を思っているのか。

それが全ての出発点となるのです。


使命

使命を自覚した行動に、恐れが突き入る隙などありません。

他人にどう思われるかなどと気にしていたら、もうそれだけでその人は論外です。

自らの使命を自覚出来ていないから、そんなことにびくついているのです。

自分のことだけ考えていると、心が縮んで怖じ気付きます。

逆に、利他で動けば勇気が湧いてきて、不安や恐れなどものともしなくなります。

不安や恐れをも味方につける、強い気持ちを持つことを意識しましょう。

永い人生です。

どれだけ不安でも、どれだけ恐くても、どれだけ緊張しても、やらないといけない時はやらねばなりません。

自分を見失いそうになった時が、本当の戦いです。

その時こそ、集中力をぶつけていく。

逃げないで、真正面からぶつかっていく。

勝負するのです。

弱い自分だからこそ、勝負の舞台から降りてはならないのです。

前だけを見て逃げずにぶつかって、初めて心は鍛えられます。

逃げれば不安と恐れが湧いてきて、宇宙を敵に回すことを忘れてはなりません。

自らの使命を自覚ししましょう。

生きるとは、明日を開く戦いです。

輝く明日は、使命を自覚して行動する者にのみ訪れることを忘れてはなりません。


正体は希望

可能性は、行き詰まりのなかにあります。

その理由は、なぜ行き詰まったと感じたのかという問いかけにあります。

行き詰まりと絶望は違います。

絶望とは、全ての気力を無くすことです。

しかし、行き詰まりは違います。

前に進もうともがいている!

他人はうまくやっているのに、自分一人がうまくいかない!

こうした進まんがための葛藤が、行き詰まりという人生の霧をつくっているのです。

ここで一つ、しっかりと理解しておかなければならないことがあります。

それは、霧は必ず晴れるということ。

永遠に勢力を増す霧などないからです。

霧が晴れれば、そこに広がる景色は絶景です。

行き詰まりという霧を通り抜ければ、人生という景色は絶景となって眼下に迫り、それまでの様々な出来事が見事なつながりを持って、自分という人間を成長させてくれたことに気がつくのです。

ですから、行き詰まりの正体は 「希望」です。

希望という命に備わる本質が、自らの人生の意味を分からせるために奏でた伴奏こそが、行き詰まりの正体だったのです。

やろうと決めたその事に、更なる高みを求めて厳しく対峙しようとしたから、行き詰まりを感じた!

なぜならば、戦う人にしか、行き詰まりという感覚が降りてくることはないからです。

これが、事の真相です。

ですから霧が出たときは、常にこう思いましょう。

行き詰まりは希望なのだ、と。

一時的な人生の霧に騙されてはいけません。

行き詰まりは、頑張っている者だけが感じる人生の勲章だからです。

スタートライン

挑み続けようとする者にとって、失敗はスタートラインなのだと心得なくてなりません。

失敗は行き詰まりではなく、別次元への飛躍と捉えることが正解です。

うまくいく為には、まずうまくいかない道筋を分かることが必要だからです。

実際にやってみて、うまくいかなかったことはもうやらなければいいだけです。

これが経験なのです。

翻ってみれば、失敗という名の経験は、後に実りとなる多くの学びを与えてくれたことを思い出してください。

失敗することを気にしているようでは、到底本気とはいえません。

失敗も成功も、それ自体が重要なことではなく、いかに次の展望を拓く一石となったのかという点に意味があるのです。

成功が一時的な心のゆるみを生んで、次の取り返しのつかない失敗の原因となれば、その成功は百害あって一利なしと言わざるを得ません。

しかし、失敗を前向きに受け止めて、それ以降の教訓という糧に出来れば、その失敗は栄光への架け橋となるのです。

何かに真剣に挑めば、必ず失敗に遭遇します。

その失敗を決意という思いの力で、明日の栄光へのスタートラインに変えるのです。

どのような失敗も、十年経てば必ず意味が変わります。

達観して眺めれば、全ては予定通りだからです。

宇宙から観れば、あなたの悲喜こもごもは砂浜のひと粒の砂のようなものです。

失敗というひとつの現象にいつまでも囚われていると、宇宙に愛想をつかされてしまいます。

宇宙に嫌われないように、しっかりと気持ちを前に向けて、今日を生き切っていきましょう。

あなたに戦う気持ちがある限り、宇宙があなたを見捨てることはありません。

宇宙があなたを守護する限り、何が起きてもあなたの人生に行き詰まりなどあるはずがないのです。

ただ、試されている。

それだけのことなのです。

今、今、今

変な計算をしないで、とにかく目の前の試合を全力で戦う!

あるスポーツ解説者の言です。

示唆に富んだ、深い言葉だと思います。

あれこれ細かく計算した挙げ句に、力の出し惜しみをして目前の試合に敗れれば、次の試合には進めません。

勝負はいつも、今、今、今にあるからです。

ですから、今を乗り越えずして、未来はありません。

人生の真実は過去も未来もなく、ただ今このときこの瞬間をどう生きるかだけです。

今、この局面をどう動いてどう完結させるのか。

人生のテーマといっても、結局ここに行き着くことになります。

その単位は、今を連続させた、今日という一日です。

今日という一日を、どう戦略的に生きるか。

その戦略の基本となる考え方が、あれこれ下手に計算しないで、今ある目の前の課題に全力でぶつかるということなのです。

全力でぶつかれば、恐れは消えます。

逆に言えば、恐れているのは、全力でぶつかっていないからです。

力を後日に残してくだらない調整をしても、そこに残るものは何もありません。

今、持っている力を全部出すのです。

可能性は、全力を振り絞るなかに生まれてきます。

だから、つべこべ四の五の言っていないで、まずやってみるのです。

行動することの凄さを甘く見たツケは、後日手痛いしっぺ返しとなって、我が身に降り注がれることを忘れてはなりません。

Change

「不況は、贅肉を落とす注射である。」

経営の神様、松下幸之助氏の言葉です。

今、未曾有の経済収縮の中で問われていることは、「精神の復興」です。

ひとつの時代が次の新しい時代へ向けて、歴史のターニングポイントを産み出そうとしています。

ターニングポイント(分岐点)は、その前段階としてティッピィングポイント(沸騰点)をを通過します。

今、時代は沸騰点を迎えようとしているのです。

沸騰点を迎えた時に心すること。

それは中間がない、ということです。

落ちるか、進むかの二者択一的な選択肢しかないのです。

そのキーワードは、Changeです。

変われた者は生き残り、変わることに遅れをとった者は落ちていく。

決定的な沸騰点を迎えたのです。

こうした時代に、小手先の短期的な展望で事に臨めば、それは命取りとなります。

長期的な展望を持って浅はかな幻影に惑わされることなく、まず足元をしっかりと固めていきましょう。

明るい光を見ながら、徹底的に無駄を省くことが大切です。

そして今こそ、精神の復興を最優先させるのです。

生き残りと次の時代の胎動を賭けて、一日一日を「これでよし。」と言える挑戦的な姿勢で勝ち取っていきましょう。

何が起きてもくじけない強い精神を鍛え上げていきましょう。

自らの精神の在り方がどこを向いているのかを意識することが大切です。

精神が下がれば、全てが下がっていくからです。

いつの世も闇を照らす光は、我が精神にあることを忘れてはなりません。

決意の本質

気合いの一日が始まりました!

月の始まりの日は、気合いの一日にしましょう。

この1ヶ月を、どういう心構えで制覇していくのか。

この気構えを創る重要な一日が、今日という一日です。

緒戦を制する者は、全てを制します。

ギリギリになって反省ばかりを繰り返すのではなく、その反省をこの一日の気合いに凝縮させて、具体的な計画を決意を込めて練り上げるのです。

決意の本質は、スケジューリングにあります。

どれだけ気持ちを高揚させても、具体的に行動しなければ事は何も進まないからです。

前進とは、具体的に動くことです。

決意をみなぎらせた行動だけが、明日への扉をこじ開けていきます。

ですから、出発の一日には自分にカツをいれましょう。

絶対に、先月と同じ轍(てつ)を踏んではなりません。

気を引き締めて、今月は何と何をやり切るのかをハッキリさせるのです。

そのためにはまず、頭を整理しなくてはなりません。

整理とは、捨てるところから始まります。

何を予定から外すのか。

そして、何に重点傾斜するのか。

これが方針です。

方針を立てる時間を、今日はじっくりと取りましょう。

人と会うなら会うで、この一日で1ヶ月分のアポを入れてしまうのです。

こうした作業こそが、行動の未来予想図です。

あとは、しっかりと気持ちを創る!

今日は、この1ヶ月の出発の日です。

やるぞという気合を、今日という出発の一日に凝縮させる!

戦うを気持ちを純粋に創りあげる人だけが、この1ヶ月を制し、ひいては人生を制していく人であることを忘れてはなりません。


孤独の中で醸成されるもの

種を蒔いてどれだけ完璧に水をやっても、いきなり花は咲きません。

時を待たなくては、花は咲きません。

人の成敗みな時ありです。

中国に泥魚(でい)という川魚がいます。

泥魚は川が干上がると泥の中に潜り、何日でもじっとして雨の水が川を充たすのを待ちます。

そして、雨が降り干上がった川に水が充ちてくるとチョロチョロと泳ぎ出すのです。

吉川英治著の「三國志」の中の件(くだり)に、失意の底に沈む劉備玄徳に、人生を泥魚に喩えて諭す関羽の話があります。

関羽は語ります。

「人の成敗みな時ありです。人間も幾度か泥魚の堪忍に学ぶ時があるのではありますまいか。」

物事を成し遂げようとすれば、そこには覚悟が必要です。

覚悟の土台は忍耐です。

忍耐の鎧を着て、一つ一つ一歩一歩粘り強く歩き続けていく以外に、物事を成し遂げる道はありません。

その精神は、

大木をカッターナイフで刻むように。

倦(う)まず弛(たゆ)まず、只ひたすら小さななことを淡々と積み上げていく精神です。

華々しい結果の裏側には、必ず地味な人目につかない孤独な作業の繰り返しがあることを肝に銘じましょう。

その作業の中に自分と向き合うステージがあります。

自分と向き合い、自分と勝負する。

その瞬間は孤独な戦いです。

富も栄光も、孤独の中で醸成されることを決して忘れてはなりません。

人は幾たびか孤独で地味な作業を続けることによって、時を味方にして力をつけるのです。

人の成敗みな時あり。

やってもやっても駄目な時は、忍耐の鎧を着て、下へ下へと人間力の根っこを伸ばしていくのです。

私はできる

関係ない!

一切関係ありません。

いかなる理由を付けても、言い訳は通用しません。

できなかったのか、それともやらなかったのか。

チャレンジしてできなかったのなら、それは反省というカタチに焼き直して、再出発のエネルギーに変えることができます。

しかし、端(はな)から諦めてやらなかったことは、撤退のシミとなって、大きく自分自身の器を劣化させていきます。

なぜ、自分はこの道を行こうと思ったのか。

ぶれる自分を感じたなら、原点に戻りましょう。

可能性が少しでもある限り、最後まで粘りに粘りましょう。

簡単に諦めてばかりだから、何も積み重なっていかないのです。

第一、簡単に投げ出したことに、悔しいなどという感覚は絶対に宿りません。

一つ知っておかなければならないことがあります。

それは、悔しいという感覚を忘れてサクセスに到達した人は、この世に1人もいないということです。

人生は勝負です。

ですから、いつまで逃げても、逃げ切ることなどできません。

ですから、どこかで勝負しなければならなくなってくるのです。

試されるのは、そのときです。

人間が真に力をつけるときは、勝負するそのときを除いて他にありません。

逃げ癖、負け癖を払拭しましょう。

たとえ力及ばず敗れたにせよ、負け方があります。

次につながるカタチを創って、投了するのがプロだからです。

人間は、どこかの領域でプロとして生きる姿勢を持たなければ、後日必ず後悔することになります。

人生の真実。

それは、プロとして生きても、諦めて生きても、悩みは尽きないということです。

どうせ悩むのなら、プロとして前を向いて悩みましょう。

諦めてため息の人生を歩むのではなく、前を向いて「私はできる!」というゾーンで粘りの人生を歩むのです。

簡単に諦めてはいけません。

その簡単に諦めるという短絡的な気持ちが、今までの人生の否定につながり、ひいてはこれからの人生の可能性をも消し去るからです。

オフサイド・トラップ

止まっていたら駄目です!

心を奮い起たせて、明日につながる一歩を踏み出すのです。

疲れたのは、身体が疲れたからではありません。

心が、どこかで止まったからです。

心を再起動させましょう!

強制起動です。

どれだけ理屈をつけても、やらなければならないときにやらなければ、それは後日必ずツケとなって高い利息を付けて返すことになります。

やらなければならないときにやらないのは、要するに逃げたということです。

それは無条件降伏と同じです。

無条件に降伏する者を、宇宙が無条件に助けることはありません。

やるべきことから逃げるということは、運を自ら放棄するということにつながります。

運を放棄する者に、宇宙は冷ややかです。

どれだけ状況が困難を極めても、立ち向かっていくスピリッツだけは失ってはなりません。

道を切り開くものは、紛れもなく気概であり、この気概さえなくさなければ、人はどこかで宇宙とつながっていられるからです。

宇宙とつながってさえいれば、少々のことが起きても何とかなります。

そのために、絶対に忘れてはならないことがあります。

それは限界というものは、自分が勝手に決めた妄想であるということです。

確かに、今その状況を即座に乗り越えることは難しいかもしれません。

しかし、どれだけ困難な状況でも、まず乗り越えると決断して、その上で今は無理でも時間をかけることによって必ず乗り越えてみせる、という態度を持てているかどうかなのです。

今に落胆するあまり、こうした気概すらもなくしてしまえば、その先に光が差すことはありません。

問われているのは、今の状況ではありません。

この目前の課題を、たとえ今乗り越えられなかったとしても、その敗北を未来永劫認めて生きるのかということです。

凡物は、今できないことをもって、ずっとできないと解釈します。

そう考える方が楽だからです。

しかし、ここに宇宙のオフサイド・トラップがあります。

楽なゾーンでの行動は、オフサイドです。

ですから、たとえそこでゴールを放っても、所詮オフサイドですからノーゴールです。

正々堂々、戦うべきゾーンでは、真正面から勝負を挑みましょう。

止まったら駄目!

今日の一歩は、今日だけにとどまりません。

明日につながる一歩でなくてはなりません。

その一歩こそが、未来を切り開く一歩だからです。


バッターボックス

そのモヤモヤを一つ一つ紐解いて、そこに解説を加えてもややこしくなるばかりです。

今の自分のポジションから出発して、一気に人生を根底から変革する。

そういう壮大な発想を持ちましょう。

勝負は取り組む前についています。

おっかなビックリやっていると、宇宙から馬鹿にされて相手にしてもらえません。

やるならやるで、ちゃんとやりましょう。

「半分だけやりました」

みたいな仕事の仕方は論外です。

例えば、100メートルを50メートルまで世界新記録で走ってきても、そこで走るのを止めてしまえば、ただの棄権です。

半分だけ世界新記録で走っても、何もしたことにはなりません。

一つ一つの事をちゃんとやる。

あなたの思いを伝えたいなら、ちゃんと言えないと駄目です。

思いが伝わった人は、あなたにちゃんと言われたからです。

ちゃんと伝えれば、当然拒絶される時もあります。

しかし、人生万般ビジネスも何もかも、思いというメッセージを相手に伝えられる人は、そこに行き着くまでにちゃんと断られてきた、という事実を知らなくてはなりません。

即ち、思いを伝えられない人の特徴は、ちゃんと断られていないということなのです。

人生の悔恨は、出来なかったことではありません。

やらなかったことなのです。

「しない後悔」が人生の悔恨へとつながり、自分自身を変革することが出来なかった最大の理由になることを理解しましょう。

人生は挑戦です。

失うことを恐れて守ろうとしても、守りきれるものではありません。

人生というバッターボックスにせっかく立てたのです。

見逃し三振だけは、してはいけません。

同じ空振りなら、思い切り振っていく積極果敢な精神を持ちましょう。

譲れないラインは絶対に譲ってはなりません。

心のモヤモヤは、譲れないラインで譲歩したという、撤退のシミが原因なのです。

どうせ働くなら、人生を根底から変えていく仕事をしましょう。

全ての始まりは志からです。


最大の資産

今を見ないで、未来を見る!

そして、未来と関係のある行動を取る!

こうした発想を「先見の明」と言います。

未来はいきなり創れません。

ですから、今というときに未来の種を蒔こうとすることが大切です。

とにかく、ひたすら目指す未来の種を蒔くのです。

それでは、目指す未来の種を蒔くとは一体どういうことなのでしょう。

それは、ワークタイムです。

未来へとつながるワークタイムを、忙しい毎日のなかに持つことです。

そうした時間は、まさに自分の人生を創る時間とも言えます。

まずそのために、自分にある最大の資産は何なのかと真剣に考えなければなりません。

今の自分が持っている最大の資産。

それは、時間と情熱です。

ですから、未来を創る最大の仕事は、時間と情熱という資産をどう使いこなすかということに尽きるのです。

そのためには、まず時間をマネジメントしなければなりません。

要するに、徹底的に計画を練らなければならないということです。

その計画を実行させる力が、情熱です。

情熱の始まりは、やると決めたことは何があっても完結させると、自分自身にコミットする態度にあります。

それは結果を言うのではなく、やると決めたプロセスを完結できたかどうかということです。

結果は結果で大切ですが、そうであるからこそ、結果を導くプロセスにこだわらなくてはならないのです。

うまくいかないという結果は、プロセスという原因に問題があったのです。

うまくいかない結果に囚われていると、今ばかりに縛られて、未来が見えなくなってしまいます。

うまくいかない今に囚われずに、目指す未来だけを見て、日々未来の種を蒔く!

先見の明を持って行動することの価値を知りましょう。

今日という1日を、明日という1日に連結させて、目指す未来が具体的に構築れていくことを忘れてはなりません。

常態

今、以前と変わりなく不況などどこ吹く風で快走している人たちがいます。

彼らに共通することは、不況になるとかならないとかで一年前二年前を動いていないということです。

時代が好景気だろうが不景気だろうが、そんなその時の現象に踊らされて行動していないということです。

彼らは物事をシビアに見ています。

その上でビジョンを持ち、その為の目標というアプローチを設定します。

彼らはいざビジョンの為の行動を起こす際に、一つの冷めた見解を持っています。

それは、

事を為すに当たっては、希望的観測を捨てて常に最悪に備えるということです。

最悪に備えて考え抜いた後は、その時その時に胆力を持って臨む。

毒を喰らわば皿までも。

これが胆力です。

途中経過の細かいワンシーンワンシーンにビクついて行動の軸がぶれていけば、それこそが命取りとなることを彼らは忘れませんでした。

人は、困難な状況の中でも揺るがない人格に付いてゆこうとします。

状況から出発する人は、人を引っ張っていくリーダーとはなりません。

状況に関係なく、思いから出発できる人が人心を鼓舞し、それ故に人を引っ張っていくことの出来るリーダーとなるのです。

目には見えない、現象の奥に潜む本質に光を当てましょう。

あなたの成功は、あなた一人のものではありません。

些細な現象に囚われることなく、自分を鼓舞し自分を叱咤激励して前進するのです。

それがリーダーとなる者の常態だからです。

プロですから!

高いレベルで自分と向き合いましょう。

自分自身はいま何者で、これから数年先、一体どういう者になっていくのか。

ビジョンを持ちましょう。

ビジョンとは、近未来における自分のポジションです。

自分がどこに行こうとしているのかを、いま一度客観的に眺めてみましょう。

芝居を観るように、過去から現在に至る自分の行動と、そのとき心がどう動いていたのかを

他人事で見つめてみてください。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

それで済ませてしまえば、あなたはただの凡物です。

大切なことは、その時あなたの心がどう動いたかなのです。

これからの一日一日、そして一歩一歩の歩みに、あなたの心がどう絡んだのかが大切なので

す。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

厳しいことを言いますが、その一言があなたの真の才能や力を発揮させなかった「動機」と

なっていったのです。

思考停止や慰めや諦めは、あなたをあなたが歩むべき真の道から少しずつ外していきます。

人間を決定していく真の動機は、時としてひと言で決定されることがあります。

それは、

「プロですから!」

という、潔い言い切りです。

プロ意識を持ちましょう。

アマチュアは頭のどこかに言い訳を貯蔵し、プロは一切の言い訳を排除して眼前の課題に決

意で立ち向かいます。

「プロですから!」

何かで気持ちが弱くなってきたら、こう心の中で唱えてみてください。

必ず気持ちに革命的な変化が起こります。
高いレベルで自分と向き合いましょう。

自分自身はいま何者で、これから数年先、一体どういう者になっていくのか。

ビジョンを持ちましょう。

ビジョンとは、近未来における自分のポジションです。

自分がどこに行こうとしているのかを、いま一度客観的に眺めてみましょう。

芝居を観るように、過去から現在に至る自分の行動と、そのとき心がどう動いていたのかを

他人事で見つめてみてください。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

それで済ませてしまえば、あなたはただの凡物です。

大切なことは、その時あなたの心がどう動いたかなのです。

これからの一日一日、そして一歩一歩の歩みに、あなたの心がどう絡んだのかが大切なので

す。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

厳しいことを言いますが、その一言があなたの真の才能や力を発揮させなかった「動機」と

なっていったのです。

思考停止や慰めや諦めは、あなたをあなたが歩むべき真の道から少しずつ外していきます。

人間を決定していく真の動機は、時としてひと言で決定されることがあります。

それは、

「プロですから!」

という、潔い言い切りです。

プロ意識を持ちましょう。

アマチュアは頭のどこかに言い訳を貯蔵し、プロは一切の言い訳を排除して眼前の課題に決

意で立ち向かいます。

「プロですから!」

何かで気持ちが弱くなってきたら、こう心の中で唱えてみてください。

必ず気持ちに革命的な変化が起こります。
高いレベルで自分と向き合いましょう。

自分自身はいま何者で、これから数年先、一体どういう者になっていくのか。

ビジョンを持ちましょう。

ビジョンとは、近未来における自分のポジションです。

自分がどこに行こうとしているのかを、いま一度客観的に眺めてみましょう。

芝居を観るように、過去から現在に至る自分の行動と、そのとき心がどう動いていたのかを

他人事で見つめてみてください。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

それで済ませてしまえば、あなたはただの凡物です。

大切なことは、その時あなたの心がどう動いたかなのです。

これからの一日一日、そして一歩一歩の歩みに、あなたの心がどう絡んだのかが大切なので

す。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

厳しいことを言いますが、その一言があなたの真の才能や力を発揮させなかった「動機」と

なっていったのです。

思考停止や慰めや諦めは、あなたをあなたが歩むべき真の道から少しずつ外していきます。

人間を決定していく真の動機は、時としてひと言で決定されることがあります。

それは、

「プロですから!」

という、潔い言い切りです。

プロ意識を持ちましょう。

アマチュアは頭のどこかに言い訳を貯蔵し、プロは一切の言い訳を排除して眼前の課題に決

意で立ち向かいます。

「プロですから!」

何かで気持ちが弱くなってきたら、こう心の中で唱えてみてください。

必ず気持ちに革命的な変化が起こります。
高いレベルで自分と向き合いましょう。

自分自身はいま何者で、これから数年先、一体どういう者になっていくのか。

ビジョンを持ちましょう。

ビジョンとは、近未来における自分のポジションです。

自分がどこに行こうとしているのかを、いま一度客観的に眺めてみましょう。

芝居を観るように、過去から現在に至る自分の行動と、そのとき心がどう動いていたのかを

他人事で見つめてみてください。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

それで済ませてしまえば、あなたはただの凡物です。

大切なことは、その時あなたの心がどう動いたかなのです。

これからの一日一日、そして一歩一歩の歩みに、あなたの心がどう絡んだのかが大切なので

す。

あの時は仕方なかった。

あの時はそうするしかなかった。

厳しいことを言いますが、その一言があなたの真の才能や力を発揮させなかった「動機」と

なっていったのです。

思考停止や慰めや諦めは、あなたをあなたが歩むべき真の道から少しずつ外していきます。

人間を決定していく真の動機は、時としてひと言で決定されることがあります。

それは、

「プロですから!」

という、潔い言い切りです。

プロ意識を持ちましょう。

アマチュアは頭のどこかに言い訳を貯蔵し、プロは一切の言い訳を排除して眼前の課題に決

意で立ち向かいます。

「プロですから!」

何かで気持ちが弱くなってきたら、こう心の中で唱えてみてください。

必ず気持ちに革命的な変化が起こります。

連結

昨日を引きずらない。

関わる人を間違わない。

こう自分に言い聞かせた上で、果敢に今日という一日にチャレンジしていきましょう。

閃いたことはパッとやってみる。

やってみなければ分からないないのが人生ですから、やらないでどうのこうのと考えても何も始まりません。

毎日毎日が未知との遭遇です。

未知ですから、よいこともあればそうでないこともあります。

人は時として何かに突き動かされるように喋り、行動することがあります。

それは長い目でみれば、魂を磨くために通らなければならなかった道程であることに気付きます。

大切なことは、

昨日と今日の連結に失敗しないこと。

なのです。

起きてしまったことは、当座よくないと思われることほどモヤモヤと心に引っ掛かりを残します。

そうした時は、そのモヤモヤの見方と解釈を変えてみましょう。

1センチを10センチの定規で測れば大ごとですが、1センチを10メートルの物差しで測ればそれは誤差です。

昨日を引きずってはいけません。

引きずらないとは、どういうことでしょう?

それは、

思い出さない。

ということです。

忘れてしまえ。

と言っているのではありません。

いちいち思い出さないようにする。

とてもシンプルな方法です。

人生は短く、いちいち一つのモヤモヤに引っ掛かって、昨日に焦点を合わせていられるほど悠長には出来ていません。

昨日を引きずらなければ、関わる人が変わってきます。

これが、昨日から今日への連結です。

あなたのモヤモヤは、昨日から今日への連結に手間取っているだけのこと。

では何故、昨日を引きずっているのでしょう?

その答えは単純です。

暇だから。

これだけです。

敵は暇という環境にありました。

その処方箋は、とにかくどんどんスケジュールを入れて動きに動くことです。

スケジュールとは、人と会うということです。

焦らず遅れず心が奮い起つようなステージを毎日のなかで創出していける人が、昨日から今日の連結を成功させて、さらに未来への架け橋をも創り上げる人材となるに違いないのです。

劣後順位

これからの時代、やる気では乗り切ることが出来ません。

何故ならば、やる気は単なる気分に過ぎないからです。

本気でやる。

これがこれからのキーワードになります。

本気にあって、やる気にないもの。

それは、具体的な計画です。

やる気に具体的な計画はありません。

人は、本気になってはじめて真剣にゴールを目指します。

ゴールとは目的です。

目的が設定できて目標が定まります。

もうお分かりだと思いますが、目標より目的の方が上です。

目標が目的の延長線上にきたとき、そこにはじめて具体的な計画が生まれます。

具体的な計画は、必ず具体的に行動を変えていきます。

この激動・激変・激震の時に行動を根底から変革していかなければ、生き残りは困難な時代になったということの認識が飛躍の前提となるのです。

こうした波乱の時代の軸となる考え方は「劣後順位」です。

言うまでもありませんが、過去の選択の連続が今日の現実を作りました。

これを変わらず続けていれば、未来もその延長線上にあります。

つまり、今の選択を変えなくては、自分自身の近未来も変わらないのです。

変わる。

とは、

捨てることです。

同じことを同じように続けていたら、滅びる時代になったのです。

去年と決定的に違う自分を意図的に創りあげていきましょう。

やらないことを決定して、その空いたスペースにゴールを決めるキラーパスを通すのです。

新手に着手しましょう。

それをチャレンジと言うのです。

やらないことを決めて、空いたスペースで新しい何かを試みる。

今まで当たり前と思って何の疑問もなくやっていた行動パターンを、思いきって変えてみる。

トライアル&エラー(試行錯誤)を恐れない。

勇気を出して、捨ててみましょう。

囚われていたら、何も進みません。

失うことを恐れていたら、何も得ることは出来ません。

マイナスだけを見ていたら、起死回生はあり得ないのです。

知恵と度胸で、緻密に計画して大胆に行動していく。

勇気を振り絞って、

前へ。

前へ。

サバイバビリティへの転換

今、各地の職場、家庭、地域で人の気持ちが縮み、閉塞感が強まっています。

派遣労働者の雇い止めなど雇用の現場に吹き荒れた嵐は更にその勢いを増し、ホンダを始め大企業の経営者までもが正社員削減の可能性を否定しません。

「安定」の形がボヤけていく中で、将来の選択肢が開かれているはずの若者にしわ寄せが及んでいます。

「職場で悲鳴を上げたいが『安定』を失いたくない。そんなジレンマが広がっている」と、東京労働センターには昨夏以降、若者を中心に正社員からの訴えが目立つそうです。

「働き過ぎ」で自律神経失調症を患い、会社を解雇される人。

就職氷河期で就職出来ずにアルバイト生活を続け、やっと正社員に採用されたが「朝6時に出勤して翌日午前1時に帰宅」で月給は20万円強。上司の無理な注文に「文句も言えず、ひたすら働き体調を壊した」「正社員=安定というのは幻想だった」と肩を落とす若者。

本田由紀・東大準教授は、若者の働き方を「展望もないのに頑張ってしまう」と表現しています。

不条理といえるほどの過重労働でも、うまくいかないのは自分のせいと抱え込み過ぎる傾向があるといいます。

雇用不安の激流に飲み込まれそうになりながら、職場で声を押し殺して「安定」という自分の居場所を探してもがく若者たち。

時代は今、「持続可能性」(サスティナビリティ)を追及する時代から、「生き残る力」(サバイバビリティ)を模索する時代に入りました。

大きく時代を捉えれば、イラク戦争の失敗やサブプライム問題などで米国の一極集中が崩れ、世界はパンドラの箱が開いた時のような混沌に満ちているといってもよいかもしれません。

しかし、混沌は新しい次世代の何かを生む母でもあることは間違いありません。

神話によれば、人間のあらゆる労苦が飛び出したパンドラの箱の最後に残ったものは、希望(エルピス)だったそうです。

生き残ろうとする限り、人は戦いという宿命的なフィールドに立たざるを得ません。

安定は決して用意されるものではないことも、理解しなくてはなりません。

過去の自分と決別して、危機がひらく未来へと力強く歩みはじめる時代なのです。


ゲーム

負するときの心構え。

それは、人生はゲームであると解釈するなかにあります。

ゲームですから、その勝負のなかにあるリスクを深刻にとらえてはなりません。

ゲームは失敗するかもしれないから面白いのであり、たとえばゴルフゲームをして、適当にリモコンを操作しながら何をしても全てホールインワンなどというゲームなら、そんなゲームは誰もやりません。

そんなゴルフゲームは面白くないからです。

ゲームは、ハラハラドキドキするから面白いし楽しいのです。

人生をゲームととらえることができれば、心に余裕ができます。

自分で自分をコントロールすることができるからです。

何かを意志を持って実行すれば、当然そこにはリスクがあります。

逆の言い方をすれば、リスクのない行動は意志のない行いであり、意志がなければ、その行動は他人にコントロールされた行動であるということです。

しかし、です。

リスクといっても、よくよく考えてみれば、この世に生を受けたこと自体がリスクであり、私たちは人生最大の恐怖である「死」へ向かって1日1日を過ごしています。

ですから人生の結論は、私たち全員が確定済みです。

リスクをこう解釈できれば、リスクリスクと騒ぎ立てても、死以外のリスクはゴミほどの重さしかないことが分かります。

そんなゴミほどの重さしかないリスクを恐れて何もしないことが、どれだけもったいないことか。

ならば、何が生きるということの本質なのでしょう。

それは、死という結論に向かうその過程にあるということです。

人生のプロセスを、どう楽しむか。

これだけが、生きるということの本質なのです。

楽しむとは、エキサイティングに生きるということです。

ハラハラドキドキを楽しむ!

自分で自分をコントロールして、人生もビジネスもゲーム感覚で楽しんでしまうのです。

人生は、どこかで本音をしゃべらないと、道が全く開けてこないときがあります。

しかし、本音をしゃべろうとすると、例のゴミほどの重さしかないリスクが頭をもたげてきます。

そのときは、「本音トークゲーム」の始まりです。

その結果うまくいこうがいくまいが、所詮ゲームですから、その結果に囚われてはいけません。

人生もビジネスもゲームです。

こう理解できれば、無用なプレッシャーから心が解放されて、新しい自分に生まれ変われるかもしれません。

どうぞ、お試しあれ。

希望の芽

やるべきことをやらない自由は、ただの先伸ばしです。

問題の先伸ばしは、未来の借金となって、あなたの心のバランスシートに少しずつ積み上がっていきます。

人生は、あなたの気持ちと時間とお金という資源を、具体的な行動にどのように注ぎ込むかで決定されていきます。

節約は美徳ですが、節約オンリーで、人生を達成することは出来ません。

何の為に節約するのかを考えてみれば、それは我が人生をよりよく変更する為です。

生きるとは、命を懸けることに他なりません。

あなたは、何に命を懸けていますか?

ほとんどの人は、こうした人生の根本命題について考えようともしません。

その結果、何に命を懸けているかが、その人物の本質になるということを忘れて、毎日を送ることになるのです。

希望は、可能性の中に潜んでいます。

我が命を可能性に懸けた時、希望の芽が息吹くことを知りましょう。

ここを、強く意識することが大切です。

何故ならば、命は可能性に懸けるという発想を忘れた時、人は知らず知らずのうちに、我が命を不安に懸けて生きるようになるからです。

その結果、ありもしない不安に振り回されて、本来の自分を切り売りし、そしてディスカウントして、自分で自分の価値を下げてしまっていることに気付きもしなくなります。

あなたが、あなた本来のやるべきことをやっていれば、あなたに疲れが襲ってくることはありません。

自分が何処に行こうとしているのかを、一度あなたの心の奥にある地図を引っ張り出してきて、じっくりとそのルートを検討してみて下さい。

もしルートから外れていたなら、修正を加えましょう。

疲労感は、よほどの病気でもない限り、心が発信源です。

体が疲れたから、疲れたのではありません。

心が止まったから、疲れたのです。

やるべきことをやらない自由は、心を止めます。

心が止まれば、雑用に追い掛け回されて、それを仕事と勘違いして毎日を送ることになり、その代償は後日「後悔」という形で、必ず自分自身に返ってくることを忘れてはなりません。

皆が慌てふためく大変な時代だからこそ、しっかりと自分自身の生き方の軸を持って、忙しい忙しいと言って心を自ら亡ぼさないで、心にスイッチを入れて今日一日を達成していきましょう。

解放

人は、自分の中にないものには反応しません。

人は、自分の中にあるものに反応するのです。

例えば、あの人嫌だなと思ったとします。

それは、自分の中にある百八つの煩悩のどれか一つと反応して、それがそうした形、即ちあの人嫌だなという気持ちが、「あの人」を通して現れただけなのです。

今、自分の中にある気持ちを確認しましょう。

あなたの心の奥底にある意識が本当に受け取った情報は、寸分たがわず未来のあなたの本質となるからです。

その本質が、あなたを導いていきます。

あなたの本質が臆病ならば、あなたは臆病者となってチャンスを目の前にして立ちすくみます。

あなたの本質が勇気ならば、あなたは勇者となって困難に立ち向かい栄光を勝ち取ります。

あなたの本質が愛ならば、あなたが関わる全ての人に夢と希望を語るリーダーへと、あなたは必ず成長します。

あなたの中にある本質。

その本質は善くも悪くも変わります。

放っておけば、自然に低きへと変わっていってしまいます。

ですから、「変わる」という受け身ではなく、「変える」という能動的な態度を持とうとすることが大切です。

自分自身の本質を変える。

本質の変更は、反応するゾーンの変更です。

蚊に刺されたような些細なことに反応するのは、もう終わりにしましょう。

反応するのは、自分自身の人生を大きく変えていくゾーンに絞るのです。

反応するゾーンが変われば、受け取る情報が変わります。

受け取る情報が真に変わって、あなたの本質が静かに少しずつ変わり始めるのです。

あなたの中にある本質が変われば、悩みも変わってきます。

悩みが変われば、今まで振り回されていたことから解放されます。

振り返れば、つまずいていたことは、いつも同じようなことでした。

どうもがいても、人生を変えないゾーンで引っ掛かり、人生を変えない問題に振り回されていたのです。

進化は観察から始まります。

自分の中にあるものをあるがままに観察して、受け身から能動的な自分へと進化していきましょう。

逆境という時代

壁を乗り越えていく力は、自分を信じるところから始まります。

時代がうなり声を上げて蛇行を繰り返しています。

100年に一度と言われる波は、見方を変えれば、次の新しい100年への産みの苦しみととらえることも出来ます。

大切なことは、今がどうあれ新しい未来のビジョンに生きていくのだ、という決意をしっかりと持つことです。

そして、その為の具体的な行動を言い訳せずに続けていける、揺るがない不動の心を作り上げることが根本の命題なのです。

幸せも成功も、戦わなければ手に入りません。

真の仲間も、戦って初めて巡り合えるのです。

その本質は心にあります。

あなたの心の奥の奥に、どのような意識が座っているかが問題なのです。

意識が覚醒して、魂が目覚めます。

魂が目覚めれば、あなたのエネルギーが狙った一点に迷いなく注がれていきます。

その結果、全てがあなたを進める力となって動き出すのです。

未来の新しいビジョンに生きていきましょう。

そのために、今の自分の方向性をチェックしましょう。

富士山に登りたいなら、富士山に向かって歩いていなくてはなりません。

方向性がOKなら、あとは準備です。

ここで、準備についての再確認です。

準備は立ち止まってするものではないということです。

準備は歩きながら、動きながらするのです。

準備の究極とは何か?

それは、

投資です。

自分自身への投資です。

投資とは、新しい未来のビジョンを構築する力を獲得するための戦略です。

あなたが、1日に一つ新しい何かを身に付けていくことは、それこそが新しい未来のビジョンを構築するための投資なのです。

昨日の自分を超えていきましょう。

誰もが落胆するようなこんな時代だからこそ、独り気を吐きましょう。

真の飛躍は、逆境という時代に育まれてこそ可能となるのです。

時間管理

「80対20の法則」という考え方をご存知ですか?

これは、イタリアのパレートという経済学者が唱えたもので、「パレートの法則」とも呼ばれます。

「パレートの法則」とは、例えば時間を例にとると、私たちの使う時間の80%はわずか20%の成果しか上げていない。

逆に、残りの20%が全体の80%の成果を上げているという考え方です。

これは10時間働いたとして、成果の80%はたった2時間で達成されており、後の8時間は20%の成果しか出せていないということです。

この法則は、様々な分野で当てはまります。

例えば、100人の営業マンがいるとして、全体の売上の80%をトップ20人が稼ぎ出し、残りの80人は売上の20%しか稼いでいないということもいえる訳です。

ともすれば、私たちは1日24時間を漠然と捉えた結果、いつの間にか80%の時間を無駄にしているのではないかという問いかけにも思えてきます。

時間管理は、1日を輝かせるための必須の項目です。

その基本は、予定とスケジュールをごちゃ混ぜにしないということから始まります。

予定とは、これからのことを自分で計画して、自分の意思で進めていけることをいいます。

つまり、自分の意思だけでコントロール出来る領域を指します。

一方、これに対してスケジュールは、自分の意思で変更出来ない、動かせないものをいいます。

ここで大切なことは、外せないあなた自身の仕事そのものはスケジュール化してしまうということです。

動かせないスケジュールにしてしまえば、あれこれ迷わずに、仕事そのものを効率的に進めていけるようになります。

これを押さえることが出来れば、残る時間はあなたの意思でコントロール出来る時間ということになります。

この時間こそが、勝負の時間帯なのです。

実はタイムマネジメントの盲点ともいえるのは、本当に自由になる時間が1日の中でどれくらいあるのかをハッキリつかんでいないということです。

時間が出来てから「何をしようかな」では、後手後手に回って、ただ気がせわしなく動くだけになってしまいます。

時間という宇宙から与えられた平等な資源を、生かすも殺すもこのコントロール可能領域の時間にあります。

この時間に、明確な意思を持って予定を入れましょう。

やるべき事リストをハッキリと書き出して、あなたの自由になる時間に予定として落とし込むのです。

そして、いざ実行です。

実行する際に、ポイントがあります。

☆より速くすること。

☆より良くすること。

☆今やるべきことをすること。

この三つです。

これらは、ピーター・ドラッガーが、仕事を上手に進める三原則としてあげたものです。

いずれにしても最後は気合いの勝負ですが、仕事をうまく進めるシステムの一つとして、時間管理能力のアップを図っていきたいものです。

あと10年

決めた「その日」は、必ず来ます。

たとえば、テレビ放送の地デジ化がそうです。

地デジ化の告知CMを初めて見たときは、まだまだ先のことだと思っていたのが、もうすぐそこに迫っています。

一度その日を決めてしまえば、その日に対してのカウントダウンが始まるからです。

このカウントダウンの究極が、寿命です。

オギャーと産まれ落ちたその瞬間から、私たち一人一人に命のカウントダウンが始まります。

私たち全員が、意識してもしなくても、この世と別れるそのときがセットされるのです。

ここで一つ、自分への問いかけを試みてください。

あと10年しか生きられないとすれば、自分は今の仕事や生活パターンをそのまま続けるのだろうか、と。

いいですか、あと10年です。

あと10年。

こうして考えてみると、何か事があるたびに気持ちが揺れて不安定になるのは、自分の命が永遠に続くと勘違いしているからであることに気がつきます。

不安の根源にあるものは、期限という意識の欠如なのです。

ということは、その日を決めるという意識を持てば、不安は消えるということです。

期限こそが、人を迷いなく稼働させる重要なポイントだったのです。

ですから、やろうとすることに対して、さっさと実行するその日を決めてしまいましょう。

その日を、どんどん決めてしまうのです。

そうすれば、命のメカニズムが働いて、揺れる心を一点に向けて動かしていきます。

大切なことは、決めたその日が連続して続くことです。

それはつまり、今日という1日が漠然と迎えた1日ではなく、意志を持って決めたその日なのかどうかということです。

決めたその日は、必ず来ます。

そして、その1日1日が運命を変更していくことを忘れてはなりません。

本質

結果を出すことに真剣になっていない。

だから、自分を変えられない。

これが、伸びない人の最後の答えです。

仕事は結果を出さない限り、評価されることはありません。

結果を出さなければ、その場から去らなければならなくなることに大多数の人は気付きません。

いかなる組織も個人も、滅びゆく者の共通項は、自分を変えることが出来なかったという一点に尽きます。

自分を変えることが出来たら、それは進化です。

自分を変えることが出来なければ、それは退化であり、その道は滅びの道です。

追い込まれてからあたふたと右往左往しても、その時には何も出来ないことを理解しなければ生き残りは難しい時代となりました。

今、時代の波はそこまで来ています。

真剣に仕事をしましょう。

結果を出すという、本質を外さない仕事をするのです。

成功する側に回るのか。

それとも、成功しない側に付くのか。

選択の時が、いま目の前に来ていることを自覚してください。

海は寒風を受けて、凍(こご)えながら春を準備します。

時代の風に迎合することなく、

時代の荒波に翻弄されることなく、

王者・王女の風格をたたえながら、自分自身の旗色をハッキリさせて今日の一歩を進めるのです。

あなたを笑う者には笑わせておけばいいし、あなたを小馬鹿にする者にはそうさせておけばいいのです。

やるべきことをやりきりましょう。

やるべきことをためらってはいげません。

やるべきことにひるんではいけません。

やるべきことをやるから、チャンスが生まれるのです。

チャンスは貯金出来ません。

迷ってないで、さっさとやるのです。

迷ったら、

やる。

さあ、勇気を出してがんばって!

未来予想図

何年経っても変わらない自分自身とその状況に、いい加減に疑問を抱かなければいけません。

とっくに卒業していなければならないゾーンに、いつまで落第を繰り返して居続けているのかと。

要するに、気が入っていないのです。

本気で真剣に、その壁を乗り越えようと思っていないのです。

本気を出して、真剣に事に臨むことの大切さをナメている!

だから、いつまで経っても、やること為すことがいい加減なのです。

事を突き詰めて考えようとせず、ゆえに具体的に細部に渡って計画することもありません。

そうした態度が、イメージを生むことはありません。

イメージを持たないぶっつけ本番の行動が、望む結果を引き寄せることは不可能に近いと言えます。

なぜならば、イメージこそが、行動の未来予想図だからです。

行動の未来予想図。

ここを創るものこそが、イメージです。

イメージは、運命を変更します。

未来に対するときめきと、今のままではいけないという危機意識。

イメージはこの二つを具有して、魂を走らせていきます。

ときめきを持続する成長路線に乗せるものは、健全な危機意識です。

いつまでも変われないのは、「今のままでは駄目!」と真剣に思っていないからです。

今のままで仕方ないと思っていれば、いつまで経っても変われないのは当たり前です。

あなたは、今のままで本当にいいのですか?

今のままで、本当に大丈夫ですか?

3・11以降、私たちは時代変遷の歴史的転換点に立っていることを知らずして、これからの時代を生き抜くことは容易ではないということを忘れてはならないのです。

底力

いま私たちは、淘汰の時を迎えました。

淘汰の時は、やるべきことをきちんとやる。

何がやるべきことで、何をやってはいけないのかを明確にする。

守りを固めて、成長分野に投資する。

投資なきところに未来はないと知る。

といった、淘汰の時代に突入しているのです。

淘汰の時代には、攻守が目まぐるしく変わります。

きっちり守るときと果敢に攻めるときを、慧眼(けいがん)をもって見極めていく。

攻めるためには、守りが大切です。

アウトプットとインプットと言い換えてもよいと思います。

その比率は、1対2の割合です。

攻め即ちアウトプット1に対して、守り即ちインプット2の割合が大切です。

守りのときに、大切な発想があります。

それは、

「凡事徹底」

という発想です。

組織に於いても、個人に於いても、凡事を徹底してやっているところが底力を発揮するのです。

守りのときは、普段出来ないことを徹底してやる。

足りない知識を徹底して補充する。

整理出来ていないデータを徹底的に整理する。

体調を徹底的に整える。

といったことが、「凡事徹底」です。

次の新しい展望は、凡事を徹底してやる中に開けてきます。

いたずらに焦るのはやめて意図的に立ち止まることも、「凡事徹底」という戦略があれば、それは後日あなたの底力となって必ず返ってくることを忘れないでください。

どれだけ忙しくても、やるべきことをやって次の展望が開けてくるからです。

悪戦苦闘能力

頭はクールに。

心はホットに。

頭がホットで、心がクール。

これは発狂です。

クールな頭で緻密に計画して、ホットな心で大胆に動きましょう。

ボヤけた頭で大雑把に計画して、冷めた気持ちで神経質に動いても結果は出ません。

計画はとことん突き詰めましょう。

要は、計画したこと、決めたことが出来ているかどうかです。

結果をどうのこうの言っているのではありません。

決めたことが出来ているか。

言い訳を認めてしまえば、全ての現象が出来ない理由になります。

皆それぞれにいろいろな状況があります。

いろいろあるのが人生だからです。

いろいろとは一体何なのでしょう?

それは、雑事です。

何かをやろうとすれば、必ず雑事が起きます。

実力とは、その雑事に感情を入れないで、どうパッパッパとさばくことが出来るのかということです。

時代が緊張している時に雑事にさばかれていたら、それは愚かの一語に尽きます。

雑事に囚われないで、早くやるべきことに着手出来るゾーンに自分自身を進めましょう。

今の時代は、

「悪戦苦闘能力」が問われる時代です。

キーワードは、

「ギリギリ」の四文字です。

ギリギリのところで、どれだけ踏ん張れるか。

悪戦苦闘しながらも、ギリギリのところで勝負する。

その精神力に、可能性という境地が拓けてくることを信じてみましょう。

ギリギリで頑張るから、道は劇的に開けるのです。

全ての原点

岐路に立ったとき、何を思いどこを見ているか。

ここに、状況を突破する全ての原点があります。

岐路とは、試されるときを意味します。

人は試されて、そのときの自分の正体を知ります。

何かを目指せば、必ず某(なにがし)かの試されるときを迎えます。

試されて練られて、それで今の自分を知り、そこからやるべきことが見えてきます。

それを試練といいます。

試練に直面したときに、何を思い何を見ているかで、到達する地点が変わってきます。

同じことをやっていても、何を感じながらやっているかで、たどり着く場所が違ってくるのです。

それは何故か?

その答えは、意識にあります。

どのような意識が、時々の行動に流れているのか。

環境や貧富の差や、幸不幸までも峻別していくもの。

それこそが、紛れもなく意識の持つ力なのです。

意識は目に見えず、形を持ちません。

ですから、朽ちることもありません。

形あるものは、いつか朽ちていきます。

目に見えず形を持たない意識が、人生の一切合切を決定し、ときとして生き死にのラインまでも引いていく。

意識を上げましょう。

全ては、意識を上げるために起きていると解釈しましょう。

意識が下がれば、全てが下がります。

ですから、意識を下げたら負けです。

意識を下げなければ、まだまだ戦えます。

勝負のそのときに、何を思い何を見ているか。

ここに、勝負の分岐点があることを忘れてはなりません。


しないことはしない

なぜ悩むのか。

それは、暇だからです。

いつも簡単に落ち込む人の共通項は、ただ単純に暇なのだということです。

あまりにも普通のことに囚われているのです。

普通のことに力を入れ過ぎると、大事なことに集中出来なくなります。

大事なこととは何か。

それは、あなたの人生を根底から変革することです。

この大事なゾーンに軸足を置いていない人は、いつの間にかやる気がなくなってきます。

やる気がなくなると、やることが分からなくなってきます。

こうして、怠け者が出来上がるのです。

怠け者はいつも、自信がないと言います。

怠けて何もやっていないのですから、自信などあるはずがありません。

暇だから自信がないのです。

決めて動けば、やるべきことが沢山見えてきます。

やるべきことが沢山見えたら、自信があるとか、自信がないとかなど感じる暇がありません。

自信があるとか、ないとか言っていること自体、やる気がないのです。

何をしたらいいのか、自分がやるべきことが分からないと言ってること自体、やる気がないのです。

人生は本気で生きると決めた瞬間に、突然その様相を変えてきます。

そろそろ本気を出しましょう。

悩みの本質は、依存です。

受け身から能動の人へと自分を変革していきましょう。

この世には、リードされる人とリードする人の二種類しかいません。

あなたの人生を根底から変えていく大事なこと。

それは、あなたがリーダーになることです。

成功はリーダーになることから始まります。

リーダーへと成長するために、とても大切なことがあります。

それは、

リーダーがしないことはしない。

と決めることです。

リーダーがしていることを真似る前に、リーダーが絶対にしないことは、絶対にしないと決めましょう。

まず意識を変えるのです。

自己変革は、意識革命から始まることを忘れてはなりません。

しないことはしない

なぜ悩むのか。

それは、暇だからです。

いつも簡単に落ち込む人の共通項は、ただ単純に暇なのだということです。

あまりにも普通のことに囚われているのです。

普通のことに力を入れ過ぎると、大事なことに集中出来なくなります。

大事なこととは何か。

それは、あなたの人生を根底から変革することです。

この大事なゾーンに軸足を置いていない人は、いつの間にかやる気がなくなってきます。

やる気がなくなると、やることが分からなくなってきます。

こうして、怠け者が出来上がるのです。

怠け者はいつも、自信がないと言います。

怠けて何もやっていないのですから、自信などあるはずがありません。

暇だから自信がないのです。

決めて動けば、やるべきことが沢山見えてきます。

やるべきことが沢山見えたら、自信があるとか、自信がないとかなど感じる暇がありません。

自信があるとか、ないとか言っていること自体、やる気がないのです。

何をしたらいいのか、自分がやるべきことが分からないと言ってること自体、やる気がないのです。

人生は本気で生きると決めた瞬間に、突然その様相を変えてきます。

そろそろ本気を出しましょう。

悩みの本質は、依存です。

受け身から能動の人へと自分を変革していきましょう。

この世には、リードされる人とリードする人の二種類しかいません。

あなたの人生を根底から変えていく大事なこと。

それは、あなたがリーダーになることです。

成功はリーダーになることから始まります。

リーダーへと成長するために、とても大切なことがあります。

それは、

リーダーがしないことはしない。

と決めることです。

リーダーがしていることを真似る前に、リーダーが絶対にしないことは、絶対にしないと決めましょう。

まず意識を変えるのです。

自己変革は、意識革命から始まることを忘れてはなりません。

戦う精神

人間の真価は、追い込まれたときの態度に現れます。

追い込まれたときこそ、下っ腹に力を溜めて気を吐くのです。

起きてしまったことは、どうあがいても取り返しはつきません。

月並みな言葉で言えば、切り替えていくしかないのです。

冷静になりましょう。

冷静な決断をする自分に戻るよう、自分の心を誘導するのです。

追い込まれたといって、自分を支えてくれている人が見えなくなって、パニックになり取り乱す者を愚か者といいます。

かく言う僕も、昔勤めていた企業で大変なミスをしてしまい、もうこれでサラリーマン人生で出世することは駄目かと思ったことがあります。

しかし今冷静に振り返れば、それは全然大変なミスではありませんでした。

本当に大変だったのは、狼狽(うろた)えて自分の人生の一部分でしかないことを、顕微鏡のような視覚でしか見れなくなっていた、縮んでゆく自分の精神状態だったのです。

その時僕に烈火の如く怒った上司は、あれほど熱く会社への思いを語ったにも関わらず、とうの昔に会社を止め、今となってはその会社自体が消滅してしまいました。

追い込まれたときは、修行の時です。

追い込まれたときほど、態度が大切なのです。

タイヘン、タイヘンと取り乱して、小者ぶりを発揮するのか。

今こそ大きく変わるときとその大変を解釈して、未来の大器を予感させる人物へと成長する為の礎(いしずえ)とするか。

追い込まれたときほど、潔く自らが置かれた状況と勝負しましょう。

対処するのではありません。

勝負するのです。

心が引いていたり、逆に調子に乗っていたから追い込まれたのだということを忘れてはいけません。

人生と戦う者に行き詰まりはありません。

困難なときほど、勝負する気持ち、戦う精神を忘れない。

非常時に対処していたら、全てが追い付かないのです。

一流の所以

残念な人には、決定的な共通項があります。

それは、自ら熱く強い思いを持って求めていかないということです。

いつも薄っぺらなバランス感覚を優先して、自らが成長しなければならない分野で、食らいついていかないのです。

石にかじりついても、という気迫がありません。

いつも、通り一編の常識的な発想しか持てないことが、自分の人生に決定的な影響をもたらす人を得ることができない原因であることを、まともに理解することができないのです。

そういう残念な人は、表面的には良い人です。

可もなく不可もない生き方を是として、その結果、可もなく不可もない人と出会い、そしてその人生において「生きた!」という実感を何も残すことなく死んでいく。

なぜ、そのような生き方になるのでしょうか。

それは熱く燃える心が、人生を形創る核となる一番重要な基本であることを知らないからです。

熱く燃えて、求めて求めて求め抜く姿勢こそが、未来の確たる自分を創る根本的な要素なのです。

にもかかわらず、ちょっと言われたくらいで簡単に引き下がる脆弱(ぜいじゃく)な精神性を何とも思っていない。

そこに違和感を全く感じない。

真の味方になる人と、可もなく不可もない人を見分けることができないのが、残念な人の大きな特徴です。

心にマスターを持ちましょう。

そのマスターたる人を見つけたら、何を言われようがその人から離れてはいけません。

出会いの本質的な意味が、ここにあるからです。

可もなく不可もない人たちと、どれだけ多くの出会いを重ねても、自らが望む真実の人生はそこにありません。

マスターとの出会い以外に、人生の道を開くことはあり得ないのです。

一流たるの所以(ゆえん)は、そうした出会いを絆に変えて、さらに持続する決意に変えていくところにあります。

熱く持続する決意は自覚に変わり、その自覚が使命に変わったとき、人はかつて望んだ道を歩いていることに気付きます。

熱く求める姿勢を、いつも持っていること。

心しておかなければならない「一流の所以」が、ここにあります。

未来を切り拓く仕事

もう一つ!


今テレビをつければ不安なことばかり。

だからもうテレビをつけない。

こういう反応をする人たちが増えているようです。

しかし面白いもので 世の中の景気が暴走しているときには、この根拠なき過熱経済は危ないと警鐘を鳴らしても、人々は心配し過ぎだといってそうした情報に耳を貸すことはありません。

景気が悪くなったらなったで、そんな暗くなる情報は聞きたくも見たくもないという。

景気がまだ落ち込む前に、景気は悪化するから準備をと言えば、そんな情報は聞きたくも見たくもないという。

結局、そういうことなのです。

景気がよくなろうが悪くなろうが、そうした情報を聞かない人は聞かないし、聞く人は聞くということです。

今の自分の状態を、世の中の状況のせいにしてはなりません。

現に、どれだけ世の中の状況が悪くても、豊かな人はずっと豊かです。

逆に、どれだけ世の中の状況が良くても、経済的に厳しい人はずっと厳しいのです。

現状を変えていく力のベースは「情報」です。

情報の基本は、今の自分の現実と世の中の流れを冷静に見ることです。

チャンスの芽は、皆が不安に感じている心理の中に潜んでいます。

皆が縮こまっているときにこそ、打って出ましょう。

今という現実の生活を支える仕事を必死でこなしながら、もう一つ未来を切り拓く仕事を決意した人だけが頭ひとつ抜け出すのだ、ということを忘れないでください。

苦しいときほど、

不安なときほど、

「もう一つ!」

という積極の精神を持つことが大切です。

不安な時代だからこそ勝負を。

いつの世も、時代は過去からの結果と未来への種を同時にはらんでいることを忘れてはなりません。

運を味方に

自分に少しでも根本的な躊躇があると、事の始まりが創れない!

ここが大事な観点です。

始まりが創れなければ、文字通り新しい未来の可能性はありません。

全ての転機は、始まりが創れるかどうかにかかっています。

始まりとは未知数を言うのであり、成るか成らないかの確率は「フィフティ・フィフティ」です。

そこに戸惑いや迷いやためらいがあれば、たちまち百・ゼロで、可能性はゼロとなってしまいます。

人生を狂わす魔物は、躊躇のなかに住んでいます。

ということは、人生を進める大いなる力は、躊躇を越えたところにあるということです。

人生を進め、人生を変える大いなる力があります。

それは一体、何を指すのでしょうか。

それは、 「運」です。

人生を根底から変える力の正体は、運なのです。

躊躇する人に、運は寄り付きません。

ですから、ためらったときこそが、運と遭遇するチャンスのときと理解しましょう。

躊躇を一歩越えていく!

この勇気の一歩の積み重ねが偉大な足跡に変わるのだと、信じることができるかどうか。

こうしたとらえ方ができるかどうかで、未来が大きく違ってきます。

運を甘く見てはいけません。

時と空間を超えて、運を敵に回して勝利した人はいないからです。

躊躇は、運を敵に回す行為と理解しましょう。

それでは、運を味方に付けるにはどうしたらよいのか。

それは・・・

口説くのです!

運は、口説いて味方に付ける!

これが、運を味方にする唯一の方法です。

これ以上の理屈はありません。

感覚でとらえるのです。

あなたの取っている行動は、運を味方にする行動ですか?

熱い思いで、運を口説けていますか?

そうした視点で自らを眺めることが、原点に戻るための思いもよらない視点になることを忘れてはなりません。

最強の基本

危機を救うものは、基本です。

そして、その基本の中の基本こそが行動です。

停滞は危機に直結することを忘れてはなりません。

停滞を安定と勘違いしてはなりません。

停滞とは、物事がはかどらないで、たまり滞(とどこお)ることをいいます。

なぜ物事がはかどらず、たまり滞っているのかをシンプルに考えましょう。

答えは、

動いてない。

これだけです。

成功者の秘密は、動きに動くというシンプルにして最強の法則の繰り返しにありました。

停滞の原因は文字通りです。

動かないで、立ち止まっていることが原因なのです。

動かないからフィールドが変化しません。

いつも同じフィールドで、同じことを繰り返している。

「ボールが見つからないのは、ボールが無い所を探しているから。」

ボールがない所で、どれだけ熱意を込めてボールを探しても、ボールは見つかりません。

ボールがある所へこちらから動かなければ、ボールは見つからないのです。

動けば必ず次のフィールドがあります。

動けば必ずやる気になってきます。

動けば必ずテンションが上がります。

さあ、動きに動きましょう。

動きに動くこと。

これこそが、危機を救う最強の基本なのです。

戒め

最近つくづく思うことがあります。

それは、無精卵はかえらないということです。

無精卵たる本人が、いかんせん今の自分が無精卵であることに気付いていない!

これが救いようのない、いかんともし難いところです。

それがいつかは分かりませんが、人は変わらなければいけない期間に変わることができなければ、もうその後はかなりの高い確率で、変わることはできないということです。

変わるためには「エネルギー」が必要です。

そして、「旬」という「時」も必要です。

このエネルギーと旬という時は、いつまでも持続するものではありません。

それらを少し乱暴な言葉で言えば、賞味期限とも言えます。

賞味期限を過ぎれば、どれだけ努力しても変わることは相当難しくなります。

旬の時とは、自分がやる気の時です。

人間はニワトリではありませんから、初めから無精卵の人はいません。

みな全員が有精卵です。

しかし、カラを破って自ら本来の自分に孵化(ふか)しようとしなければ、それはやっぱり無精卵なのです。

カラを破るためには、自ら負荷をかけなくてはなりません。

その負荷を突き抜ければ、自分を変えることができます。

しかし、その負荷に負ければ、期待ハズレの無精卵で終わります。

無精卵という刻印が刻まれた魂が、何かの拍子に変わることは、残念ながらあまりありません。

人生を考えたとき、そこに重くのしかかるものは困難な状況です。

困難のない人生など、あり得ないからです。

そこで試され、鍛えられして、人は一枚また一枚と自分の古いカラを打ち破っていきます。

人間としての力量を少しずつ上げていくのです。

その力量の中心にあるものが、心です。

すなわち、心の標準装備を上げていくことが、人間としての力量を上げることになるのです。

心の標準装備とは、考え方であり、話す言葉であり、醸し出す空気です。

無精卵はかえらない!

自分への厳しい戒めとしたい言葉です。

勇気の一歩

良いことも、そうでないことも、過ぎ去ったことは全て過去です。

成功も失敗もさっと洗い流して、どうでもいい細かいことにいちいち引っ掛かからないで、きっぱりと前を向きましょう。

いかに前を向くかに、全てがあるからです。

ですから、自分が発する言葉も、その響きに前向きさがなければなりません。

マイナス発言は、厳に慎みましょう。

何故ならば、マイナス発言は自分自身を後退させるからです。

他人を羨むことも止めましょう。

他人を羨むという行為は、自分自身のこれまでの人生の否定につながるからです。

建物には土台があり、その土台が脆弱なものであれば、その建物は何かの拍子で簡単に壊れてしまいます。

人間も同じで、目には見えない心という土台が肝心です。

心という土台を、日々磐石に積み上げる!

ここに、意識を置くことが大切です。

そのために、この1ヶ月の勝負処を見極めて、勇気を持って勝負する気概を持ちましょう。

迷ったときは、難しい道を選ぶ!

こう自分に言い聞かすのです。

それは、楽な方に流されれば自分の未来が傷つくからです。

岐路に立ったときに、心すべき視点がここにあります。

目指す未来が傷ついた未来ならば、そのために過ごす1日1日は、日を追うごとに劣化した1日となってしまいます。

目指す未来が輝く未来ならば、そこへ続く道は決して楽な道ではありません。

勇気を持って、常に正々堂々と立ち向かう自分であることを意識する!

成功者は、いつの時代もひたむきな少数派です。

しかし、少数派といっても決して少ない人数ではありません。

何が言いたいのかと言えば、頑張っているのは、決して自分1人だけではないということです。

人知れず、営々と黙々と頑張っている人たちが沢山います。

そうした人たちの姿を目に焼き付けて、今日の課題に勇気の一歩を踏み出す!

その事実に、未来があることを忘れてはならないのです。

根拠なき自信

限界は自分自身が決めている!

決して、他人が決めているのではありません。

意味もなく、訳もなく、自分ができないと思ったからできないのであり、そこに神秘的な理由など存在しません。

やってみなければ分からないのに、そういうことは信じようとしません。

真の問題は、そうした精神性にあるのです。

できないという思いの根拠は精緻に組み立てられるのに、できるという思いは黙殺する!

始まりに根拠など必要ありません。

ですから、根拠なき自信でスタートしても何の問題もありません。

問題なのは、あれこれできない理由を付けて、何も始めようとしないことです。

ゼロにいくらかけ算しても、結果はゼロです。

無をいくら積み重ねても、無は無であり、そこから有が生まれることはありません。

始まりに「1」という数字を立てましょう。

ゼロではいけません。

意志の力で、無から有を生むのです。

まずやってみる!

動く!

行動こそが道を開くからです。

ウジウジしていても、何も変わりません。

自信なんてあったって無くたって、行動するそのときが来れば、そんなものは何の役にも立ちません。

自信があるとかないとかの不確かな気分に振り回されて、いつまでも何もやらなければ、自信など付く訳がありません。

何もやらないでいるから、限界がますます大きなものになっていくのです。

やると決めて、一歩を具体的に踏み出しましょう。

そこにこそ、歩むべき道が見えて来るからです。

前進のキーワード

決断とは迷わないこと!

勝負のときに迷っていたら、もうそれだけで、命取りになります。

いつの時代も、迷って成功した人は1人もいません。

悩んでもいいから、迷わない!

迷いが、決断につながることなどありません。

ですから、迷ったらゴーです。

迷ったときは、何らかの可能性があるから迷っていると解釈しましょう。

1%の可能性に99%の挑戦。

一番危ないのは、迷いを諦めに結び付けることです。

迷ったらゴーという発想は、諦めかけている想念(ネガティブマインド)に強制終了を促します。

勝負のときに、最もやってはいけないこと。

それは、諦めにつながるイメージを増幅させることです。

何故ならば、その想念がクセになるからです。

そして、その想念が、毎月毎月同じような諦めの堂々巡りをさせることになるのです。

道を開くためには、どこかで勝負しなければなりません。

勝負のそのときに、やるのかやらないのかといつまでも迷っているような幼稚な精神性は、いい加減に卒業しましょう。

決断とは迷わないこと!

ここに、心すべき前進のキーワードがあります。

二者択一

やる気と本気は違います。

やる気は気分であり、ただの気まぐれです。

本気は、状況がどうあれ、勝負の舞台から何があっても降りないという決意です。

物事をやり遂げる人とそうでない人との差は、一体どこにあるのでしょうか。

それは、一言で言えば「覚悟」です。

事を為さない人に、共通して見て取れること。

それは、覚悟が無いということ。

だから、夢があるとか言っても、覚悟という担保が無いから、結局その夢は夜見る夢にしかならないのです。

夢に期限を付ければ、具体的な目標になります。

そして、その目標に差し出すものを乗せたとき、夢の実現に向けて走り出す魂を得ることができるのです。

覚悟を持って事に当たる人に、限界はありません。

何故ならば、覚悟の人に恐れはないからです。

あなたは今、何を恐れているのですか?

その恐れに飲み込まれて、そこにあなたの未来はありますか?

人間、覚悟を核とした本気のモードに入ったとき、そこに越えられない試練は存在しません。

進むか!

それとも引くか!

人生のラインには、いつもこの二者択一があります。

お金について

お金の使い方が、人生を決めていきます。

お金の貯め方ではありません。

何故ならば、お金をトコトン使わずに、やりくり・節約・我慢で貯金をしても、それで成功した人はいないからです。

お金の使い方が、なぜ人生を決めるのかというと、お金をどう使うかで、お金の稼ぎ方が決まるからです。

さらに言えば、お金を使うべきところでパッと使えない人は、自分自身をコントロールできていない人です。

自分自身をコントロールできなければ、時間のコントロールも当然できません。

ですから、1日1日がだらしなく制御不能のまま流されていきます。

1日1日のメルトダウンです。

人生において最も重要なことは、自分という人間が制御できているかどうかということです。

発展の基盤にあるものは、制御機能の稼働です。

思いつきで、そのときそのときにやりたいことだけをやり、そしてちょっと行き詰まれば簡単に撤退する。

こうしたことをどれだけ繰り返しても、未来につながる経験にはなりません。

未来につながる経験とは、制御された行動のなかにしかないからです。

人生はお金を未来のための投資と捉えて使わない限り、開けて来ることはありません。

お金持ちになりたいのなら、お金を浪費したり、消費のレベルで捉えてはならないのです。

お金に、生産性を持たせましょう。

それは、再生産を意味します。

未来につながることには、お金を使う!

決して、お金に使われてはいけません。

お金の使い方が人生を決めるからです。

その視点は、お金の再生産にあることを忘れてはなりません。

時を知る

今だからできることがあります。

今しかできないこともあります。

そして、今やらなければならないことがあります。

この3つをきちんと理解するところに、目指す未来があることを知りましょう。

今だからできること。

それは、過去を積み上げてきた結果得た、自らの財産です。

強みと言ってよいかもしれません。

今しかできないこと。

それは、タイミングを意味します。

今というタイミングだから、恐れずに我が心のままに突き進むことを許された時間です。

今、やらなければならないこと。

それは、未来という結果につながる原因を創ることを意味します。

全ての土台は、この「今やらなければならないこと」を理解できているかどうかにあります。

結果が欲しければ、原因を創る以外に方法はありません。

原因を創るとは、今、何をチョイスするかということです。

それはどういう行動を、今、取るのかということです。

時を感じましょう!

時を知りましょう!

賢者と愚者の違い。

それは、時を知る能力にあります。

今は自分の人生において、如何なる時なのか。

この発想を抱くことができるかどうか。

ここが、未来の原因を創る行動となって、状況を根底から変化させていくことを忘れてはなりません。

予感

本当に思ったことは必ず実現します。

人が行き詰まるのは、この言葉の持つ意味を信じていないからです。

行き詰まりは、できなかったことの積み重ねで起きる現実です。

では、何故できなかったのか。

結局、本気ではなかったのです。

何としてもやり遂げると、決めていなかったのです。

人にできたことが、自分にできない訳がないと思うことを否定したのです。

思いの力を見くびる者に、道が切り開かれることなどありません。

いつもできないと思い、いつしかそう思うことすら面倒くさく感じて緊張感のない日々を送る!

いずれ眼は死に、そこから出る空気には一切のオーラが消え失せています。

オーラとは予感です。

ですから、予感を与える空気は、出会いを制していきます。

その逆に、予感を感じさせない空気に、人が寄り付くことはありません。

できるという前提で事に臨むことが、その人物の空気を創ります。

本当に思ったことは必ず実現する!

実現しなかったのは、本当に思っていなかったから!

こう素直に思えたとき、人生が静かに変わり始めることを受け入れましょう。

後悔を行動に・・

深い後悔の念から起こる反省が、脳を再活性させるという話を聞いたことがあります。

成功者と呼ばれる人は、意外に後悔ばかりしています。

それは、自分でも気が付かないうちに、閃きを即、行動に変えてしまうからです。

閃いたら、もう動いているのです。

ですから、その結果として当然失敗も多くなります。

成功者ですから、そんな失敗は織り込み済みと思われがちですが、そんなことはありません。

結構うまくいかなかったことに引っ掛かって、くよくよと後悔しているのです。

しかも、かなり真剣に後悔しています。

もう少しよく考えてから行動すればよかったとか、あのときああ言えばよかったとか、あれこれごちゃごちゃと考えて後悔しています。

しかし、それはうまくいかなかったことに引っ掛かっているだけで、魂がそこに囚われている訳ではありません。

それはどういうことかというと、その引っ掛かかりが次の閃きを呼び、その閃きが反省でコーティングされた行動になるということです。

本来、閃けば即動く魂ですから、そのときはもう新しい何かを始めています。

その行動には前回の反省がきっちりと生きていますから、同じ失敗を繰り返すことはありません。

ここで一つ、きちんと理解しておかなければいけないことがあります。

それは、失敗に引っ掛かかるということと、囚われるということは全く違うということです。

囚われるとは、そのことが自分の全ての発想と行動を縛って、今までの全てを否定して未来の可能性をも封印することです。

しかし、引っ掛かりとは、一時的に立ち止まっただけで、その失敗の本質を未来のために検証しているに過ぎません。

魂が深い後悔の念と共に、未来へと立ち向かうための力を溜め込んでいるのです。

その行為は、脳を物凄い速度で再活性しています。

ですから、深い後悔の念がもたらす反省は成功への入り口です。

引っ掛かることと囚われることの違いを、きちんと理解しましょう。

前に進むためには、その分量だけの失敗が必要です。

その失敗に囚われて、過去と未来を封印するか、それともその失敗を次の行動の力とするか。

その分岐点が、後悔というフィルターを通してあることを忘れてはなりません。

百の迷い

右に行くか、左に行くか。

実はどちらに行っても正解であり、どちらに行っても不正解です。

これは一体どういうことなのでしょう。

理由は簡単です。

右に行く道を選ぼうが、左に行く道を選ぼうが、その選択に迷いが無ければどちらを選んでも正解です。

しかし、迷いに迷って選んだ道は、どちらを選択しても不正解です。

何故ならば、迷ったということは、どちらがマシかというレベルで選択したものであり、このどちらがマシかという発想に魂は宿らないからです。

魂の宿らない選択は、何をどのようにチョイスしようとも全てが間違いであると心得ましょう。

人生は、何をやるかではありません。

やりたい何かと、いかに巡り合うかです。

やりたい何かは、迷いのなかにはありません。

魂のときめきは、迷いのなかにはないからです。

シンプルに感じましょう。

成功者はあれこれやっているように見えますが、実はやっていることは一つです。

魂が喜ぶことをやっているのです。

考え方の原則はこれだけです。

魂が喜びときめけば、そこに迷いが生じることはありません。

それでも仮に誰かに相談したとしても、その人は迷わない人です。

迷わない人は、迷わない人に相談します。

その逆に、迷う人は、迷う人に相談します。

そして、ますます迷いに迷うことになるのです。

何があってもぶれない、自分自身のシンプルな原則を持ちましょう。

一つのシンプルな原則は、一つのシンプルな発想を生み、その発想が百の迷いを振り払うからです。


始まりは出会いから

不安なのは、自分がやればいいという決意が揺らいでいるからです。

死ぬまで戦う!

この決意ができているかどうか。

なまじ休もうとか、疲れたとか、そんなことを考えているから不安に襲われるのです。

人を頼りにすれば、その瞬間から自分という人間の軸がぶれていきます。

軸がぶれてくれば、見るもの聞くもの全てが不確かなものとなって、自分を有らぬ方向へと導くことになります。

そうなれば、まず出会いを間違えることになります。

物語の始まりは出会いからです。

その出会いを間違えれば、それは初めから進もうとする方向を間違えたことになります。

ミリ単位の誤差が、後日、想像を絶する誤軌道となって自らの人生を狂わせていきます。

そこに至っての軌道修正は、はっきり言って不可能に近いと言えます。

ですから、今の状況を変えようともがくより、その状況をつくった考え方に迫り、そこから新たな気持ちでゼロからやり直そうとする方が早いのです。

状況は状況として認めながら、そこに良いとか悪いとかの気持ちを入れない!

その状況は認めるが、あとは無視!

そして、これからやり直すと決意するのです。

新たな決意をする!

人に頼らず、人のせいにせず、自分がやりきると強く心にその思いを刻むのです。

思うにまかせない状況が現れたのは、全て自分の考え方が原因です。

ですから、考え方を根本的に変更しなければ、状況の転換はありません。

考え方のベースは決意にあります。

自分がやる!

全てやりきる!

何があってもやりきる!

全ての転換点が、ここにあります。

心の制御

やるべきことが一つになったとき、自分というチームが一つにまとまります。

やるべきことが分散していれば、心があちこちにふわふわと浮気して、いま為すべきことに集中できません。

いま為すべきことを、はっきりと見極めましょう。

そして、その一つのことだけを考えて、自分の心を一つにまとめるのです。

心を甘く見てはいけません。

すべては、こいつが何を見ているかで決まるからです。

やろうとする心と、諦めようとする心。

油断すれば、心はいつも安易に、浅きへ低きへと流されていきます。

浅きを去って深きに就く!

低きを去って、高きに就く!

これを志といいます。

志を忘れて、充実した人生を歩むことはできません。

人生とは1日1日です。

ですから、1日1日を制覇できれば、人生を制覇できます。

勝負は1日1日にあります。

この1日を制覇するためには、最大の魔物と戦わなくてはなりません。

最大の魔物。

それが、我が心なのです。

心を制御する!

心をコントロールする!

「己に打ち克てば、天下はその徳に従う」

二宮尊徳は、こう語り残しました。

いつの時代も、鍵は自分自身に打ち克つことにあります。

それでは、自分自身に打ち克つとは一体どういうことを言うのでしょうか。

それは、心を制御する意識の確立にあります。

足るを知って、心の贅肉を削ぎ落とすことです。

易きに流されず、困難に挑むことです。

一点突破、全面展開!

やるべきことを一つに絞り、心を一点に向かわせるのです。

奇跡はいつも、心を制御した意識が起こす必然と理解しましょう。

無精卵

無精卵は返りません。

同じ命としてこの世に生まれて、かたや無精卵となり、かたや有精卵となる。

鶏の卵なら、それで済むことです。

しかし、それが人間となると、何とも残念な気持ちになります。

珠のような赤ちゃんとして、ピカピカ輝きながらこの世に生を受けて、月日とともに絶対に返らない無精卵になる人がいます。

その原因は様々でしょうが、一つ言えるのは、緊張感を持って生きていないということです。

何となくボンヤリと生きている。

面倒くさいという気持ちに、簡単に流される。

要するに、仮にそれが自分が乗り越えるべき大切な課題であっても、それを嫌だと思ったら簡単に先延ばしにして平気なのです。

これを、先延ばしの心理といいます。

そして、先に延ばしたそのことを見事に忘れてしまう。

やがて逃れられない形で、先延ばしにしたそのことが自分に返ってきても、あたかもそのことに初めて遭遇する不運であるかのように慌てふためくのです。

そのことは、決して初めてではなく、自分がシカトしたことなのに。

かくして、無精卵はその完成度を上げていきます。

無精卵は、いつも同じ失敗を繰り返します。

そして、いつも同じところで引っ掛かって落ち込みます。

彼らは、目に見えるものしか理解できません。

ですから、決意することの意味などどこ吹く風です。

いつもうそぶきながら、あっちにフラフラ、こっちにフラフラして、自分のことを本当に心配してくれている人の気持ちを裏切っていきます。

しかし、彼らは生きるための最低限のことはやります。

人から命令されてやる仕事は、そこそここなせるからです。

しかし、人生を人生として生きるためには、これだけでは何ともなりません。

人生は自分で決めて自分で行動しなければ、思うような生き方はできないからです。

無精卵は返りません。

人生は、誰とつながっているかです。

係わる人を間違えれば、そこにどれだけ努力を払っても、その努力が報われることはないのです。

前提の罠

今の悩みよりも、より大きな悩みが出たら、今の悩みは消えます。

ということは、今のその悩みは、絶対的な悩みではないということになります。

悩みに絶対はありません。

その時その時の、相対的なものが悩みだからです。

ですから、悩みを解決しようとしても、深みにハマるだけで無駄です。

悩みは解決出来ません。

悩みに理屈はないからです。

悩みに理屈がないのなら、悩みを解決しようと理屈をこねくり回しても何ともなりません。

理屈で解決出来ないことには、問答無用の発想で対処するのです。

それは、前提の罠にはまらないことから始まります。

悩みを何とか解決しようという発想は、はじめから悩みという存在を前提として認めています。

悩みを前提として認めたから、解決出来ないことをさらに拡大解釈して、自ら意味のない迷路へと入りこんでしまったのです。

それでは、悩みにはどう対処するのか。

それは・・

悩まないと決める!

この発想を是とすることです。

いちいち悩まない!

細かく振り回されない!

こう、問答無用で割り切ることです。

真の力を生む土壌は、敏感さではありません。

鈍感さです。

健全な鈍感力を培いましょう。

健全な鈍感力は、集中する自分を意識できたときから身に付き始めます。

ポイントは、集中力!

強い集中力を身に付けましょう。

恐怖や悩みの処方せんは、事に集中すること以外にはあり得えないのです。

残されたプレー時間

よいサッカー選手には、獲物を狙う眼がある!

常に点を取りにいくための、戦闘体勢が取れています。

まず、顔がしまっている!

そして、自分が為すべきこと以外には全く興味がありません。

人は自分の仕事以外のことで心がぶれたとき、みるみるオーラを失っていきます。

人間、全てに精通することなどできません。

ですから、どこかの時点で、自らの道を決めなければならないのです。

決めたなら、それ以外のことに興味を抱いてはなりません。

心定まらずが、一番愚かなことだからです。

心を定めて、まっしぐらに我が人生のゴールに向かいましょう。

シュートを打って打って打ちまくるのです。

細かくパスを回しても、それがシュートに結びつかなければ点は取れません。

違う言い方をすれば、シュートを考えていないパスは意味がないということです。

これが人生のサッカーです。

恐れずシュートを打ちましょう。

ためらわずに、狙うのです。

失敗を恐れてはなりません。

どのみち私たちのプレー時間は、あと数十年です。

僅かなロスタイムに目覚めても、それでは時間が短すぎて何ともなりません。

余事や些事に囚われず、ゴールを決めにいく!

さあ、出発です。


誰も見ていなくても

努力は難事を貫徹する!

力のみなぎった言葉です。

1日1日の日々の努力を見くびってはなりません。

「塵も積もれば山」という格言がありますが、実に真実を言い当てています。

天才も、繰り返されることには負けます。

詰まるところ、人生とは何を続けてきたか。

これだけです。

ですから、ちょっとやってはやめ、ちょっとやってはやめでは、何も残りません。

結果もさることながら、まずその前に、やると決めたことをやり続けているか。

ここが問われるのです。

何故ならば、やると決めたことをやり続けるには、意志を発動させなければならないからです。

意志の発動!

ここが、自分を守り構築する最後の牙城(がじょう)となります。

努力とは、意志を発動させて、日々を価値ある人生に向けて構築する行為です。

ひたむきな努力を続けましょう。

誰が見ていなくても、宇宙はあなたを見ています。

そして、ひたむきな努力は決してあなたを裏切ることはありません。

それどころか、努力は難事を貫徹します。

努力とは、継続の異名です。

そして継続は、不可能を可能にします。

ですから、継続こそが真の力なのです。

継続という言葉のなかに潜む真実を理解できたとき、今の一歩を進めることの凄さを感じることができます。

その実感こそが前に進む魂の動機となって、我が人生を構築していくことになるのです。

違和感

地球征服を狙って、幼稚園バスを襲う。

仮面ライダーのショッカーのようなことをするのは止めましょう。

言ってることとやってることが食い違っていれば、ゴールにたどり着くことなど出来ません。

世界を夢見て、町内会を気にする。

こうした類いに入ってはなりません。

楽なことをやろうとする癖が、結局は気持ちを遊ばせて、いつまでたっても弱い自分しかそこにいないという現実を作りあげてしまうのです。

課題を避けて通れば、待っているものは惨めな生活です。

持続する意志。

ここに扉を開く鍵があります。

違和感こそが気付きです。

今までと同じようなことをしていては、何も変わりません。

成長はいつも、違和感の中にあるのです。

強敵にぶつかっていきましょう。

少しくらい傷付いても、気にしないことです。

人間は死ぬ時が来るまでは、少しくらい傷付いても死なないからです。

よりよい生き方がしたいのなら、傷付くことを恐れてはいけません。

どんなに新品の靴でも、履けば必ず傷付くのです。

いちいち細かいことに神経を使っていると、大事なことに集中できなくなってしまいます。

その結果、ショッカーのような的外れなことをして、世界を狙って町内会を気にするという生き方から脱出することが出来ないのです。

違和感があなたの成長を引きずり出すということを夢忘れてはなりません。

時代意識

今回の大災害は、私たちに一体何を示唆したのでしょうか。

それは、今まで安易に続けられてきた全ての物事についての、基本的な反省を強いているのだと思います。

時代は大きく変わりました。

消費行動一つをとっても、今まではとにかく安ければいいという「利己的な消費」でしたが、震災以降は、例えば自分が消費するものがエコや節電に役立つのなら、仮に価格は少しくらい高くても我慢するといった「利他的な消費」になってきています。

人々の意識が、時代に動かされているのです。

何かを売ろうとか、伝えようとするときには、絶対に外してはならないことがあります。

それは、自分が売ろうとか伝えようとすることが、相手のニーズを満たしているかということです。

さらに言えば、相手のなかにニーズを創れるかということです。

それではそうしたニーズとは、一体何を指すのでしょう。

それこそが、まさに時代意識なのです。

今回の大震災は、人々の意識に明確なラインを引きました。

それはあたかも人類とサルを分けたとされる、あのアフリカ大陸に走る大地溝帯と同じです。

地殻の変動で起きた突然の大陥没は、今まで同じだった環境をその両サイドにおいて決定的に分断して、全く違う環境に変えてしまいました。

人類へと進化することになるサルは、今まで豊かに繁っていた密林地帯からいきなり草原地帯へと放り出されて、木の上にいれば獣に狙われることもなく安全だった日々が、ある日あるときを境にいきなり命の危険にさらされる環境へと放り出されたのです。

そうなると密林での経験は、全く役に立ちません。

襲いかかる危険を避けるためには、獣をいち早く発見しなければなりません。

そのためには二足歩行が、待ったなしで求められました。

四足歩行を捨て、二本の足で立って歩く!

サルが人間へと進化をスタートさせた瞬間が、ここにありました。

歴史的な瞬間です。

私たちが受けた今回のこの大震災も、まさに同じです。

時代意識が、地殻変動を起こしたのです。

過去の成功体験は、もはや役に立ちません。

そして、過去の失敗体験も役に立ちません。

走り出した者勝ちの時代に入っているからです。

まず自らのなかに、行動するためのニーズを創りましょう。

今がんばることが、後日の幾百倍の価値のあることを忘れてはなりません。

受難の時

夢を追いかけることの難しさ。

そして、自分という人間を支え続けてくれている人のありがたさ。

この二つが分かって初めて、本当の人生が再スタートします。

プロの魂は、難しさを知り、だからこそ、その難しさに挑戦する気概と、自分を支え続けてくれる人への感謝の念で出来ています。

挑戦と感謝。

そこに、日々繰り返される不動の日課が生まれます。

日々繰り返されることのなかにしか、未来を切り開く力は育ちません。

毎日毎日、弱い自分と戦い続ける!

そして、その継続のなかに「粘る力」を育んでいくのです。

状況を転換する力は、粘る力です。

土俵際で、俵に爪先一つでギリギリ残って、相手の寄りに耐えながら瞬間の逆転を狙う。

そんな感覚を、ここ一番のときに抱いていられるかが、次の展望を開く鍵になるからです。

夢を追い続けるとは、まさにこうした感覚です。

しかし、楽しい楽しいで取り組むことが、夢を追いかけることだと勘違いしている人が大勢います。

単純な楽しさの連続は、やがて自分に苦をもたらすことになります。

何故ならば、挑戦とは進化することであり、進化とは今までの成功体験を否定することだからです。

真の楽しさを支えるものは、夜明け前の苦しみです。

産みの苦しみとも言えます。

例えば、出産のその瞬間は「母受難の時」です。

しかし、その苦しみを経て産んだ子供であるからこそ、母は何物にも代えがたい歓喜の時を迎えることが出来るのです。

挑戦とは、新しい自分を産む受難の時と捉えましょう。

栄光を支える橋桁は、敢えて選んで立ち向かった挑戦という名の受難の時にあるのです。

そして、その時にはっきりと見えてくるものがあります。

それこそが自分を支えてくれている人であり、そのことが理解できた時、挑戦することの真実の意味を知るのです。

挑戦することの意味。

それは、感謝の念です。

ここが真に理解出来て、簡単にはへこたれない粘る力が湧いてくることを決して忘れてはなりません。

銭失い

「安物買いの銭失い!」という言葉があります。

これは、歳を取るごとに痛切に感じる真実です。

安いものには、理由がある!

ここを理解できなければ、あとで必ず後悔することになります。

簡単にやれることばかりを続けていても、そこには真実の建設的な価値はありません。

今の自分が簡単にできることは、安物を買うことと同じだからです。

価値あるものは、それを手に入れるために、自分自身を再構築していかなければなりません。

価値あるものは、いつの世も安くはありません。

何故ならば、それだけの価値があるからです。

人間関係にも、そうしたことは当てはまります。

人の真贋(しんがん)を見抜きましょう。

贋作(がんさく)はどこまでいっても贋作であり、偽物はいつまで経っても偽物です。

偽物が時と共に、何かの拍子で本物に変わることなど絶対にありません。

これから時代は、いよいよ曖昧な態度を取る者を許さなくなります。

峻厳たる態度を持って、時代は偽物と本物を振り分けていくからです。

いい加減な考えや、やる気のない者は、有無を言わせず振り分けられていく時代に入ったのです。

人を見抜きましょう。

その際、もう一つ分かっておかなくてはならないことがあります。

それは、自分もまた時代に見抜かれるのだということです。

ですから、決して安物の生き方をしてはなりません。

本物の生き方を標榜して、今日という1日のテーマを成し遂げる!

安物をどれだけ買っても、買えば買うほど大切なものを失うという真実を理解しなくてはならない時代なのです。


精神のシステム

人生は単純に、シンプルにできています。

ですから、単純にシンプルに考えて、そのまま立ち向かえばいいのです。

恐れるという感覚は、それ自体が複雑に考えている最たるものです。

街を歩いていて、角を曲がっていきなり虎と出くわしたとかでもない限り、恐れという感情を引き出すものは複雑に考えたことにあります。

要するに、いちいち考え過ぎなのです。

人は自分が考えているほど、複雑に細かく自分のことを考えてはいません。

ですから、伝えたいことがあれば、さりげなくシンプルに言ってしまえばいいのです。

「虚心坦懐(きょしんたんかい)」という言葉があります。

広辞苑を引くと、その意味がこう記されています。

虚心坦懐とは、心に何のわだかまりもなく、さっぱりして平らな心。

また、そうした心で物事に臨むさま。

この、「心に何のわだかまりもなく」というところが、とても大切であり難しいところだと思います。

どのようにすれば、そうした境地になれるのでしょうか。

それは恐らく、何を見ているかにあります。

心の眼が、何を見ているのかです。

さらに言えば、「何だけを」です。

古来、事を成し遂げた人たちは、一点だけを見て、その事のためだけに取る行動を選択しました。

要するに、見つめた一点以外の事にはピントを合わせていませんでした。

目指す一点以外は、適当にぼやけていたのです。

かくして、必然的に虚心坦懐という精神のシステムが立ち上がり、結果直結のシンプルな行動が取れたのです。

私たちも今日からは、目指す一点だけを見つめて、いちいち複雑に考えないで、シンプルな行動を続けていきましょう。

虚心坦懐!

精神のシステムを、今こそ立ち上げるのです。

新しいルート

未来とは、今をどうするのかということです。

今どう行動するかが、そのまま未来に直結するからです。

そのために、結果を決めましょう。

結果を決めて、原因を創るのです。

結果を決めるとは、構想を描くことを意味します。

例えば、原発問題もそうです。

自然エネルギーを2020年代に20%にするとか言っても、そんな考えはまるで役に立ちません。

それは構想でも何でもなく、ただの部分的な思いつきだからです。

原因から突き詰めて結果に至ろうとしても、それはしょせん無理な話なのです。

結果を決めていない原因は、ただの思いつきで終わるからです。

真に自然エネルギーを開発するには、原発を全て止めると決めることです。

全て止めると決めるれば、必然的に止めたその分の代替エネルギーをどうするのかを考えざるを得なくなります。

即ち、何が構想だったのかと言えば、未来に生きる子供たちのために原発を止めると決めることだったのです。

決めれば、新しい道が見えてきます。

何をやるのかより、何をやめるのかを決めた方が、新しいルートが容易に見つかります。

駄目なことは、どれだけ継続しても駄目な結果しかもたらしません。

やめる勇気を持ちましょう。

駄目な何かをやめて、一直線に望む目標に立ち向かうのです。

その吹っ切れた姿勢に、今まで見えなかった重要な何かが見えてくることを忘れてはなりません。


失う勇気

人生が行き詰まったのではありません。

思いが行き詰まったのです。

思いが行き詰まりを感じているから、道が見えて来ないのです。

人生に行き詰まりなどあり得ません。

それどころか、人生はいつでも扉を開けて待っていてくれます。

それにもかかわらず、その扉の奥に入ろうとしないのは、他ならぬ自分自身です。

それは一体なぜ?

何かを恐れているのです。

それは、何かを失うことや誰かから否定されることです。

そうしたことをリアルにイメージして、気持ちから力が抜けて、少しずつ思いが行き詰まっていったのです。

何かを得たければ、何かを失う覚悟を持たなければなりません。

誰かから認めて欲しければ、全員から認めてもらおうという気持ちを捨てなければなりません。

何かを得るためには、捨てる勇気が必要だからです。

何でもかんでも得ようとすれば、そこには必然的に閉塞感が訪れます。

その閉塞感は、進もうとすること以外には払拭することはできません。

進む!

この気概に道が開けてきます。

進むとは、失う勇気を持つことです。

こう理解できたとき、突然視界が開けてきます。

混迷のなかに、展望が開けてくるのです。

その展望には力が宿ります。

それは、諦めない力です。

そして、その力が、思いの行き詰まりを打開するのです。

人生に行き詰まりなどありません。

思いが行き詰まったのです。

この視点に、状況を好転させる鍵があることを忘れてはなりません。


fight out

要らない迷い!

それは、ヘタに明日を考えることです。

正解も不正解もない今というこのときに、自分が持っている全てを投入する!

人生に、ゴールはありません。

ですから、正解も不正解もないのです。

大切なことは、今日という1日に全力で集中すること。

人生を本気で変えようと思うなら、いちいち局部的な敗北にめげていては、作戦を進めることはできません。

一にも二にも心すべきこと。

それは、作戦を前に進めることです。

何があっても、決して止まってはいけません。

起きている状況に振り回されてはならないのです。

もうやるしかない。

人生を本気で変えたいのなら、これくらいの気構えが必要です。

明日を悩まず、今日を戦い抜く!

この姿勢に、目標実現の原因が宿るのです。

求められる人材

どこかに保証を求める生き方に、行き詰まりを作る本質的な原因が潜んでいます。

人生は、その人がどのような価値観を持って生きたかで決まるからです。

価値観は二つです。

一つは、所属価値。

そして、もう一つは存在価値。

どこかに所属することで、あとは何も考えずにその組織の保証という恩恵に預かって生きていく。

思考停止と引き換えに安定した人生を送るという生き方は、最早通用しません。

一人一人が自らの意思で情報を取り、そしてどう動くのかを決定していく時代だからです。

自らの頭で考えることを放棄すれば、そこに待っているものは過酷な現実です。

自らの意思で積極的に行動することを放棄すれば、そこに待っているものは、孤独ではなく孤立です。

そういう人を、まとな人は相手にしません。

まともな人。

まともな人とは、どういう人なのでしょう。

その答えは、まともでない人を考えればすぐに分かります。

まともでない人の大きな特徴は、とにかく自分に弱いということです。

自分に勝ちきれない!

ですから、組織や人から脅されないと腰を上げません。

それ以外のこと、即ち自分で考えて自分でやることを面倒くさく感じます。

その結果、人望を失う決定的なことをしでかすことになります。

それは、約束を簡単に破るということです。

やがてそれは、ドタキャンという形で表れます。

あれだけ約束していたのに、土壇場でキャンセルして何とも思わない。

そのうち、そうした精神性が、他ならない自分自身をも裏切っていくことになるのです。

かくして、まともな人から相手にされなくなって、孤独をはるかに突き抜けた孤立に至ります。

所属することを、いつの間にか絶対の価値として生きることの危うさがここにあります。

まともな人の価値観は、存在価値です。

その考え方は、どういう会社に所属するかではなく、どういう生き方を選択するのかという価値観に立脚します。

突き詰めていけば、人生はどのような生き方をしたのかしか残りません。

どこかに保証を求める生き方ではなく、自らの存在を証明していく生き方。

今、そうした人が求められていることを忘れてはなりません。

なんのために

自分という人間が何たるかを自覚する!

真実の再出発は、ここからしか始まりません。

自分自身の存在理由を考えずして、自分らしい人生を歩むことはできないからです。

成功者の取る行動は、いつも目的意識に貫かれています。

何のため?

今、それをするのは何のため?

その発想は、いつも行動と目的がリンクしています。

この一貫性が、ぶれない行動とメンタリティーを支えます。

事に処して、根拠のない弱気や臆病風に吹かれるのは一体何故でしょう。

それは、何のためという目的意識を忘れたからです。

ただやみくもに動いても、そこに意識が走っていなければ、それはただの暴走に過ぎません。

やがて自分が疲れてきます。

そして、不安にかられて自信がなくなっていきます。

ピンチに人を支えるものは、紛れもなく意識です。

その意識は、何のためという目的観でできています。

この意識が走っていない行動が、望む結果を引き寄せることはありません。

ですから、何のためという問いを、自分に発し続けることが大切なのです。

この意識に貫かれた行動は、自分という人間の存在価値へとつながっていきます。

少し大袈裟な言い方をすれば、天命というやつです。

人生には必ずエンドがきます。

ですから、大なり小なり何歳まで生きたのかという物差しは、さほどの意味を持ちません。

生まれてからエンドを迎えるまで、どのように生きたのかだけが問われるのです。

長さではありません。

人真似ではない、自分自身の人生をどう生きるのか。

この発想のなかに、自分という人間の旗色が決定されていきます。

旗色が決まれば、そこには何のためという目的意識が走ったぶれない行動が生まれます。

そこに成功への臨界が起こることを理解できたとき、真実の再出発が始まることを忘れてはなりません。

逆風の意味、失敗の本質

逆風が吹かないときは、何もやっていないときです。

何もやっていないから逆風など吹かないし、吹くわけもありません。

そして、何の結果も出ません。

逆風と結果は、表裏の関係だからです。

逆風を避ければ無事安穏ですが、そこにチャンスはありません。

何がチャンスの兆候かと言えば、やって駄目だったときです。

そこには、何人(なんぴと)も入り込めない経験があるからです。

経験こそが宝と知りましょう。

やって駄目だったという経験は、自分の心の奥深くで、不屈の精神を作り上げていきます。

ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

それは、成功を構成する要素は、一定の失敗した分量であるということです。

うまくいかない出来事は、結果的に気持ちを鍛えます。

いちいち驚かなくなります。

びくびくしなくなるのです。

失敗の連続のなかで、それでも狙って前に進むことの凄さを、知らず知らずのうちに学ぶ機会となります。

状況は後ろ向きでも、気持ちは前を向いている自分を創ることが、失敗という経験の本質であることが理解できるようになるのです。

それを、健全な鈍感さといいます。

そうした鈍感力を持てれば、鬼に金棒です。

何故ならば、失敗ですら楽しめる境地になれるからです。

失敗を想定内のプロセスとして楽しめれば、そこには最早壁など存在しません。

壁など、はじめから存在しない境地。

そこに至るために、逆風は必要なのです。

何もしなければ、逆風は吹きません。

ですから、逆風をどう理解できるかが、成功のボーダーラインとなるのです。


ぶれない自分

人が近寄って来ないのは、その人に気をかけてこなかったからです。

こちらから何もアプローチをかけないで、相手からこちらに何かを求めてくることなどありません。

コミュニケーションにおいて大切なことは、その人に対してどのようなアプローチをかけ続けたのかということです。

仕事の肝がここにあり、情報を伝達することの難しさもまたここにあります。

アプローチには「壁」があります。

要は、そのアプローチの壁をどう乗り越えていくかです。

そのポイントは、相手に興味を持つところから始まります。

もし自分が相手に興味を持てなければ、アプローチの壁どころか、その遥か以前でその人との関係は終わります。

全ての可能性は、誰と関わり、つながっていくかにあります。

一時的に誰かから影響を受けても、その影響が人生を変える決定打とはなりません。

結局、誰とつながっているか。

ここに帰着します。

素敵な人とつながりたいのなら、まず自分が素敵な人になろうとすることです。

その第一歩は、ぶれない自分を持つことにあります。

そのためには自分という人間が、今まで何にぶれてきたのかを知ることです。

何が、今までの自分に足りなかったのか。

こうした姿勢を持って自分に迫ることが、真のアプローチの始まりであると理解しましょう。

アプローチの壁は、何かあるとすぐにぶれる自分自身のあり方にあったのです。

自分を超えていくポイントが、ここにあります。

戦闘体制

毎日のちょっとした小さなことの積み重ねが、いざというときの勝敗のラインを分ける分岐点になります。

それは、ほんのちょっとの微差の世界です。

しかし、多くの人は、そのほんのちょっとを笑います。

毎日のそうした微細な差をどう組み立てていったのかが、他者との大きな差になるということを理解できないのです。

ほんの少しの労力を惜しまない!

この発想のなかに、次の飛躍の燃料となる何かが蓄積されていきます。

「そんなことやっても大したことはない」と皆が思うことのなかに、次代の宝が隠れているのです。

実際、プロと呼ばれる人たちが、その専門領域で追及していることは微差の世界です。

彼らは、コンマ1ミリのこだわりを積み上げて、自らのイメージという仮説を実現していこうとします。

ですから、プロと呼ばれる人たちは、いつもそのことと係わる微細な何かを気にしています。

気にしているということは、それに出会えば即座に反応できるということです。

自分が今まで積み上げてきた何かを、さらにバージョンアップできるかもしれない微細な何かとの出会いに、直感的に反応できるのです。

それは、いついかなるときもです。

要するに、結果を出す人は、24時間戦闘体制だということです。

毎日毎日、瞬間瞬間の小さな一つ一つのことを、丁寧にやり遂げましょう。

気持ちも技術も知識も人間関係も、それら全ての飛躍の燃料となるものが、日々の微細な何かのなかにあるからです。

道を開く力

迷ったら上を見ましょう。

下を見てはいけません。

気にしていることのレベルが低いと、どんどん自分からオーラが消えていきます。

オーラは正直です。

何故ならば、オーラは気にしているレベルに正比例するからです。

思いが現実を創ります。

貧乏なのは、思いが貧乏だからです。

思いはやがて意識に変わります。

意識はさらに強力に環境を創ります。

環境とは、紛れもなく意識の投影だからです。

ですから、環境を変えたければ、意識を変えようとする方が早いのです。

しかし、目に見えず曖昧模糊(あいまいもこ)とした意識に、注意を払う人は多くはありません。

その結果、手っ取り早いことばかりをやろうとして、何かをやるそばから何かが崩れていくという人生を歩むことになります。

人生の核をなすもの、それは意識です。

望むものに、まっすぐに意識を向けましょう。

意識のエネルギーを一点に集めて、ただひたすら淡々とその光を望むターゲットに当て続けるのです。

そのときに心すべきこと。

それが、上を向くことです。

やると決めて歩き出したら、下を向かない!

心配しないということです。

悪いことばかりを考えないということです。

上を見て、意識のエネルギーを信じましょう。

下を見て細かく心配して生きても、そこに道を開く力は存在しないからです。

言い訳

常識とは、何もやらない人の言い訳です。

何故ならば、飛躍とはそれまでの常識を否定することであり、勝負するそのときに可もなく不可もなくといった普通の発想をしているようでは、とてもチャンスを手にすることなど出来ないからです。

崩れていく人の特徴は、勝負しなければならないときに普通に守ってばかりいて、全く打って出ようとしないことです。

それは、何としてもやり遂げようとする気持ちがないということです。

ですから、またその次も同じことを繰り返します。

いつもいつもやるべきことを先延ばしにして、意味不明の常識にしがみつく。

だから、いつまで経っても学べていないのです。

攻めなければいけないときに前に進もうという気持ちを持たずして、何のために今まで頑張ってきたのかなど、学べない人には全く感じることが出来ません。

ですから、当然やると言っていたことが出来ません。

そして、出来ない理由を常識でコーティングして、自分を正当化するのです。

要するに、自分で自分を望まない方向に騙すのです。

ですから、常識とは何もやらない人の言い訳なのです。

人間が成功するためには、過去の常識を打ち破らなければなりません。

成功とは創造であり、創造とは過去の常識の否定だからです。

過去の常識に囚われず、一歩前に出る勇気を持ちましょう。

迷ったら行くのです。

後退する者に、未来はありません。

その一歩が踏み出せるかどうか。

決断の意味が、今、ここにあります。

方程式

始まりの日に大切なこと。

それは、気合いの行動です。

気合いのこもった具体的な行動を取る!

その具体的な行動こそが、このひと月を決めるコミットメントになるからです。

コミットメントを甘く見てはいけません。

決意出来ない者に、明日はないからです。

気を吐くことが、テーマとなる1日があります。

気は目には見えませんが、気を吐くことが出来ずして、そこに未来を展望するビジョンは生まれません。

始まりは、気を吐くことから!

ここが理解出来なければ、人を引っ張ることは不可能です。

何故ならば、人は確信に付いてくるからです。

始まりの1日に確信を創れるかどうかは、その1ヶ月の生命線と言えます。

役者が役づくりをするように、リーダーたらんとする者は、リーダーとしての心構えを常に創らなければなりません。

その心構えを即、具体的な行動に移して決意に変え、その決意の集積を確信とするのです。

始まりの1日は、好スタートを切りましょう。

そこにこの1ヶ月の成否がかかっているのです。

そのためには、まず行動です。

気合いの行動を取る!

勝利の方程式が、その行動によって出来上がることを忘れてはなりません。


奇跡を引き寄せる思い

決断とは迷わないこと!

どれだけ迷い抜いても、迷いのなかに進むべき道はありません。

ですから、どこかで決断しなくてはならないのです。

進むか退くか。

二者択一の選択です。

中間はありません。

状況打開の鍵は、吹っ切れた行動にあります。

ですからその迷いが、一体何と天秤にかかっているのかを考えなければ、前に進むことはできません。

我が心にブレーキをかけているものの正体を、慧眼(けいがん)を持って見破りましょう。

恐れているものに、今こそ近づくのです。

その正体が見えてしまえば、案外それはたいしたものではありません。

あとは、どうその恐れを細切れにして、時間という流れのなかで処理していくかを考えるだけです。

恐れを課題に変える!

ここに、一点突破のヒントがあります。

そのためには、その恐れを長期でとらえることです。

決して短期で眺めてはいけません。

短期でとらえて一気に片付けようとすれば、ますます迷い悩むだけだからです。

長いスパンでとらえて処理すれば、時間の経過のなかで不必要な迷いや悩みが自然に削げ落ちていきます。

ですからデンと構えていちいち心配しないで、一度やると決めたことは何としてやりきりましょう。

一途に貫く姿勢を堅持するのです。

迷ったら進む!

この強い思いが、奇跡を引き寄せることを忘れてはなりません。

究極の敵

人生はやるべきことをやっていないと、やりたいことがやれません。

ですから、やりたいことがあるのなら、今やらねばならないことは何なのかを考えましょう。

人生はステップ・バイ・ステップです。

このステップという一段の階段をしっかり昇りきるなかにしか、真にやりたいことは見えてきません。

それは、気分でやりたいことは見つからないということです。

大切なことは、今に生きるという姿勢を持つことにあります。

あれこれいちいち悩む前に、あれこれやってしまうことが道を開く鍵であることを知る!

何故ならば、行動こそが道を開くからです。

迷ったら、とにかくやってしまいましょう!

やって失敗したとしても、そのときはそのときです。

これで、真の学びが得られると開き直ってしまえば済むことです。

戦うときに、心しなくてはならないこと。

それは、決して恐れないということです。

勝負のときに恐れを抱けば、それはもう一人の究極の敵をつくるからです。

究極の敵。

それは、自分自身です。

自分を敵に回して勝利した者は、この世に一人もいません。

結果的にたとえ勝利できなかったとしても、そのとき戦おうとした自分を肯定できていることが、次のステップへ進むための財産となるのです。

敵は我れにあり!

勝負のときに心すべきは、この一点以外にありません。

手放す

豊かになれるかどうかは、環境によって決まるのではありません。

もしそうなら、ある地域に住む人たちは全員裕福で、ある地域に住む人たちは全員貧乏といった状況が生じてもおかしくはありません。

しかし、そのようなことは全くなく、至るところで豊かな人と豊かでない人が隣り合って暮らしています。

環境も職業も同じで、例えば同じ町に住む二人の同業者がいたとします。

この二人、片方はいつまで経っても貧乏なままなのに、もう片方が成功してお金持ちになっているとすれば、その違いとは一体どういうことなのでしょう。

それは、豊かになれるかどうかを決定する重要な要因は、環境ではないということを意味しています。

さらに、豊かになるためには、ただ才能があればいいという訳でもありません。

何故ならば、多大な才能に恵まれた人が貧しいままであったり、その逆に才能に恵まれない人が豊かになったりすることも珍しくはないからです。

豊かになるのは、節約や倹約をした結果でもありません。

ケチに徹した人の多くがお金に恵まれない一方で、金遣いの粗い人が豊かになることもよく目にするからです。

こうして、豊かになった人たちやそうでない人たちのことを見てくると、人と比べてとりわけ才能や能力に恵まれることが豊かになる決定打とならないことが分かります。

それどころか、極めて普通の人たちが、ある日を境にして変わっていったというのが真相に近いと言えます。

それでは、そうして豊かになった普通の人たちは何を変えたのでしょう。

それは、考え方です。

彼らは考え方を変えたのです。

その考え方とは、他人の目線で自分を見ないということです。

そして、自分が欲しいと思うものに対してまっすぐに向かっていく姿勢を持ったということです。

さらに言えば、何かを得たければ、何かを失うことを覚悟するという、シンプルな法則を受け入れたということです。

選ぶとは失うこと!

すなわち、選択とは手放すことだったのです。

豊かになった人たちや、その道で成功した人たちに共通しているものは、あれやこれやではなく、失うことを恐れず、一つのことに集中したということだったのです。

ただ頑張るのではなく、時には自分の考え方をこうした視点からチェックするのです。


ビジョンの根底

根拠は後付け!

まずビジョンありきです。

戦後の焼け野原から、日本を高度経済成長へと向けたものは、時の池田隼人内閣が打ち出した「所得倍増計画」というビジョンでした。

収入を倍増させる!

ここに当時の日本国民一人一人が、ストレートに燃えたのです。

目指す方向を明確に持てたとき、人は変われます。

大切なことは、やり方や技術とかをはじめに探すことではありません。

自分はどこへ向かうのかという、ビジョンを持つことです。

何故ならば、意識はそこについてくるからです。

如何なる分野であれ、「こうなれたらいいなぁ」位の気持ちで、そうなれた人は一人もいません。

それは思いつきであって、ビジョンではないからです。

ビジョンと思いつきは違います。

ビジョンの根底にあるものは、我が魂を理屈抜きで揺さぶる動機です。

その動機は、自分がやりたいと思うことのなかには育ちません。

自分が理屈もへったくれもなく、やりたくないことのなかに育ちます。

それは、今の毎日の仕事かもしれませんし、人間関係かもしれませんし、人それぞれです。

いずれにせよ、真のビジョンが生まれ育つ背景には、「こんな生活イヤ!」という、是が非でも抜け出したい何かがあるのです。

真のビジョンには力があります。

真のビジョンは、真の自由に行き着くからです。

真の自由とは、やりたいことをやる自由ではありません。

やりたくないことを、やらない自由です。

ビジョンを持ちましょう。

その姿勢に、自分を変革していく強い力が降りてくるからです。

悔しさの欠如

本気になっていない!

伸びない理由は、ただそれだけです。

いちいち出来ない理由を探してきて、頭から何も考えずにその理由を丸呑みして、それを何とも思わない精神性。

そして、だんだん行き詰まってくると、そのときだけ慌てて付け焼き刃の対応をして、息咳切らせている。

その後は、喉元過ぎれば熱さ忘れるを地で行きます。

そうした生き方が何年経っても変わらない状況を作っている根源であることに、いい加減に気が付かなくてはいけません。

人間、本気になって出来ないことなど、そう多くはありません。

というより、本気になって出来ないことなど存在しないのです。

出来ない理由は、ただ一つ。

本気でやろうとしていないからです。

いつまで経っても本気になれない人の特徴は、悔しいという経験の欠如です。

どこかで、自分というこの世で唯一無二の存在を、自ら軽く見ているのです。

自分を軽んじれば、他人はさらに軽く扱います。

慣れてはならないそうしたバッシングに、知らず知らずのうちに自ら慣れていくことが大人になることと勘違いして、成功の本道を踏み外していくのです。

成功への礎(いしずえ)は、言うまでもなく継続にあります。

それでは、継続とは一体どういう意味なのでしょう。

ズバリ言います。

継続とは、「怒り」です。

いてはいけない低いレベルで、他人から軽く見られ扱われ、歯牙にもかけられない自分に心底怒りの雄叫(おたけ)びをあげたとき、初めて人は、やるべきことを継続することの意味を感じることが出来るのです。

不甲斐ない自分に、たまには正しいパニックを起こしましょう。

そして、正しく怒らなくてはいけません。

人生を変える力は、今のままじゃ駄目なんだと、本気で思えるかどうかにあります。

気を入れて、やるべきことに取り組みましょう。

何をやろうが、最後に問われることこそが、気を入れてやったのかどうかだけだからです。

イミテーション

人生最後は、誰にたどり着けるかです。

全ては、ここに収まります。

何故ならば、人生は誰とつながっているかで決まるからです。

ですから、成功者から影響を受けても、その影響は一時的なものであり、自分を変えていく力とはなりません。

成功者の真似をしても、それは偽物の自分を作ることにはなっても、それ以外には何の効果もありません。

成功者がやることのうわべだけをインスタントに真似ることで、未熟な自分がいきなり成功者へ変貌を遂げるとでも思っているのでしょうか。

そうした表層的なことしか考えられないから、自分を根底から見つめることも出来ず、その結果、イミテーションとしての人生を歩むことになるのです。

まず、自分自身が本物であろうと決意することが大切です。

本物のダイヤモンドは、何があろうと絶対に傷つくことはありません。

しかし、どれだけ巧妙に細工を施そうが、それが偽物のダイヤモンド、即ちガラス玉なら、それは簡単に傷ついてしまいます。

イミテーションに、輝く未来はありません。

ここで一つ、しっかりと理解しておかなければならないことがあります。

それは、人は引き合うという真実です。

ですから、偽物は偽物と引き合い、本物は本物と引き合うのです。

我れ、本物たらんとの気概を持ちましょう。

偽物が取るような行動は、厳に慎まなければいけません。

小さな一つ一つのことを、見事にやりきるのです。

神は細部に宿ります。

そのときは大したことのないように思える小さな一つ一つのことを、やりきり積み重ねていく精神が、自分という人間を大きく本物へと変えていきます。

そして、たどり着くのです。

あなたが、出会わなければならなかった人と。


夢へのワークタイム

緊張感を持ちましょう!

命の背骨をシャンと伸ばして、1日1日を積み重ねていくのです。

人生は勝負です。

勝負は紛れもなく、今日という1日の生き方のなかにあります。

1日1日の生き方の積み上げのなかにしか、望む人生のゴールはあり得ません。

油断大敵です。

気を抜けば、そこから魔物が間隙を縫って忍び込んできます。

何かに挫けそうになったら、自分を相手にもしないで鼻で笑った者の顔を思い浮かべましょう。

自分の価値を決めるのは、他人ではなく他ならぬ自分自身です。

自分が自分をディスカウントしていれば、自分という人間の市場価値はみるみる低くなっていきます。

さらに、何かを恐れて何もやらないことが、人生を一番危ういものにしていく元凶となっていきます。

とにかく、夢に向かって、具体的に足跡を残すのです。

足跡を残す!

その意味は、思いを形にするということです。

画家になりたいのなら、まず絵を描くことが大切です。

作家になりたいのなら、まず作品を書くこと。

そう、とにかくやりたいことを形にすることからしか、何も始まりません。

そして、さらに大事なことは、形を創るための「ワークタイム」を毎日取ることです。

夢に向かうワークタイムを取ることの重要性を、成功者は皆知っています。

凡人ほど、忙しい忙しいと言って、生活は維持しても、夢に向かうという人生を歩んでいません。

生活と夢は違います。

それは、最終的に経済力にも表れてきます。

生活のために働く人が、大金を手にすることはありません。

何故ならば、お金は夢が大好きだからです。

夢を形にしましょう。

緊張感を持って歩む1日1日のなかに、夢の足跡を残すのです。

そのための核となる発想こそが、夢に向かうワークタイムをとると決断することなのです。

一人から

数が、事を成すのではありません。

一人が事を成すのです。

志を何も持とうとしない烏合の衆がどれだけ集まっても、事を成し遂げることは出来ません。

決然たる意志を持った一人が、時代を動かしていくのです。

いつの時代も、成功者は少数派です。

ですから成功者が、大多数の人たちが引っ掛かることにいちいち引っ掛かかって、その歩みを止めることはありません。

問題と映ることの本質は、自分が気にしていることです。

さらに言えば、自分自身の乱れにあります。

なぜ乱れるのか。

それは、自らの本分を忘れたからです。

少しくらいつまずこうが、痛い目に遭おうが、そんなことは想定の範囲内のことと達観してしまいましょう。

だいたい、やること為すこと全てがうまくいくなどと思っていること自体が、救いようのない甘ちゃんなのです。

人生の勝敗は、死ぬ間際まで分かりません。

ですから、いちいち途中経過にぐるぐる振り回されていては、成功などとても覚つきません。

人生は、最後に勝てばいいのです。

大切なことがあります。

それは、いちいち囚われないということ!

いちいち雑事余事に囚われていれば、それが自分の本分を忘れていく原因となってしまいます。

忘れてならないことは、例えうまくいかないことがあっても、それを切り抜ければ、うまくいかないことと等分のうまくいくことがあるということです。

それは、人生はイーブンに創られていることを意味します。

ですから人生は、うまくいかないことを気にした者負けです。

そうしたことを、いちいち気にしないことが力になります。

この力が一人のリーダーを創り、この一人の人材が静かに状況を一つ一つ変えていくのです。

数が、事を成すのではありません。

全ての変化は、たった一人の決然とした態度から始まることを忘れてはなりません。

過小評価

私に限界などない!

もし、限界があるとすれば、それは諦めたときだ!

こう思うことが出来れば、何がどんな形で起きようが、その人に失敗が訪れることはありません。

真に成長を望むなら、常に忘れてはならないことがあります。

それは、限界は自分自身が決めているということです。

自分で自分を過小評価して、そして値引きして自分を安売りしていることに、全ての伸び悩みの原因があることを知らなければなりません。

同じ人間として生まれて、あの人が出来たことが自分に出来ないことを、オカシイと感じていなくてはなりません。

人間の価値を決めるものは、当たり前のレベルです。

自分という人間の当たり前のレベルを、どこに置いているのか。

考えるべきは、まずそこにあります。

やれる人間なのか。

それとも、端(はな)からやれない人間なのか。

本家本元の自分が、他ならぬ自分のことをどう思っているかです。

人生は、本当に思ったことだけが実現します。

ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

思いはいつも、行動の前にあるということです。

何故ならば、人間は思ったことを行動で表すからです。

ですから、行動の前にある思いをどう創るかに、全ての出発点があるのです。

思いは常に、意識で創られていきます。

意識が低ければ、当然の帰結としてその思いも低く脆弱なものとなり、その結果、取る行動もレベルの低いものとなります。

意識を上げましょう。

意識を上げるには、意識の高い人とつながろうとすることです。

そのためには、求める姿勢を強く持つことが大切です。

その姿勢は、人間の強さにつながります。

人を魂のレベルで強くするものこそが、成長へのこだわりであり、そこには必ず真実の素直さがあります。

その素直さが、限界をはね除けて、自らを高みへと導いていくことを知りましょう。


一点突破の決断力

その結果について、自分が納得できていればオーケーです。

納得とは、原因がはっきり分かっているということです。

さらに言えば、それはそのとき自分の心がどう動いたかということにつながります。

前向きに動いたのか。

それとも消極的に、後ろ向きに動いたのか。

いずれにせよ行動には、必ず動機があります。

何が言いたいのかと言えば、起きてしまった結果よりも、そのときの自分の動機にこそ、これからの全ての展開の鍵があるのです。

時として人間は、合理的に考えて、不合理なことをする生き物です。

そこにまた人間たるものの矛盾と、理屈では計れない底知れぬ力強さがあります。

その力強さは、勇気となったり、局面を打開する一点突破の決断力となります。

しかし、それはまた全くそうした力とは別の弱気となって、自分から力を奪う魔物ともなります。

どちらに転ぶかは、一にそのときその瞬間、心がどう動いたかにあるのです。

全ては、その行動の奥に潜む動機にあります。

何故ならば、動機こそが行動を呼び、その行動が結果の原因となるからです。

動機はものの見方感じ方によって、知らず知らずのうちに形創られていきます。

怒るべきときには正しく怒り、畏(おそ)れるべきときは正しく畏れることが、その基本です。

そのためには、自分の旗色をはっきりさせることが大切です。

自分がこうしようと思ったことに対して、決して疑いを抱いてはなりません。

自分が思ったことを、自分で実行する!

これが人生だからです。

行動するそのときに、迷いを入れない!

ここに、透明な精神性が出来上がります。

人生はやってみなければ分かりません。

やりさえすれば、どう転んでも前進です。

あとは、そのときそのときに感じた何かをそのまま受け止めて、自分に正直に一歩を踏み出せばいいのです。

前に進んでさえいれば、人生はどう転んでも大丈夫だからです。

想定外

今を変わるチャンスととらえる!

その感覚が才能です。

命は絶え間なく揺らぎ、移り変わります。

一時も停滞することはありません。

ですから、常に変わり続けることが生き抜くということになるのです。

今の時代くらい、生き抜くということの意味が、重い意味を持って迫ってくる時代はありません。

何が起きても不思議でない時代に入っているからです。

こうした時代には、禁句が一つあります。

それは、「想定外」という言葉です。

東電と日本政府が起こした福島第一原発の放射能漏れ事故も、決して想定外ではありません。

分かっていた最悪に、故意に備えなかっただけです。

地震や津波や電源喪失は充分に想定出来たのに、想定しようとしなかっただけのことです。

これからの時代を生き抜くために、大切な発想があります。

それは、想定外を生き抜くという発想です。

そのためには、確固たる自分自身の軸を持ちましょう。

何があってもぶれない自分を確立するのです。

想定外を超えるのです。

ですから、少しくらい思い通りにいこうがいくまいが、うまくいこうがいくまいが、いちいち一喜一憂しているようではとても覚つきません。

そうなったら、そうなったまでのこと!

こう開き直るくらいの太さを気持ちに持って、今を生き抜くと決めるのです。

想定外のアクシデントが起きたときこそ、自分自身を変えるチャンスととらえるのです。

私たちは生かされています。

ですから、死ぬときまで死ねません。

ならば、座して敗れるのではなく、打って出る!

ここに、人生の本懐があることを忘れてはなりません。


人生はプレゼンテーション

今の時代は、人柄だけで勝負は出来ません。

そういう時代になってきました。

この時代の仕事とは、こだわりというブランドを創ることです。

売るのではなく、創る!

ここに決定的な、独自化があります。

差別化ではない、独自化。

今の時代を生き抜く鍵が、まさにここにあります。

どれだけ痛手を受けても、そこにブランドという力があれば、それが最後の砦となって、そのビジネスを守り復活させます。

ですから、仕事の本質は、自らが依って立つ領域のブランドの構築とその発信力にあります。

そのためには、その仕事を発信する自分自身がブランドたる自覚を持たなければなりません。

人がブランドだから、扱う製品もまたブランド足り得るのです。

情報はその人の持つ発信力によって、全く違ったものになります。

その最たるものが、プレゼンテーション能力です。

突き詰めてみれば、人生はプレゼンテーションであると言っても過言ではありません。

「う・し・も・お(牛モォ~)」という言葉を覚えておきましょう。

「う」→売り込まない!

「し」→しゃべり過ぎない!

「も」→もったいぶる!

「お」→お願いしない!

プレゼンテーションの肝が、ここにあります。

さらに言えば、説明で人の気持ちは動きません。

ですから、説明を続けているうちはたいした結果は期待出来ません。

それでは一体どうしたらよいのでしょう。

それは、説明ではなく意見を言うのです。

意見と言い方は違います。

言い方は、相手に失礼のないように。

内容は、自分の意見を確信を持って述べるのです。

その際、相手から断られることを気にしたらいけません。

イエスがあるのはノーがあるから。

これ位の達観が、こちらのオーラとなります。

プレゼンテーションと態度は、表裏の関係です。

今の時代、一番まずいのは、薄っぺらなバランス感覚です。

それを日和見といいます。

日和見の、ただ軽く人に合わせるだけの人は、本物から遠ざけられていきます。

自らの立ち位置を、ブランド足るべく意識しましょう。

人柄はもちろん大切ですが、それだけでは何ともならない時代に入ったことを認識出来ずに、未来は拓けてこないからです。


量から質への転換

本質をぶつけていないから、伝わらないのです。

それは、自分自身の行動や発言が曖昧だからです。

何故、行動や発言が曖昧なのでしょう。

それは、自分が何に向かって何のために行動しているのかが曖昧だからです。

あれやこれやと心をふらつかせて、心ここにあらずで、できたらいいなぁ位の気持ちで事に臨んで、もしそれで思う結果が出たとしたら、それは奇跡です。

あり得ない奇跡を薄らぼんやり期待して生きれば、その姿は極めていい加減な人間としてしか映りません。

出発点は強気で構いません。

しかし、その強気に根拠を持ちましょう。

その根拠は、どれだけ動き切れたかにあります。

いついかなる時代においても、やろうとする仕事の成否は、行動の量に正比例するのです。

行動の質ではなく、行動の量に視点を置きましょう。

何故ならば、量が質に転換するからです。

とにかく、予定を入れる!

とにかく、稼働する時間を多くスケジューリングする!

ここに、強気の根拠ができあがります。

やるべき事をまっすぐに見て、まっしぐらに突き進みましょう。

失敗を恐れてはなりません。

失敗のない生き方など、誰からも評価されない生き方だからです。

失敗したらまた立ち上がる!

この繰り返しのなかに、真実の生き方があることを忘れてはなりません。

セオリー

一心不乱。

必死に懸命に、我が人生と戦う!

ひたすら、前へ前へ!

今と向き合いましょう。

素直に、今という状況を受け入れて、まっすぐに立ち向かうのです。

やればできる!

我が胸中に刻まれた言葉は、このワンフレーズです。

やればできる!

やってないから、できないのです。

自分には力があるということを、今までどこまで分かろうとしてきたのか。

ここが、全てのスタートラインです。

自信があるとかないとかの問題ではありません。

誰かができたことが自分にできない訳がないと、強く思えているかどうかなのです。

ここで一つ、忘れてはならないことがあります。

それは、勝負は取り組む前についているということです。

この考え方には、深い意味があります。

それは成功を目指す者が、絶対に知らなければならないセオリーです。

そのセオリーとは、「限界は自分自身が決めている!」という真実です。

何故、他ならぬ自分がそうした限界を決めてしまうのでしょう。

それは、人間に与えられた最強の武器を使わずに、神秘的な何かに事の成り行きを委ねて諦めているからです。

人間に与えられた最強の武器。

それは、「ひたむきさ」です。

ひたむきに、一心不乱に、前へ前へと我が人生と戦うファイティング・スピリッツを、心にたぎらせているかということです。

まっすぐに進みましょう。

迷っていることが、一番もったいない生き方だからです。

迷いの人生が、どこかにたどり着くことはありません。

ひたむきに、今日1日を生きるのです。

やるべきことから、引かず逃げずに!


心に風を

「ゼロからの風」を起こす!

今日の不可能を、明日の可能に変えるのです。

出発点は、いつもゼロから。

昨日を引きずらず、明日を思い患わずに、今日という1日をゼロから踏み出すのです。

カタチが無いことをゼロといいます。

ですから、ゼロから風を起こすとは、まず心に風を起こすことから始まります。

気を入れて一歩を踏み出すことが、全ての始まりです。

大切なことは、気が入っているかということ。

その気は、「やる気」ではいけません。

その程度の気まぐれ・気分では、何ともならないからです。

気を入れるとは、「本気」であることを指します。

今日の壁を何としても乗り越えると、気を引き締めることが本気の始まりです。

今日の壁。

目指すとは、今日の壁がはっきり見えていることです。

今のままでいいと思っている人が、新しい何かに挑戦することはあり得ません。

いいですか?

人生を輝くものにしたいのなら、がんばらなくてはならないのです。

例えば男子フィギュア・スケートにおいても、前半のショートプログラムで4回転ジャンプを成功させることは、勝つための必須科目となりました。

人生は勝負です。

そのように捉えることが出来たなら、勝負に好き嫌いはないということをまず理解しなければなりません。

現代男子フィギュアで勝とうとするなら、4回転に挑まなければ勝つことは出来ないのです。

勝負を意識した者が、日々そこに見るもの。

それは、1日1日の越えていかなければならない壁です。

その壁には、いつも不可能と書いてあります。

その不可能を、明日の可能に変えていく!

ここに本気を宿した挑戦があり、その行為が人生を輝くステージに変えていくのです。

命の姿勢

人生を測る物差しを持ちましょう。

人の物差しではない、自分自身の物差しを。

人の物差しで、自分の行く道を測れば、そのうち自分自身が分からなくなってきます。

自分の物差しを持って、しっかりと人生を見ることが出来れば、不甲斐ない自分に怒りを覚えることは必然です。

その理由は、目指す自分は遥かかなたにあると思えるからです。

生ある限り学び、弱い自分と戦い続ける!

今はまだ夢の途中であることを知る!

未熟者であることを分かって、人生の勝負に立ち向かうのです。

そこには、別れと新しい出会いが待っています。

生生流転。

人生は、片時も同じ時空に止まることはありません。

出会いとは必然であり、決して偶然ではありません。

その人とその人との、命の根底にある同じ何かが響きあって起こる必然です。

ですから、その出会いが真実の出会いであれば、別れを心配する必要はありません。

真実の出会いに、別れはこないからです。

真実でない出会いも、さほど心配しなくても大丈夫です。

何故ならば、勝手に向こうが離れていくからです。

大切なことは、自分自身の根底に何が流れているかです。

その根底が素晴らしければ、必ず素晴らしい人との出会いが待ち受けています。

ですから、人との比較ではない、自分自身の人生の物差しを持ちましょう。

その物差しこそが、自分を鍛え育てていく確たる基準となって、力ある人材へと命の姿勢を整えていくからです。

視点の置きどころ

良いことも悪いことも、自分が真に気にしたことだけが実現します。

気にすれば現実。

気にしなければ、ただの風景。

ここに、視点の置きどころがあります。

故に、気にしてはいけないことを気にしていれば、それが実現して不本意な人生を送ることになります。

ほとんどの人間は、避けがたい宿命的な病気を抱えて生まれてきます。

その病気とは、「臆病」という病気です。

この病気は、何を気にしたかで、発症の形態と時期が異なります。

気にしてはいけないことを気にし続ければ、臆病という病気が身体中に転移して、やがては情緒不安定となって、自分を見失っていきます。

その逆に、気にしなければいけないことに立ち向かえば、そこに勇気が湧いてきて、その勇気がワクチンとなって臆病という病を、前進するための免疫力に変えていきます。

こうして得た力は、元の臆病を細心の注意力へと変えて、決断力に事を成し遂げる確率を与えます。

あなたにとって、今、気にしなければならないことは何ですか?

そして、今、気にしてはいけないことは何ですか?

行動しなければならないときに、どうするのかを考えることを気にすれば、そこに待っているものは破局以外にありません。

ですから人生とは、今、何を気にしているかで決まるのです。

そうであるが故に、気にしてはならないことを気にしていれば、もうそれだけでアウトであることを知りましょう。

気にしなければただの幻であり、錯覚です。

しかし、真に気にしなければならないことを侮れば、そこには深刻な危機が待っています。

忘れてはならない視点の置きどころが、ここにあります。

最大のインテリジェンス

正しく情報を解釈出来れば、正しい行動を取ることが出来ます。

正しさの前提は、タカをくくらないことです。

簡単にタカをくくるという態度は、自分自身の無知さ加減をそのまま表現しているということに他なりません。

今の時代において無知であるということは、生存をも危うくする脅威となります。

無知の入り口は、素直さの欠如にあります。

素直さこそが最大の力であり、最大の知性であり、最大の理性であることをしっかりと認識しましょう。

情報に対する態度が、人生に対する態度を決め、その積み重ねが緊急事態のときの咄嗟の行動を決定します。

それこそコンマ何秒かの判断の差が、生き死にを分ける究極のラインとなるのです。

先が見通せないときは、最悪の想定にたって情報を取りましょう。

それが杞憂(きゆう)に過ぎなければ、それこそそれで胸を撫で下ろすことが出来るからです。


違和感と成長

成長は、違和感のなかにあります。

ですから成長の節目節目には、過去の成功体験を捨てなければならないという違和感を味わうことになるのです。

過去の成功体験は、いつの間にか自分のなかで、慣れや楽となって陳腐化していきます。

ここが大切なところです。

慣れや楽は、未来への成長の芽とはなりません。

時代は常に目まぐるしく、その様相を変化させていきます。

その変化のなかで、変えてはならないものと、変えなくてはならないものをしっかりと見極めていくことがとても大切です。

それは考えても分かりません。

感じて行動するなかでしか、会得出来ない感覚です。

そうした感覚は、偶然がもたらす違和感のなかにあります。

よく好き嫌いで物事を判断してはいけないと言う人がいますが、それは土台、生身の人間にとっては無理というものです。

何故ならば、理性と感情が五分五分で向き合えば、どれだけ理屈を並べても必ず感情が勝つからです。

何故ならば、それこそが人間だからです。

それを踏まえたうえで、一つの着目点があります。

それは、新しい可能性は自分が好きなことにあるのではなく、嫌いなことのなかにあるということです。

実は、直感的本能的な可能性は、感情というフィルターを通さずに感じることがとても難しいのです。

ですから好き嫌いという感情は、それだけでストレートな直感的かつ本能的な感覚です。

そして、です。

この好き嫌いの嫌いのなかにだけあるものが、人を根底から変える違和感となるのです。

違和感は、やり慣れたことからくる楽という発想を否定します。

ですから、そこにあるものはむしろ不快感です。

ここが、人生のマジックです。

その不快感をコントロールして、今までの自分に足りない何かに気付くことが出来るかどうか。

ここに、成長の可否があるのです。

ほとんどの人たちが乗り越えられない壁が、ここにあります。

成長は違和感のなかにある!

ここを理解しようとするだけで、成長への格段の心構えが出来ることを覚えておきましょう。

命の砂時計

我れ如何に生くべきかを、今しみじみ思います。

命と時間は、貯金出来ません。

しかも、容赦なくハラハラと、命の砂時計はその砂を落とすことを止めません。

もはや迷ってなどいる暇はありません。

今という時代は、何もやらなかった者の一人負けだからです。

悩んだり、迷ったりしている時間はありません。

それでもどうしても迷ったときは、未来がある方を選ぶことが道を拓くと考えることが大切です。

残念ながら、今の日本は、察する文化の国ではなくなってしまったようです。

ストレートに物を言わなければ、伝わらないことが多くなってしまいました。

一を聞いて十を知る、という言葉があります。

一から十まで、それも何かの組み立て説明書のように、いちいち無機質な説明を受けなければ何も分からないという人が巷に溢れ返っています。

真の人材とは、一を聞いて十を知り、そして百を表現する人を言います。

心胆を持たずして、それは出来ません。

戦後66年間の地震の静寂期に、命よりも経済優先で支えられたまぐれ当たり経済の繁栄に酔いしれて、思考することを忘れてしまった人が多くなった日本。

地震の境界線に54基もの原発を建てて、レベル7というこれだけの放射能汚染にもいつの間にか慣れて、ぼんやりと生きることに何の違和感も覚えない。

こうした意味を成さないバランス感覚に、私たちは危機感を覚えなければなりません。

今の時代に求められることは、「本音」と「本気」です。

ぼんやりした人にぼんやりと合わせていたら、こちらが何を言いたいのかが伝わらないからです。

勝負しましょう。

今のままいたら、経済も何もかもが沈没してしまいます。

打って出るのです。

迫り来る未曾有の経済震災を、決して甘く見てはなりません。

今回の震災で、私たち日本人は、「日本ブランド」を失ってしまいました。

これこそが、今後の国難ともなりうる最大の危機なのです。

そうした迫り来る時代背景を想定した生き残りの戦略を、一人一人が明確に立てるべきときが今なのです。

一を聞いて十を知り、そして百を表現する!

生き残りを真剣に意識化して、はじめて迫り来る未曾有の経済震災へと立ち向かう戦略が立てられることを忘れてはなりません。


チャンスの消滅

結局、人生は、盛り上がったか、盛り下がったかのどちらかしかありません。

ですから、どうせやらなければならないことなら、盛り上がってやりましょう。

そのためには、受け身でいてはいけません。

積極的に前を向くことが大切です。

幸運は、消極的な態度に宿ることはないからです。

前を向けば、何かを言う人もいるでしょう。

しかし、人生は誰かから何かを言われてナンボのものです。

それを恐れて殻に閉じ籠れば、人からは何も言われませんが、それと引き換えに出会いという宝を差し出すことになります。

出会いを放棄すれば、その瞬間にチャンスも消滅します。

人生は、出会いと人で決まるからです。

つまらない些細なことを恐れて、殻に閉じ籠って、人との関わりを消極的なものにすれば、人生を決める出会いと人を失うことになるのです。

恐れず一歩を踏み出す!

この姿勢が心のなかで死んだとき、その人に展開される毎日は、何の刺激もない無味乾燥とした荒涼たる日々となります。

人生は挑んでこそです。

一朝事が起きれば、困難何するものぞとの覚悟を深く定めて、何があっても前に進むと決めて、一歩を踏み出すのです。

この気概が、自らの内に眠る本気を呼び覚まし、そしてその本気が本気の人を糾合します。

本気の出会いは、本気のときにしか起こりません。

人生の盛り上がりは、本気の出会いのなかにあります。

それらの全ての出発点が、一歩を踏み出す勇気のなかにあることを、決して忘れてはなりません。


やらないことを明確に

やらなくてもいいことをしない!

と決めると、やなければならないことが出来るようになります。

やるべきことが出来ないのは、やらなくてもいいことをやり続けているからです。

何かをやることよりも、やらないことの方が格段にエネルギーが要ります。

ここで一つ、重要なことがあります。

それは、人生の転機は、何かを断ち切るところから始まるということです。

例えば「決断」という文字も、何かを断つことで、何かが決まっていくと書きます。

ですから、断ち切る勇気も時には必要なのです。

本気でその方向にシフトしていくという決意があれば、技術革新は後から伴ってきます。

技術よりも、シフトをチェンジすることを本気で考えることが優先です。

シフトチェンジとは、やらないことを明確にすることから始まります。

やらないこと!

それをどう見抜けばよいのでしょう。

その鍵は、我欲から発想を起こさないということです。

我欲を断てと言っているのではありません。

何かを変えたいのなら、何かを止めて、そのことによって失うかもしれない何かを恐れてはならないと言っているのです。

その恐れる何かに、自ら近付く強い気持ちを持ちましょう!

恐れるものに近付いて、その正体に迫るのです。

大概のことは、見えてしまえばそれで心が落ち着いて、やるべきことが見えてきます。

やるべきことが見えれば、やらなくてもいいことも見えてきます。

余事に心を囚われて、やらなくてもいいことに振り回されたとき、人生の方向性が自分の思いとは大きくかけ離れたものに変わっていくことを知りましょう。

生きざま

「毎日毎日、必死で生きていかないと、舞台では必ず失敗する!」

「何か大変なことが起こったら、絶対に前に進んでやる、と思える自分がいる!」

女優、米倉涼子がインタビューで、このように語っていました。

プロ魂を彷彿(ほうふつ)とさせる言葉です。

毎日を必死で生きていないと、どれだけ繰り返した舞台でも、そのどこかに落とし穴があり、そこに怖さがあることを知っているからこその実感なのだと思います。

慣れることの凄さともろさを知って、真のプロが出来上がります。

この両刃の剣を、絶対に前に進んでみせるという気概でしっかりと持って、毎日毎日を真剣に生きようとする姿勢に、降りてくる何かが自分を突き動かして、名優となるのです。

ひとたび名優が舞台で舞えば、その立ち居振る舞いや一挙手一投足が、観る者を釘付けにして、その時間を魅了するのです。

真実のプロは、その舞台のどこかで必ず宇宙とつながります。

宇宙とつながることが出来れば、あとは何も考える必要はありません。

それが、その域における自然体だからです。

舞台という日々を真剣勝負で演じるときの、「ああ、生きている!」という実感こそが、魂のご馳走に違いありません。

その実感は、真剣に1日1日を生きるのだという、コミットメントのなかにしかありません。

一つの事に、慣れて慣れない!

真剣勝負の生きざまが、ここにあります。


恐れの正体

「迷ったときは、心を静めて、自らが神であることを知れ!」

マーク・フィッシャーという作家が、その著書「成功の掟」のなかで、ミリオネアという大富豪に語らせた言葉です。

迷ったときは、まず心を静める。

そして自分は、何を一体迷っているのかを客観視するのです。

迷いの根源には、必ず恐れがあります。

恐れはいつも、漠然としたなかに芽を出します。

ですから、漠然と遠くから物事を眺めていると、だんだんと恐怖する自分になっていくのです。

「我々は、恐怖することそれ自体、以外に恐れるものは何もない!」

故ケネディ大統領は、キューバ危機を回想したなかでこう語りました。

恐れや迷いには、本来はっきりとした形などありません。

ですから大切なことは、何を心に思い描いているかです。

迷ったときは、その迷いに近付きましょう。

そうすれば、迷いの奥底にある恐れの正体が見えてきます。

恐れの正体。

それは何か。

それは・・・

決断力の欠如です。

人は、飛ばなければならないときに飛べなければ、その人生をずっと小心者として生きなければならなくなります。

運は、小心者を近付けません。

迷っているのは、可能性があるからと解釈しましょう。

可能性は、いつもリスクと背中合わせです。

しかし、本当のリスクは、何もしないで逃げることです。

いつ如何なる状況にあっても、神が逃げることはありません。

心を静めて、自らが神であることを知れ!

神は決断力に導かれてその姿を現し、不可能を可能にするのです。


魂の基盤

今日という1日を、どのように生きるのか。

この意識を持って、1日1日を意図的に生きることが大切です。

何となくポカンとしてぼんやりと1日を過ごせば、それはたまには許されるでしょうが、そうしたことが生き方の常態となれば、そこにあるものは魂の衰退だけです。

人間として生まれて、一番してはならないこと。

それが、魂の衰退です。

魂は、使わなければ必ず、劣化し衰退していきます。

それでは魂は、どう使えばよいのでしょうか。

それは、目の前にあるやらねばならないこと、何としてもクリアーしなくてはならないことに集中することです。

人生の基盤は、単純にやりたいことを追いかけるなかに形作られることはありません。

やらねばならないことをやり抜く強い精神性のなかに、人生の必須科目である魂の基盤が形作られるのです。

実は人生とは、そうした基盤が出来上がるなかで、真に自分がやりたいことが見えてくるという構造で出来ています。

ですから、やりたいことだけを追いかける人生などというものは、今乗り越えていかなくてはならない障害を放棄する者には、あり得ない現実なのです。

いつの時代も、試練が人を磨き、そのときやりきらなくてはならない壁が、人を創っていきます。

そこを幼稚なテンションでごまかし逃げて、やりたいことだけを追いかける人生に、真に自分がやりたいことなど見つかるはずがありません。

時代は紛れもなく、今までやるべきことを忘れ、創るべき魂の強さをないがしろにしてきた日本人に、厳しく警鐘を鳴らしています。

帰るべき原点を忘れて、やりたいことだけを追いかけるという時代は、まさに転換点を迎えたのです。

心に強い言葉を持って、そして強い想像力を抱けたとき、そこに強い魂の復活が始まります。

その積み重ねが、今日という1日をどのように生きるのかという意識にあることを、油断なく心に刷り込むことが、時代を生き抜くポイントになるのです。

活路

恐れない!

良いときも、そうでないときも、小さな失敗に、いちいち一喜一憂してはなりません。

そもそも、一喜一憂しているそのことなど、よくよく考えてみれば大したことではありません。

やってもやらなくてもどちらでもよいことだから、細かく心が揺れ動いているのです。

それでもどうしても気になることは、その懐に飛び込んで、ノーガードで打ち合う位の気迫が大切です。

無難なスタンスで、お利口に距離を取りながら、常識的な視点で事態を眺めているから、何ともならなくなってくるのです。

大切なことは、飛び込む勇気を持つことです。

渦中に自ら近付いて、自ら飛び込むのです。

失敗することを恐れてはなりません!

駄目なら駄目でいいのです。

いつもいつも思い通りに、うまくいく日が続くことなどあり得ません。

天気が晴ればかりではないように、雨の日も風の日も、そして時として嵐の日もあるのが人生です。

生きてさえいれば、人生に敗北が訪れることなどありません。

死ぬこと以外はかすり傷であり、全て誤差と解釈しましょう。

畢竟(ひっきょう)するに人生は、吹っ切れた者勝ちであり、やらない者負けです。

一つの小さなつまずきに引っ掛かって、今までやってきたことの全てを投げ出すような愚を演じてはなりません。

つまずいたのは、起き上がる術(すべ)を学ぶためです。

何回つまずこうが、起き上がればいいのです。

失敗から起き上がる姿を見せることが、リーダーたる者の真の仕事であると心得ましょう。

ですから、いつもいつも格好よくなくてもいいのです。

人生なのですから、いろいろあるのです。

そのいろいろを乗り越えて、人生は光を増していきます。

我が身に起きる全てのことを、前進するための力に変える!

この命の姿勢に、活路が開けてくるのです。

賞味期限

係わる人を間違えれば、状況は悪化こそすれ、好転することはありません。

運命の変更とは、イメージの変更から始まります。

そのイメージは、誰と係わるかによって決定的な違いを持つことになるのです。

人にはそれぞれ、賞味期限があります。

その賞味期限が最もダイレクトに影響するのは、他ならぬ自分自身です。

燃えているときに、やりきってしまう!

思い立ったときに、即行動に移してしまう!

間髪を置かずという姿勢が、更に次のステージへと、自分の気持ちを加速させていきます。

よく言われることですが、出来る人はリアクションが早いのです。

やるべきことを先延ばしにすることは、全くありません。

その逆に、仕事が出来ない人は、100%先延ばしの達人です。

何事も、追い詰められなければやる気になりません。

そのうち自分自身の気持ちが、まっいいかとなり、やがてやろうとしたそのことをすっかり忘れてしまうのです。

賞味期限も何もあったものではありません。

かくしてこうした出来ない人は、人から信頼を失って、やがて決定的な局面を向かえることになります。

それは要するに、まともな人から相手にされなくなって、死活問題を抱えることになるということです。

人から信頼を失えば、それを回復するのには相当の時間と、今までの数十倍の努力が必要となりますが、それでも失った信頼を取り戻すことは難しいでしょう。

為すべきことをいい加減にして、何かをみすみす失って後悔する者を「馬鹿者」と言います。

為すべきことから、決して逃げてはなりません。

どうせやらなければならないことなら、さっさととやる!

そうすれば、そのことが楽しくなってきます。

楽しいと苦しいでは、天地の差があります。

どうせやるなら、さっさと楽しくやる!


原因と結果の法則

腑に落ちない厳しい結果には、怒りを持ってその原因に迫らなければなりません。

全ての原因は、原因を創ろうとしたそのときの、自分自身の在り方と考え方にありました。

一つのぶれない脈絡のなかで、きちんと考えていなかったのです。

持続する上げ潮を創りたければ、油断してはなりません。

瞳に映る景色を、間違えてはいけません。

現象現実の奥に潜む本質を逃して、どれだけ今をこなしても、望む未来への展望は開けてこないからです。

決意の眼(まなこ)を持ちましょう。

目の前に展開される様々な事象それ自体に振り回されるのではなく、ひと呼吸置いて、未来への脈絡のなかでそれらの出来事を捉えるのです。

それは一体どういうことなのでしょう。

それは、自らに起きる一切合切の出来事を、そのまま決意の材料に変えるということです。

我が身に起きる全ての出来事は、自分を成長させるために起きる必然の出来事であり、そこを避けていては、いつまで経っても同じことを繰り返さなければならないのです。

決意の眼で出来事を眺めることができれば、そこには必ず行動が付いてきます。

状況の転換は、決意がもたらす行動のなかにあります。

様々な条件状況は、決意が電流のように流れている行動によって整ってくることを理解しましょう。

意に沿わない結果には、不甲斐ない自分の在り方と考え方がありました。

そうした自分に怒りを向けたとき、原因と結果の深秘の法則に近付くことができるのです。


唯一のエネルギー

目指すゴールと、そこに向かう覚悟が同じならば、それだけで80%達成したようなものです。

大切なことは、チームで仕事に取り組むことの重要性を、しっかりとリーダーが認識することです。

仕事が成るか成らないかの境目がチームの意識にかかっていることを知らない人は、強いリーダーシップを取ることは出来ません。

チームの意識は、リーダーのゴールに向かっていく意識にかかっています。

全ての事は、長の一念、即ちリーダーの思いの強さにかかって、結局それが最後の決め手となっていきます。

何がなんでもやり遂げてみせると、いつも強く思っているか。

思いの強さは、時空を超えて目的に向かって走る、唯一のエネルギーであることを理解しているかが重要です。

私たちは、そうした最強のエネルギーを内に秘めていることを、どこまで知ろうとしているのでしょうか。

どこまで、そうした人生を変える最強のエネルギーを、素直に受け入れようとしているのでしょうか。

事が成らなかった理由をよくよく突き止めていくと、そこには明快な原因がありました。

それは、初めから諦めていたのです。

取り組む前に、敗北という前提を受け入れて、どうせ無理という一念をエネルギーに変えて、宇宙に放射していたのです。

出来ないという一念が宇宙を走って、出来ないというゴールに一直線に届いたのです。

リーダーの抱くほんの僅かな負のエネルギーは、チームの1人1人に伝播して、瞬く間にチームが目指すべきゴールを曖昧にし、そして覚悟とはほど遠いぼんやりしたあやふやな空気をつくり上げていきます。

全ては、自覚に貫かれた強い思いを持った、1人のリーダーの意識から始まることを忘れてはなりません。

事の成否の全ての原因が、明確なゴールとそこに向かうチーム1人1人の覚悟にあるからです。


次の力

大切なものは、追い求める心です。

失うことを心配するのではなく、前に進むための気持ちを優先させることが大切です。

生きるとは、前に進んでこそだからです。

前に進んでさえいれば、失敗は必ず次の力になります。

前に進むとは、あたかも車が給油しなければ走り続けられないように、人は進みながら次のエネルギーを給油しているということを指します。

ですから、止まったら次に進めません。

如何なる理由があっても、止まればそこで終わりです。

ですから、前に進むという生(せい)の基本を忘れたとき、人は行き詰まります。

間違ったらどうしよう。

しくじったらどうしよう。

このような想念に取り憑かれてビクビクし出したら、キリがありません。

どこかで思い切るのです。

ビクビクする思いを断ち切って、いさぎよく前進するのです。

負けて分かったこと。

そして、勝って分かったこと。

この二つが、今の自分を創っています。

負けるも勝つも、前に進もうと挑んだからこその結果です。

そうであるからこそ、全ての可能性が前進の二文字にあることを忘れてはならないのです。


何のため?

戦い方を知る!

勝負の要諦は、知識よりもこの発想にあります。

ですから、人生とは知識の勝負と言うよりは、戦い方の勝負にあることを知らなくてはなりません。

成功者はみな例外なく、その時々の戦い方を心得ています。

パッと状況状況の空気と流れを読んで、そのときを乗り切るというより、とにかく先へ、とにかく次へつなぐための空気を新たに創り出そうとするのです。

戦い方の基本は、次の展望が開けているかという視点を持つことにあります。

ですからうまくいっている人の発想と行動は、そのときのその立ち居振舞いのほとんどが、次につなげるための空気創りなのです。

空気とは、その人の全身から醸し出される意識の投影です。

言葉を超えて人にインパクトを与えるものは、紛れもなくその人からほとばしる空気感なのです。

空気は意識の投影!

不快感を人に与える人は、その意識がいつも独りよがりだからです。

その意識が幼稚であるか、高慢だからです。

成功のエンジンとなるもの。

それが意識です。

意識を育てましょう。

そのためには、言葉を磨くことです。

思考するなかで、決して言葉を省略してはなりません。

丁寧に、自らに問いを発するのです。

その問いとは、いつも一つの真理から発せられます。

それは・・・

「何のため?」

このたった一つの問いかけこそが、自らの心に真実の動機を呼び醒まし、そしてそこに次の展望を開く戦い方の基本を、知らず知らずのうちに会得させる力となるからです。


トライアル&エラー

そんなことにいつまでも引っ掛かっていて、どうするのですか?

やることをやれば、心配してもしなくても結果は同じと割り切りましょう。

そう割り切れれば、引っ掛かからなくてはいけないところは、やるべきことをやったのかどうかということだけになります。

余計なことを心配して、些細なことにいちいち引っ掛かっていると、そのときやるべきことが見えなくなります。

やるべきことが、見えているか!

まずここが、視点の置き処です。

いちいち引っ掛かってどうでもよいことに悩むのは、やるべきことが見えていないからです。

迷ったときは、自分という人間を成立させている根源に迫りましょう。

為さねばならぬことを見分ける本質が、そこにあるからです。

違う言い方をすれば、それ以外のことはどうでもよいことです。

それを「余事」と言います。

余事に振り回されてはいけません。

余事をどれだけ完璧にこなしても、そのことで人生は進展しないからです。

常に、自分自身に問いかけ続けなければならないことがあります。

それは、「今は何を為すべきときなのか!」という一点です。

その問いかけは、自らを成り立たせている本質をさらに強固に建設していくために、必須の意識をあぶり出していきます。

迷ったときは、今、為さねばならないことだけを考える!

それ以外は全て余事!

全て、余事です。

余事に心を囚われれば、それはそのまま心の乱れとなって、取るに足らざる人間に振り回され続けることになります。

そうした人間にぐるぐる振り回されて、人生を達成した人は一人もいません。

成功の入り口が、ここにあります。

どうでもよい人に、いちいち影響されてはいけません。

我が道を、しっかりと歩むのです。

その道程は、試行錯誤です。

そんなのは、当たり前の話です。

何故ならば、初めから完成形の人生などあり得ないからです。

完璧に進もうなどと、夢考えてはいけません。

トライアル&エラー。

これが人生だからです。


偽りの前提

いくら思っていても、いくら考えていても、動かなければ何も起こりません。

足を一歩前に踏み出す!

今のその状況の打開策は、まさに自分の足を一歩踏み出すという行動のなかにしかありません。

そうと分かっていながら、何故その一歩を踏み出すことができないのでしょう。

それは、恐れです。

その一歩を踏み出すことによって、何かを失うことを恐れているのです。

では、具体的に失うものとは、一体何なのでしょう。

答えは、この問いかけ自体にあります。

それは、この問いかけ自体が、前提として正しくないということです。

人は問いかけによって、自らの方向性を決めて、自らを方向づけていきます。

ですから、その問いかけを前提で間違えたとき、自らの方向づけも間違うのです。


動けば、何かを失う!

行動の足かせとなるこの前提を、一気に払拭しなければなりません。

その答えは、自分を冷静かつ客観的に見つめる態度にあります。

こうした態度は、能力と呼べます。

この能力が導き出す、自分を動かしていく解は、もともと今の自分に失うものなど何もないと気がつくことです。

失うものなど何もないのに、何かを失うと初めから思い込んでいるのです。

そして、その思い込みを行動しようとする際の無条件の前提として、全てに当てはめるのです。

これほど愚かな行為はありません。

人は自らを解き放ったときに、思いもよらない力を発揮します。

自らを解放する鍵は、信じたこの道を歩むと決めきれば、失うものなど何もないと気がつくことにあります。

偽りの前提に、たぶらかされてはなりません。

恐れを超える最大のヒントが、偽りの前提を払拭することにあるからです。


シフトチェンジ

原因が分かっていれば、それでオーケーです。

どうしたらうまくいくかより、うまくいかない原因は何かと考えることの方が、はるかに効果性は高まります。

自らのうちにある根本的な敗因を、客観的に知りましょう。

それは恐らく、考え方のクセにあります。

性格は変わりませんが、考え方のクセを変えることは可能です。

ですから、自分の今現在の考え方のクセを明確に知ったうえで、それを勝つための原因に変えていくのです。

脳を良い方向に騙しましょう!

そのためには、力のある言葉を持つことです。

力ある言葉は、魂を揺り動かしていくからです。

よくよく考えてみれば、人は言葉で思考して行動を決定していきます。

脳のなかで、どのような言葉を浮かべ、そしてその言葉にいかにリアルに反応していくかで、それから取る行動が決定されていくのです。

それは、言葉こそが遺伝子となって、我が人生の配列を決めていくということです。

言葉の持つ力を、侮ってはいけません。

現に愚かな者は、愚かな言葉をしゃべり、軽い者はその言葉もまた軽く上滑りしています。

命を稼働させる燃料は、ほとばしる情熱を掻き立てる言葉以外にはありません。

何があっても前向きに!

何があってもポジティブに!

我が道に立ちはだかる障壁は、乗り越えていかなければなりません。

ぼんやりした平和ボケ発想は捨てましょう!

何とかなるさと、思考を止めてはなりません。

何とかするのです。

諦めない限り、道は必ずあります。

今こそ、頭の回路を切り替えるのです。

人生はやったか、やらなかったかだけであることをちゃんと学べているならば、そこに迷いはないはずです。

弱気から強気へと、考え方のクセをシフトチェンジする!

強気のつまずきはあっても、弱気の成功は絶対にないからです。


イーブン

人生を決めるものは何か。

それは、紛れもなく情報です。

情報は、目には見えません。

しかし、その目に見えないインフォメーションのなかに、次の局面を良くするか悪くするかの道標が確かにあります。

人間の究極のセンスとは、その局面局面において、どのような情報に響いていけるかにあるのではないかと思います。

命には、感度があります。

ですから、命の感度を上げましょう。

そのためには、時代を感じなければなりません。

時代が動いているときに、自らの不動の立ち位置をしっかりと再確認するのです。

人生は、時代が動いているときに動き、そこに新しい何かが現れて、次のステージへと自らを導く展開が始まるからです。

いつの時代にも、必ずチャンスがあります。

まずそこをしっかりと、我が腑に落としましょう。

その上で重要なことは、何としても生き延びると腹を決めることです。

生き残りをかけた戦いを、好むと好まざるとに関わらず、覚悟しなければならない時代に入りました。

問われるのは、知恵と度胸です。

いつの時代も、人生には必ず光と影があります。

それは光だけでは光たりえず、影だけでは影たりえないということです。

光と影はイーブンです。

その意味は、闇があればその闇の分量だけ光があるということです。

言い換えれば、ピンチの分だけ、同量のチャンスがあります。

「谷深ければ、山高し」という言葉があります。

闇が深ければ深いほど、そこを抜けたときの光は強く明るいのです。

今こそ、突き抜ける勇気と覇気を持ちましょう。

知恵と度胸を駆使して、信じて頑張るのです。

私たちは、生かされています。

どう喜ぼうが、落ち込もうが、死ぬときには死にます。

ということは、死ぬときまでは死なないということでもあります。

試されるのは、いつも知恵と度胸と自分を信じる力であることを忘れてはなりません。


イメージで負けない

出来なかったときに、気付かなければいけないことがあります。

それは、出来なかったという事実の奥に潜む本質です。

出来っこないと初めから決めていたのは、他ならぬ自分自身であったということです。

初めから出来ないという結論を、やる前から決定していた自分が、そこにいました。

決定された思いはストレートにその方向に向かい、出来ないという事実を創り上げていきます。

かたや、初めから出来ると決めて、事に臨む人がいます。

その人は、事を実現させるための言葉を口にして、その言葉に沿った行動を取ります。

初めから諦めた人は、その事を実現するための言葉を口にすることはなく、当然そのための行動も初めから封印して、かすかな希望を、自分さえやればそれでいいとするところに置くのです。

可能性ゼロに、かすかな希望を置くことのはかなさに、後日強く後悔することになります。

自分がいま手にしている仲間や運を、決して過小評価してはなりません。

やってみなければ分からない!

これが、人生の真実だからです。

ですから、挑む以前の戦いで、自ら敗れてはならないのです。

挑む以前の戦い。

それは一体、何を指すのでしょう。

それこそが、イメージなのです。

イメージをどう超えていくか。

これこそが、真実の戦いです。

イメージが変更出来れば、運命を変更できます。

人生は紛れもなく、精神の土壌で行うイメージの戦いだからです。

イメージで敗れれば、その結末がひっくり返ることはありません。

出来ないのではないかというイメージを、出来るというイメージに、どう変えていけるか。

ここに言葉を超えた、沈黙の戦いがあるのです。


心の導火線

人生は暇に生きたか、エキサイティングに生きたかの、二者択一です。

どちらがナイスな生き方なのかは、言わなくても決まっています。

エキサイティングに生きようとするのなら、忘れてはならないことがあります。

それは、絶えず進化しようとの思いを捨てないことです。

進化と変化は違います。

似ているようで、全くの異なる領域です。

例えれば、飛行機の空を飛ぶ高度のようなものです。

高度を変えずに、空を飛び進むことが変化です。

進化とは、高度をさらに高く上げて飛び進むことを意味します。

それを私たちに置き換えれば、生きる目線を上げるということです。

それは今の自分の位置から、さらに高みを目指すという姿勢を持つことです。

生きる目線を上げるとは、生きる姿勢をより高く維持することを意味します。

プロとアマチュアの違いは、一にその姿勢にあります。

姿勢は、より高みにいる人と自分との差をはっきりと認識して初めて変わっていきます。

それでは、そうしたはっきりとした差の認識は、何によってもたらされるのでしょうか。

それは、「衝撃」です。

人は、衝撃的な何かを直に目撃したときに変わるからです。

そして、その衝撃的な何かを我が物としていこうと、自らに鍛練を課したときから進化し始めるのです。

真に前進したければ、自分よりも進化した人を素直に見て、心に圧倒的な衝撃を受けなければなりません。

進化とは、人から衝撃を受けて火が付く「心の導火線」のようなものだからです。

この導火線を、湿らせてはなりません。

そのために、関わる人を間違えてはなりません。

何を言っても聞いても冷めている人を、分からせようとする焦りは禁物です。

心の導火線が湿っている人に、何を言ってもやっても、そこに火が付くことはないからです。

まず、自分自身の心の導火線に火を付けましょう。

心に衝撃を受けた数こそが、進化の証であることを忘れてはなりません。

限りある命

起きてしまったことは、仕方がありません。

正面からそのことを見据えて、どうその問題を突破していくのかだけを真剣に考えましょう。

常に考える!

行動しながら、考える!

この姿勢が大切です。

そして、いつも意識しなければいけないこと。

それは、リーダーたる者の一念です。

まず自分の発想が、リーダーたる者としての発想になっているか。

打って出ること以外に道はないことを理解しているか。

真剣に考え抜いて動ききれば、必ず起死回生が起きることを信じているか。

人は、確信に付いていきます。

確信なきリーダーに、人が集まることはありません。

余計なノイズを振り払って、吹っ切れて動ききりましょう。

後退すれば、そこにあるものは痛烈な後悔です。

前進は生、後退は死と心しましょう。

限りある命です。

使うべきところで使わずして、何のための人生か。

こう思いきって、性根を据えて、やるべきことをやりきりましょう。

人生のエンドは、予想もしないときにいきなりやって来ます。

ゲームは始まっているのです。

一目散にゴール目指して走り、シュートを放つのです。

我が一念を、どこに定めるか!

不安か、恐れか、それとも挑戦か。

今、自らに起きていることを、真正面から見つめましょう。

そこからしか道は拓けないと、腹を決めましょう。

戦う気持ちを創って、そこに一念を定めて打って出る以外に、状況打開の道はあり得ないのです。

チャンスの重み

どれだけ才能があっても、チャンスに巡り合うことができなければ、その才能が花開くことはありません。

人生をものにすることができるかどうかは、才能があるかないかの問題ではありません。

チャンスに、巡り合うことができたかどうか。

この一点にあります。

しかし、ここで一つ、しっかりと分かっておかなくてはならないことがあります。

それは、チャンスは待っていても、向こうから勝手にやって来ないということです。

チャンスは、こちらが求めて初めて振り向くからです。

しかし、振り向くだけで、決して向こうからこちらに近づいて来ることはありません。

少し離れたところから、ただじっと見ているだけです。

それではチャンスは、こちらの何を見ているのでしょう。

それは、心のバーです。

こちらの心のバーが、どれ位の高さなのかを見ているのです。

それは、今の高さだけを見ているのではありません。

未来への、「伸びしろ」を見ているのです。

今、心のバーが低いことを、どうのこうのと問題にしているのではありません。

未来へ向けて、そのバーを上げ続けようとしているのかどうかだけを見ているのです。

心のバーを上げ続ける!

この意識が、チャンスを引き寄せます。

そのためには今の現状をありのままに受け入れて、様々な問題の根本的な原因が、心のバーの低さにあることを認めなくてはいけません。

目には見えない心のバーの低さが、生活全般のレベルを落としてきた理由であることを知らなければ、チャンスは見向きもしないからです。

心のバーを上げましょう。

そのためには、誰とつながっているのかを、しっかりと考え直さなくてはなりません。

人生は、誰から影響を受けるかではありません。

誰とつながっているかです。

一時的な影響を誰かから受けても、それは心のバーを上げ続けるインパクトにはなりません。

一時的な影響よりも、つながりなのです。

人生を根本的に変えるもの。

それは、つながることから生まれる絆以外にはありません。

チャンスは、人と人とのつながりから生まれる「運」であることを忘れてはなりません。


本気の向こう側

逆境のなかで、人生があなたの本気を試しています。

「本気でやりたいのかどうか」。

問われているのはその一点です。

目指す者にしか、逆境が訪れることはありません。

逆境が教えるものはただ一つ。

それは、自分自身の本気度合いを見つめ直すこと。

本気で立ち向かっていないから、活路が拓けてこない。

ここが原点です。

私たちが逆境から学ぶこと。

それは、本気の向こう側にある風景を見ようとすることの大切さです。

逆境は、それを気付かせるために、あなたの前に現れたのです。

やる気と本気は違います。

いくらやる気のスイッチを入れたところで、それだけで逆境は突破できません。

何故ならば、やる気は所詮、気分だからです。

気まぐれな気分で、やったりやらなかったりの繰り返しが、壁を突破する力になることはありません。

本気でなくては、壁は突破できないのです。

やる気は漠然と頑張ることであり、本気は具体的に目指すことを意味します。

漠然と頑張っても、風が吹くことはありません。

しかし、具体的に目指せば風が吹き始めます。

本気の向こう側にある風景。

そこには、不可能を可能にする風が吹いています。

今、自分は本気で取り組もうとしているのか。

勝敗を分けるラインが、この一線にあります。

本気の行動は、本気の出会いを生みます。

そして、その出会いが道を拓くのです。

本気の向こう側には、風景があります。

その風景を見つけたときこそが、自分が変わる瞬間なのです。

いずれ何かを

人が変わるときは、ある日突然です。

意志とイメージの力が、ある日突然、人を変えるのです。

意志とイメージの力が、胸の奥に眠っていた情熱を呼び醒ますからです。

大切なことは、呼び醒まされた情熱を持続させることが出来るかどうか。

ここが、物事を成し遂げるポイントです。

胸の内側からほとばしるような情熱が、自分がこれから取ろうとする行動の中心に流れているか。

この感覚こそが、何事かを成し遂げるための行動を支える心臓部となります。

情熱なき行動が、人を動かすことはありません。

人は不思議なもので、その人が言ってる言葉や直接的な行動よりも、その背後にある気配を感じて、自分の取る行動を決定していきます。

この人が何を言っているのかはよく分からないけれど、何かこの人について行ったら大丈夫なんじゃないか。

何故か、この人のことが気になる。

こうしたことは、全てその人の中心に流れている情熱が気配となって伝わっているからです。

熱くたぎる情熱を抱ける人は、いずれ何かをやり遂げる人です。

そうした情熱は目には見えませんが、それを甘く見てはいけません。

何事かを成し遂げる人とそうでない人との差は、それを1日というスパンで眺めれば、その差はごくごく微少です。

しかし、その微細な差を、ほとばしる情熱で積み上げた人には奇跡が起こります。

その奇跡を起こしてくれるものこそが、情熱を気配として感じた人たちなのです。

熱い思いを内包した気配が情報を運ぶとき、それは人を揺り動かす力を持ちます。

心の奥底に、決して消えることのない熔鉱炉を持ちましょう。

その熔鉱炉こそがあらゆる難局を溶かして、それを前進のための気配に変え、人を揺り動かしていく力を創る源泉となるからです。

立ち上がる

周りの、「何となくやる気がしない」という空気に飲まれてはいけません。

悲しみは悲しみとして、やる気をカタチに変えていくところに、次の飛躍があるからです。

非常事態とは、常に非(あら)ざる事態です。

それは、いつか常に戻らなくてはなりません。

2週間経った今、動ける者が気分的なものでやる気を削がれていることは、決して被災された方々への共感とはなりません。

やれる状況にある者から、立ち上がる!

やる気という空気を、自ら創るのです。

周りの何となくそんな気になれないという空気に、戦いを挑みましょう。

そうした空気を知ったうえで、戦うのです。

周りのやれない空気を認めて、戦う前から白旗を揚げてはなりません。

やると決めて、心眼を凝らせば、必ず突破口があります。

例えそれが独りの戦いであっても、そうであるが故に燃えることが出来るのだと思えるか。

ここが、事の成否を分ける勝負処です。

成功者は、少数派です。

皆が空気を創れないときに、やる気の空気を創ろうとする人が、成功の道を歩める人なのです。

本当の敵は、周りの空気ではありません。

自分自身の決意の甘さであり、弱さなのです。

敵は我れにあり、です。

弱い自分の気持ちに打ち勝ちましょう。

精神一到、何事か成らざらん。

最後は気持ちの問題であり、決意の深さの問題であることを忘れてはなりません。


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